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コンドルセンカ

ナスカから99kmほぼ全て上り坂。
そして、99km上ってたどりつくのが、コンドルセンカという名の峠。4330m

わたしはここを10年前に登りました。

そしてまた、登ってきました。

クスコに行くならほかにもいくつか道があるのですが、なんで、また同じ峠を越えたのか、これは、10年前の自分に満足できなかったからなのです。

10年前。
私は今回と同じようにナスカで宿泊し、朝、ナスカをでて、コンドルセンカをめざしました。
ところが、この辺の気候は本当に乾燥していて、ナスカから延々とつづく上り道はずっと沢沿いなのですが、沢はきもちいいほど完璧に涸れているのです。

山の上り道だと辛くなっても大抵沢の水があったりするので水がなくて困ることってあんまりないんです。
でも、ここは全然違っていました。

乾燥して、日差しが強く、すごい勢いでのどが乾きます。上り坂だから全然自転車も進みません。
水を節約しなければなりませんでした。休憩は強い日差しを避けるために崖のわずかな窪みに見つけた小さな影に入ったりもしました。
でも影があるだけ、その前のイカーパルパに比べるとその点はましでした。
その時持ってた水は1.5リットルのペットボトルが2本か3本。1本は自転車のフレームに取り付けたホルダーに入れていつでも飲めるようにしてました。

でも、この1本がたしか、30kmも行かないうちにほぼ空になってしまったのです。
あせりました、それは本当に追い詰められる思いでした。本気で死ぬんじゃないかという恐怖でした。
峠まで100km、そこまで村も何もないかもしれない。このペースだと1日で峠まで到達することは到底不可能。
予備の水は途中でテントを張った時と、明日のために取っておきたい。でも、もう水を補給する所はありません。

追い詰められた私は。。。。
道端に落ちていたペットボトルに手を出してしまったのです。
ペットボトルの中身は明らかに怪しいものもありました。コカ・コーラなのに黄色だったり、スプライトなのに黄色だったり、もちろんそういうのは避けました。

でも、どう見てもこれはコカコーラじゃないかって色してるのかもありました。勇気を出して、拾い上げて、ふたを開けてにおいをかいでみると。。。結構いけそう?

そして、さらに勇気を出して、一口。。。。大丈夫!!

結構そういうペットボトルが落ちていたので、それに頼れば生きていける!!

と、そう思ってしまいました。
もうこの時点で、完全な負試合、計画の時点で失敗でした。
結局その後10kmほどで、商店があって、実はそのあと、峠まで何カ所かそんなトラックストップみたいなむらがいくつかあって、落ちてるペットボトルなんて飲まなくてもよかったはずだったのです。
その失態がゆるせなくて、もし、もう1度ここを通ることがあれば。。。と思っていたのです。
まさか10年後、自分がその同じ道を通ることになるとは思っていませんでしたが、今回、そんな思いがあって、同じ峠を越えることにしたのです。

そして、今回も水はかなり飲みました。1.5リットルに加えて750mlのボトルをフレームに装着、さらに2.5リットルの予備を持ちました。しかも1km単位の詳細な情報も持ってナスカを出ました。

44km、52km、84km、87kmに商店があることを知っていました。日差しが強いことも知っていました。それでも、やっぱり、30kmをすぎたころにはほとんど水は残っていませんでした。
あと10km 行けば商店があることを知らなかった10年前の自分が焦っていたのもうなずけました。

でも、10年たって、そのつらさもあんまりよくおぼえてなかったみたいです。
ちょっとなめてました。
10年たってもつらいものはつらいのでした。でも今回は道端に落ちてるペットボトルには意地でも手を出しませんでした。
なんでこんなにつらいんでしょうか。
約100kmで4330mを登るなら、平均勾配は4.3%だいたい5%くらいから、つらいと感じる位だから、そんなに坂はきつくないはず。でも辛い。やっぱり長く続くということと、日差しと乾燥のせいじゃないかと思います。

そして、1日目。52kmの村までしか登れませんでした。
実は10年前もそこで泊まりました。1日頑張って52kmしか進めないなんて。。。。
なんか自信を喪失してしまったものでした。

でも、10年前は4時だか4時半に到着できたのに、今回は5時半でした。あのときはもう少し進もうかと思ったけど、雨がぱらつき始めて、レストランの主人にたのんで、倉庫の中にテントを張らしてもらえることになったのでその村に泊まることに決めたんですが、あとで、その村の名前がkm52(キロメトロシンクエンタイドス)と知って、自分が52kmしか走ってない事実を知ったのですが、今回行ったら、villa tamboって名前がついてました。
いや、もしかしたらむかしからついてたのかもしれませんけど。。。

昔は売店併設のレストランが一軒とよーく観察するとなにか売ってることが分かる商店が2、3軒しかなかったのに、レストランは3、4軒に増えてました。

2日目。

10年前は2日目にコンドルセンカの峠を越え、プキオと言う町の手前まで行ったところで、大雨にあって、工事現場の詰所に雨宿りをしていた作業員に招じ入れられて、後から来たトラックで作業員と一緒にプキオまで連れていってもらいました。

でも今回は、2日目の朝から、なんか全然足に力が入りません。前日の疲れが残っているのでしょうか。それとも高山病?52km地点は約3000mだそうで、そこから登るので、息が切れて、足に力が入らなくても当然といえば当然ですが、それは10年前も同じ。むしろ、エクアドルやワラスなど、北ペルーの山を走ってきた今回の方が、高所には順応しているはずです。やっぱり歳でしょうか。
言い訳するなら、今回の方が、たぶん1.5倍くらい荷物を持っていることくらいです。
1台だったカメラは2台になり、2本だったレンズは3本になり、チェーンとギアの換えまで持って、2個で済んでたサイドバックは4つに増えました。

と、言い訳を言っても2日目、私は峠手前10kmの89km地点までしか走れませんでした。じつに、たったの37km。自分が情けないです。
でも、そこに到着したのはまだ昼過ぎの2時半だったし、走ろうと思えば峠を越えて、下るくらいはできたかもしれません。そしたらまだまだ10年前の自分に引けをとらないと、無理やり自分を納得させるちょっと情けない34歳です。

そして、3日目の今日、コンドルセンカを10年ぶりに越え、そして、10年前できなかった自力でプキオに到着しました。
10年前の記憶はあやふやで、全然プキオの町は覚えてませんでした。自分の泊まったホステルでさえ、緑か青っぽい壁の色だったなぁ。くらいで、全然それらしきホステルも見つけられませんでした。
町は10年たてば変わるけど、変わるはずのない峠の景色すら、ほとんど覚えてませんでした。峠の下りは雨と霧で煙ってる記憶しかないからしかたないにしても、コンドルセンカの雄大な景色は前回も見たはずなのに。。。。
km52の前に泊まったあのレストラン(正確には倉庫ですが)も、そのときの主人も発見できませんでした。
そこで、私はメニューを見せてくれって言ったつもりがメヌー(スペイン語で定食)がでてきて、はじめてメヌーを覚えたレストランだったのに。。。

だからもう一度同じ道を。。。。。

いや、実はそうじゃないんです。何でクスコまで、この道を選択したのか。もっと大きな目的があるんです。
by fuji_akiyuki | 2010-09-16 07:02 | ペルー
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