事件概要

バケツをひっくり返したような大雨に打たれながら、無残に倒れた権兵衛(自転車の名前)を起こすことも出来ず、ただ、絶望に打ちひしがれながら、立ち尽くしていました。
止まること無く流れ続ける頭からの出血は私に死への恐怖すら与えました。
ここで旅は終わるのか?
あと3300km走りきれないのか?
人生すらも幕を下ろすのか?
また中途半端に?


 その日の始まりはメンドーサまで後80km、チリからアルゼンチンへ、年末年始を休まずに峠を越え、ちょっと大きな町、サンファンに泊まらずにスルーしたことによって、予定より一日早くメンドーサに着けそうでした。
しかし、その日は朝から空一面雲で覆われ、強い向かい風の中、今日は辛い一日になりそうだと思いつつ、テントをたたんでメンドーサに向けてペダルを踏み出しました。
向かい風のせいで思うようにスピードが出ず、朝のうちは10km/hもでませんでした。
やっぱり今日はちょっと辛いけど、80kmだからどうにかなるだろう、ととにかく風に向かって悪戦苦闘していました。

 何度目かの休憩で、ようやくメンドーサまで25kmというところのガソリンスタンドまでこぎつけました。
ガソリンスタンドでしばらく休んで出発すると、ちょっと雲行きが怪しくなってました。

 
後20kmか15km辺りから雨がぱらつき始め、だんだんと雨脚が強くなってきました。
ああ、いやだなぁもう少しなのに、誰か乗らないかって声かけてくれないかなぁ
なんて思ってました。
まわりには雨宿りが出来るようなところもありません。
メンドーサまで後10km、左手に空港が見えてきました。
その頃には雨脚も強く、強風に吹かれて横殴りの雨になっていました。
空港を越えた辺りにいくらか建物が見えました。
空港を越えたら雨宿りのできるところも見つかるかも。
10km行くにはこの調子だと1時間はかかるし、とりあえずは雨宿りに出来るところを見つけよう。
っていうか、誰か乗せてくれないかなぁ、
と思っているところでした。

空港を越えた最初の交差点はT字路で左に曲がると空港ターミナルに続いてるようでした。
そのT字路の向こう側を2人の若者が木の棒を手になんかのろのろと道路を横断していました。

私が通りかかるとその調子でのろのろと車道に出てきて、私の行く手にフラフラと出てきます。
その様子は行く手を阻もうという意思があるというよりはむしろ酔っ払って、間違って車道にフラフラと出てしまったという感じでした。
しかし、彼らには私を襲おうという意思があったのです。

なんだこいつら、気持ち悪い。
と思ってどうにか二人を避けて行きすぎたときでした。

バシン!!
右側頭部に激痛を感じました。
え!?一体何??

と思ったときには第2の衝撃をまた同じ右側頭部に感じました。
あいつらか、暴漢か?ひどいことするなぁ、耳までキーンとするよ。
でも頭を強打すると星が見えるとか言うけど全然見えないけどなぁ、
とにかく逃げよう

ペダルに力を入れて、逃げようと試みたのですが、木の棒でやたらと殴られて堪らずに道路の真ん中で転んでしまいました。
転倒した瞬間はこのまま袋叩きに遭うのだろうかという恐怖に身の凍る思いでしたが、一度倒れると後に続くと予想された攻撃が襲って来ません。
ふと見ると二人の若者のうち一人が権兵衛を引きずって持っていこうとしている最中でした。
ただ人に暴力を振るうだけが目的の暴漢ではなく、強盗だと気がつきました。

そのとたん、殴られたことにも、権兵衛を盗もうとする二人にも言いようの無い怒りが沸々と湧き上がってきました。
権兵衛は確実に60kg以上あります。自転車は車を転がすもので、引きずって奪おうなんて不可能なのに、引きずろうとしているおろかな姿を目の当たりにして、飛んでもなく頭の悪いやつらだと思いました。
白昼堂々と、しかも結構交通量のある幹線道路で自転車旅行者を襲おうなんて考える自体あんまりにもあさはか過ぎます。
相手がバカだと思うとその愚鈍でずさんな犯行の被害に遭った屈辱と悔しさが更に怒りを抑えがたいものにしました。

片手で権兵衛を引きずるのは無理だと思ったらしく、私が見たときには武器の木の棒を捨てて両手で権兵衛を引きずろうとしていたので、私は捨てられた木の棒を拾い上げて殴りつけるべく、それこそ殺してやろうという、確実な殺意を持って襲い掛かりました。
しかし、襲いかかってきた私を見た若者二人は一目散に逃げて行ってしまいました。

少しだけ追いかけようかと思ったのですが、手負いの自分の状況に思い至り、立ち止まり、周りを見回してみました。
片側2車線道路の真ん中に権兵衛は無残に倒れ、後ろから着た何台かの車が立ち往生していました。
こいつら、みんな見てたのに助けてくれなかったのか、何で犯人を車で追ってくれないんだろう、ひき殺してもいいから、いや、むしろひき殺してくれればいいのに。
こうやって突然見ず知らずの人の悪意に曝され、突然の暴力によって傷つけられることがこんなにも悔しいなんて思ってもみませんでした。

そして、痛みに頭を抑えた手についた真っ赤な血。何時殴られたのか、激痛を感じる右手の人差し指は無様にひしゃげ、腫れ上がり、確実に骨が折れていることが分かりました。
少しずつ冷静になってくると自分の身体の被害状況を確認し始めました。
この二つ意外には大きな怪我は無いようでした。でも、指の痛さは尋常ではなく、権兵衛を起こすことも出来ません。
頭の傷は何時までも血を噴き出し、止まる気配を見せません。降りしきる雨で血が固まらないのかもしれません。
頭の方は痛みはそれほどでもなかったのですが、止まらない血は私に恐怖を与えました。

 無残に横倒しになった権兵衛、何度ぬぐっても真っ赤に染まる左手、眉を伝って目の前を零れ落ちる血、そしてその全部にたたきつけるように、あざけ笑うように、容赦なく冷たい雨が濡らしていきます。
感じたものは深い絶望でした。

後ろから来た車のうち、一台が携帯で警察に連絡をしてくれたようです。
道路の真ん中で待つようにいわれたのですが、降りしきる雨は雨脚を強めて私の体温を奪っていきます。

 道路の真ん中にたっていることが出来ず、周りを見回して、道路わきにキオスクを見つけ、キオスクは閉まっているようでしたが、その店先に風にたなびく布製の庇を見つけました。
周囲に雨をしのげそうなものは他には見当たりませんでした。
私は寒さでたまらなくなってその庇を目指して走りました。その庇は風にたなびき、もしかしたらその下に入っても全然雨は防げないかもしれません、どうみても風は防いでくれそうにありません。
溺れる者は藁をもつかむ、そんな藁みたいに頼りない救いでした。でもその時の私には見渡す限り唯一の藁にすがるしかありませんでした。

 ただ、幸運だったのは藁だと思った救いがちょっとした大型船くらいに化けてくれたことでした。
キオスクを併設している家のおばさんが救いを求めて走る私を見てキオスクのすぐ隣の扉から私を家の中に招き入れてくれました。
暖かい家の中に入れてもらって、着替えを貸してくれて毛布を上から掛けてくれました。
救急車を呼んでくれて、血だらけの頭をタオルでぬぐってくれ、寒さに震える腕をさすってくれました。
人のぬくもりがこんなに暖かいと(比喩ではなく)感じたのも初めてでした。
程なくして自転車もその家に運び込まれて来ました。

「今コーヒーを入れるからね」
と、コーヒーを待っている間に救急車がやってきたので、結局コーヒーは飲み損ねてしまったのですが。

 突然ですが私はレスキューダイバーの資格を持っています。
スキューバダイビングのときに不測の事態が起きた場合、いろいろと自分や人を助けたりするための講習を受けます。
そのレスキューダイバーの講習には緊急事態が起きたときの初期対応みたいな講習(E.F.R. Emergency First Response っていうんですけど)も含まれていて、そこでこの3つが全てはいならこいつはとりあえずすぐに死ぬことは無いという条件を習いました。

1意識がある。
2呼吸がある。
3大量の出血は認められない。

このうち一つでもいいえなら、もしかしたら死ぬかもしれないってことになるわけですが、私はこの3番に当たるのだろうかとこの出血は大量といえるのだろうかと判断がつかづに恐怖におののいていましたが、家の中に入って雨に打たれなくなると出血はかなり少なくなったようで、救急車が到着した頃にはもう滴り落ちることは無くなっていました。

 ただ、頭を強打した場合、その日は大丈夫だと思っていても翌日以降に容態が急変するとか、そんな話も聞くので、心配は残っていました。
でも、救急車に乗ったとき、救急医療?のおばさんがガーゼにジェル状のアルコールをたっぷり染み込ませて傷口に当てながら
「目まいはあるか?」「耳は違和感が無いか?」
というようなことを聞いてきました。
ああ、つまりこういう症状があるとやばいわけだ。
目まいは全く無いし、殴られた瞬間こそ耳はキーンとしたけど今は大丈夫だなぁ、
そうかんがえると、明日死ぬことも無いのかなぁ、と少し安心しました。

生涯2度目の救急車の中ではベッドで寝かされることはなく、イスに座らされて簡単な治療を受けながら病院へ向かいました。
ちなみに初めて救急車に乗せられたのは16のときで、残念ながら意識がなかったので記憶はありません。飲みすぎでした。

 死の恐怖が一応去ると今度は今後の旅の予定と指の骨折の具合と、病院での治療とその費用が気にかかりました。
人生で過去2回骨折は経験があるので、痛さからいくと、多分頭の方は骨には異常はなさそうな気がしました。
指は角度がおかしかったので確実に骨折しているのは見て取れたのですが、これが元に戻るのかどうかは心配でした。
骨折してると約一ヶ月はギプスで患部を動かすことが出来ません、指を動かさずに自転車を運転することはちょっと難しいし、もちろんテント立てたり、自炊したりも無理なので約一月の足止めは余儀なくされます。
折れ方によっては手術が必要だったり、治っても上手く動かなかったりすることもあるということも知っていました。
とにかく少なくともひと月動けなくなりそうだということは分かりました。ギプスが取れてもひと月固定されていた指が動くようになるまではリハビリも必要です。
その他、左の脇の下のちょっと下あたりと左の腿と腰が比較的強く痛むのと右ひざ、左のスネ、左の肘が少し痛むのが分かりました。
でも頭と指意外は大した傷ではないなという直感もありました。
ひと月+リハビリ期間動けなくなると今シーズン中にウシュアイアまで行くのは難しいだろうということも気にかかりました。
一年延長するなら予算も問題が出てくるし、第一この傷の治療費はどうなるんだろう、保険なんてとっくの昔に切れてなくなっています。

病院に着くまでにいろんな心配が頭の中を駆け巡りました、そしてこれだけ考えられるなら頭を殴られたわりにはそれほどバカにもなってないだろうと考えることが出来ました。この思い付きは私に少し安心感を与えてくれました。

病院に着いて、当然歩くものだと思っていたら車椅子といか、キャスター付のイスに座らされての院内の移動となり、これは非常に楽ちんでした。

 それでも色々待たされたり、質問されたりが最初でなかなか治療には移行しませんでした。
身元を聞かれ何があったのかを訊かれ、最初はスペイン語で全く話が通じなくて、英語がしゃべれる人が来て同じ事をまた訊かれました。
警察の簡単な事情聴取があり、ようやく治療が開始されました。
 最初はレントゲンで殴られた頭と指の写真を撮りました。

レントゲン写真を前にして医師の診断を言い渡されました。
レントゲン写真に映し出された私の指の骨は無残に折れてあるべき位置から完全にずれていました。
指の具合はあまり芳しくない、このままだと骨がくっついても指は動かないだろう。
治療には手術が必要だ。すぐに日本に帰るなら日本で手術することも出来る、日本には何時帰る予定だ?
と訊かれました。

まだ日本に帰る予定は無いけど、手術なんてしたらきっと治療費も馬鹿にならないし、それ次第ではもう旅なんて続けられないかもしれないから
その質問に即答することは出来ませんでした。
 逆に、ここで手術をするならいくらくらい掛かるのか?と訊いてみました。

 この病院では手術できない、これを治すためには私立の手の専門の病院に掛かる必要がある。費用は病院次第だが、1000ドルくらいは掛かるんじゃないだろうか。
という話でした。

 今いる病院は公共のホスピタルセントラルというところらしく、すぐ近くの裏手にその手の専門の病院があるらしいことも言ってました。

とにかく、これから麻酔を打って痛みの無い状態にして指を引っ張り、骨を入れなおしてみる。これだけずれてるとあまり見込みは無いがうまく行けば手術は避けられるかもしれない、もう一度レントゲンを撮ってダメならすぐにでも手術の予約を入れよう、一週間以内に手術が受けられるようにしよう。
頭の方は骨にも異常は無いし、後で縫っておこう。
と医師がいいました。

 医師の言う指を引っ張るという荒療治に手術回避の一縷の望みを託すよりありませんでした。

指に打つには多すぎるだろうと思われる大量の麻酔液を注射器に入れ、そうでなくても腫れ上がっている指に骨まで深く突き刺し、薬液を注入しました。
指は更にふくらみ内側からはじけ飛んでしまうんじゃないだろうかと思うほどふくらみ痛みを感じました。
注射のあと、2,3分で、医師が治療を開始すると言い出しましたが、まだ指の感覚はあり、このままやられたら失神するほど痛いんじゃないかという恐怖で待ってくれ、まだ感じるんだけど。と訴えてみると皮膚では感じてももう骨には麻酔が効いてるはずだ、とにかくやってみよう。
といって、力任せに私の指を引っ張り始めました。確かに不思議と全く痛みを感じません。指は力いっぱい引っ張られてそれは感じてるんだけど、折れて激痛をともなっていたはずなのにこんなに手荒く扱われても全然痛みを感じないのはちょっと不思議でした。

その後、別の医師が頭部の縫合をしてくれたのですが、ちょっと麻酔の効きが悪かったらしく縫われるたびにチクリチクリと痛い思いをしました。

 もう一度撮ったレントゲンを見た医師に言わせると、パーフェクトだそうで、確かにあれだけずれて無残に折れていた指の骨が今ではどこが折れているのか分からないほどきれいに戻っていました。
これで手術は一応今の時点では必要ないといわれました。ただし、指は絶対安静。言われなくてもそうするつもりですが。

翌日に破傷風の予防接種をうちに来るように言われて病院から解放されました。気になる治療費ですが、取られませんでした。
後で分かったのですが、アルゼンチンの公共医療施設は無料だそうで、これも私にとって非常にラッキーでした。
こういうの、悪運が強いって言うんですかね。

 病院から警察の車で警察署に行ってもう一度事情聴取を受け、ポリスリポートを作成してもらいました。
助けられたキオスクの家に置き去りにしてきた権兵衛も警察が持ってきてくれてました。
更に警察の車でホステルまで自転車ともども送ってもらいました。翌日迎えに来て一緒に病院に連れて行くと約束をして去って行きました。

翌日、警察は来なかったのですが・・・

こうして最悪の一日は過ぎて行きました。


皆さん、あけましておめでとうございます。
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by fuji_akiyuki | 2011-01-10 00:26 | チリ・アルゼンチン
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