カテゴリ:モーリタニア( 4 )

pas de problem 2@ヌアクショット(モーリタニア)

ガイドとのやり取りの詳細はこうでした。

ガイドのバハールは最初親切な振りをしてホテルでの食事代はいらないよとか言って安心させて食べさせるのですが、ツアーの始まる前日にアタールの近くの古い町の遺跡があるというところに行こうというのです。これはただなのかな、それともいくらかとられるのかなと思ったのですが、そのときはまだバハールを親切なやつだと思っていたので、安心してついていったのですが、アタールに帰ってきてタクシー代を請求されました。

そのころからちょっとこいつは信用できないぞと思うようになり、実際にツアーに出ると最初の説明とは工程が違うし、2日目には小さな村(ウルケイア)に何もせずに一日滞在すると言い出し、そこまでは我慢していたのですが、突然ホテルでの食事代を計算しだして、バハールはそれを払えといってきたのです。

食事代に関してはいくらだと聞いていたので、その時点でお金は要らないと聞いていたのでこれは完全な詐欺です。しかし、ここは車もない帰る手段のない小さな村で、電話もなければ外の連絡は取れない、そんなところでお金を請求してくる訳だから、卑怯この上ない。このままついていったら砂漠の真ん中でいくら払わされるかわかったものではない。ここで100ユーロ払わなければラクダを連れて帰るなんていわれたらたまったもんじゃない。完全にバハールを信用できなくなっていたのです。

そこで怒った私はツアーをやめて帰るといって、一人でその村を歩いて出ようとしたわけです。もちろんそこで私に何かあればバハールもただじゃすまないだろうし、このまま行かせる訳にもいかずに村人もバハールも総出で私を引き止めたのです。しかし、もうこのままバハールとツアーを続ける気もなく、どうにかしてアタールにつれて帰り、払った120ユーロを返せとバハールに迫ったのです。もちろん払ったお金が返ってくるとは思っていませんでした。しかしこのままだと多分バハールには儲けが出て、自分だけが損をする。だましたほうに儲けがあって、だまされたほうが損をするだけなんてそんなの絶対許してなるものかと、そう思ったのです。

もちろん最初はバハールも嫌がったのですが、どうにもならないこの状況を打開するためにバハールと取っ組み合いのけんかをしました。十数年振りかで人を思いっきり殴りました。

喧嘩は周りが止めるものです。村人が仲裁に入り、それで事件は大きく発展し、結局ガイドのバハールが12キロ歩いて無線のある村までいくことになり、それで車を呼ぶことになりました。

しかし、この無線で通じるのはジャンダルメリー(名前はかわいいけど実はポリスミリタリー)で、また、この国ではツーリストとのトラブルが御法度だったのです。 夜中にジャンダルメリーと一緒にオワダンという村まで行き、そこで一夜を過ごして、次の日夕方まで待って何とか車が見つかり、アタールに帰ることになるのです。

アタールで問題を解決するためにアタールのジャンダルメリーにいくのですが、そこにいたのがカーネルでアタール一帯のジャンダルメリーを取り仕切る司令官で、アタール一帯といってもモーリタニアは地図で見るとたったの3つに分かれていてそのうち一番広く、モーリタニア北側の半分以上を取り仕切っているなんかすごく偉そうな人でした。カーネルはバハールの話を聞き、私の話を聞き、結論を下しました。

明日の朝、バハールが120ユーロをカーネルに払い、カーネルが私にお金を返す。結局結果的には要求したとおりになったのですが、バハールは確かにツアー用の食事を用意して、車も用意したのです。彼はそれにかかった費用を捻出して、さらに120 ユーロを私に返すという彼にとって非常に厳しい結果となってしまったのですが、彼は私に
”pas de problem Mauritanie”(モーリタニアには問題はない)
といって、私を安心させようとするのです。カーネルも
”pas de problem Mauritanie, pas de problem tourist”
つまり、モーリタニアは周りの国からあまり安全な国とは思われていないのです。そして、こんな小さな事件でも大きくしてはいけないという気持ちが働いたのでしょう。カーネルの決断は一方的に私に有利で、モーリタニアを旅する人に問題は起こらないんだとそう主張するのです。

バハールも同じように口をそろえてツーリストは安心していいんだということをいってきます。

つい、その場で涙がこぼれてきました。バハールもはじめあまり文句を言わない私を見てちょっと沢山お金をとってやれという気持ちがあったのでしょうが、結局こんな結果になりながらも私を気遣ってくれたのです。

何でこんなことになってしまったのか、何かバハールに申し訳ないような気がしてしょうがなかった。ちょっとだけ、相手にも痛い思いをさせなければ気がすまないという気持ちがこんな結果を招いてしまった。なんとなく弱い立場の人間からお金をむしりとるようであまり気が進みませんでしたが、モーリタニアはツーリストを大事にしているんだという気持ちは伝わった一件でした。

モーリタニアは日本に沢山タコを輸出しています。そういう意味でモーリタニアと日本はかなり親密な関係にあるのだとカネールやヌアディブーで泊めてもらった人に聞きました。知らないところでつながっているものだなと感心させられました。

今日の気温は36℃くらいです。昨日までは40℃を越えていたのですが、ここヌアクショットに来て海が近いせいかお昼を過ぎても40まで上がりませんでした。このくらいだと歩く分には涼しく感じるくらいです。

ヌアクショットは首都のわりに小さいです。プノンペンと張るくらいだと思います。でもレストランやお店に看板があるのでわかりやすいです。今までの村はどこがレストランでどこが店かよくわからなくて、いつの間にか通されて注文もしていないのにいつの間にか何か出てくるとか、覗いてみると店だったり、なぜかお茶をご馳走になったり、結局システムのよくわからない国だったような気がします。そんなモーリタニアもあと3日くらいで抜ける予定です。
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by fuji_akiyuki | 2004-05-21 00:00 | モーリタニア

pas de ploblem 1@アタール(モーリタニア)

ちょっといろいろあってツアーのガイドと喧嘩をしてしまいました。ガイドはいつも何かをする前には料金はかからない素振りをするのですが、ことが済むと請求してくるのでいつも信用できないなと思っていたのですが。

ことの発端はこんな感じです。そのガイドはホテルも経営していて、私が街でホテルを探している時にガイドのバハルに出会ったのです。彼は初日に220ユーロのツアーを誘ってきました。シンゲッティという村を通ってラクダに乗り、100km先のオワダンとかいう街まで行くというものでした。220ユーロは高いと思ったのですが、前にも書いた通りここまで安く済んだこともありちょっと奮発したのです。そしたらバハルの態度が一変して優しくなりました。お昼を食べようと言うのでいくらだと聞いたら「彼はいやお金なんていらない。ここで食べる分には食事は無料だよ。君と僕は友達だから。」というようなことを言ってくるのです。たぶん220ユーロが効いたのだろうと思っていました。ところがツアーが始まると最初の約束とは全然違う工程で2日目は全く動かず砂漠の真ん中の小さな村で1日留まると言ってきたのです。さらにバハルはホテルでも食事代などを計算しだしてこれだけ払えと言ってきたのです。砂漠の真ん中の小さな村で車もなく帰ることもできず、払う約束をしなければ救いがない状況でした。しかし最初は確かにホテルでの食事は無料だと言っていたし、ツアーも全く説明と違うのでこのまま行くことを聞いてお金を払えばまたさらに請求されると思ったのです。

そこで一騒動起こして村中ひっくり返し、車を呼びに行かせてツアーはそこで終わりました。しかし来た車はjandaru meriというちょっと心ウキウキするような名前の保安隊の車でした。結局ツアーはダメになって帰ってきましたが、これが実に大きな問題に発展してしまったのです。たぶん払っていた120ユーロを返せと言って迫ったのが原因でしょう。どうも旅行者との間のトラブルはタブーとされるようで、そのjandaru meriの本部まで行ってそこのトップと話をして120ユーロは今220スイスフランになって私の手元にあります。

詳しい話はまた今度書きますが、これがモーリタニアだったのです。
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by fuji_akiyuki | 2004-05-17 00:00 | モーリタニア

モーリタニア@アタール(モーリタニア)

一昨日は列車に乗って昨日の夜2時にチョウムという村に着きました。もちろん乗る時も降りる時もプラットホームなどはなく、乗る時はまだ切符売り場があったのですが、チョウムには本当に何もありませんでした。というか、暗くて何があるのかさえもわからなかったのですが。ホームと駅舎がないことは確かです。

列車は世界で一番長い列車だと聞いたのですが、400両の貨車を牽いたとてつもなく長い列車です。その最後尾に2両だけ人の乗る車両が付いています。

ヌアディブーではそこに人が殺到するので大変な思いをして乗り込みました。自転車と荷物と自分自身が乗らなければならないうえに、みんな人を押しのけて乗ろうとするので冗談じゃない、まるで生死をかけた戦いかと思いました。

泊めてくれた家族の助けがあってなんとか乗り込むともう席などありませんでしたが、少し英語を喋る男が近づいてきて2000ウギア(約600円)で席を譲ってくれて荷物番をしてくれました。

その男もチョウムで降りてアタールまでの車を手配してくれて、夜中の2時に真っ暗な中自走しようか考える間もなくいつの間にかその車に乗り込んで、昨日アタールに着きました。車はトヨタのランドクルーザーで中に13人が乗り、車の上に荷物を積んで、さらに荷物番が一人乗ります。チョウムからアタールまでは5回のパンクをして換えのタイヤも無くなり、自転車と同じようにパンク修理をして人が自転車用の空気入れでタイヤに空気を入れていました。これで空気圧は大丈夫なのかと思いましたが、よく考えればこれだから5回もパンクするのでしょう。

道は砂ばかりでもないようで、走れたかもしれないなと思いました。ヌアディブーにしてもここアタールにしても砂の街と言った感じで、街は砂で一杯です。モロッコとはかなり違い、どう暮らせばいいのかまだよくわかりません。これが結構重要で、何が売っていて、すぐ食べられるものと、何が作れるのかを早く見極める必要があります。

あと問題は言葉です。ここのアラビア語はハッサニアンとか言ってモロッコのものと相当違うようだし、フランス語はあまり通じません。

これから今泊まってる宿の人とシンゲッティという街を経由して砂漠のツアーに行くので、そこで色々教えてもらうつもりです。5日間のツアーなのでしばらく帰ってきません。この辺の気候になれるチャンスでもあるので良い経験になることを期待しています。ツアーは高いけど、ダクラからここまでは思った以上に安く済んだので、その分と勉強だと思って少し奮発しました。
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by fuji_akiyuki | 2004-05-13 00:00 | モーリタニア

ヌアティブーにいます@ヌアディブー(モーリタニア)

僕は今モーリタニア最初の街、ヌアディブーにいます。昨日ここに着きました。ダクラからモーリタニア国境まではコンボイに乗らなければならないと聞いていたのですが、コンボイが終了したとのことで自転車で走ることができました。しかしモーリタニア国境からヌアディブーまでの40kmは非常に道が悪く、時には深い砂に覆われていました。それでも自転車で走ろうと試みたのですが、国境から7kmの地点であきらめてしまいました。国境から7kmの地点と言うのは入国審査があるところで、とある男性に頼んだところヌアディブーまで車で乗せて行ってくれました。さらに彼の家に泊めていただき、モーリタニアの伝統的な生活でもてなしてくれました。彼の家はとても快適で、食べ物もとても美味しかったです。彼らはスペイン語を話すので、僕の乏しいスペイン語がとても役に立っています。

明日には電車でチョウムに行くつもりです。その後にはアタールに向かうつもりです。
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by fuji_akiyuki | 2004-05-09 00:00 | モーリタニア