カテゴリ:マラウィ( 8 )

5895@モシ(タンザニア)

今モシという町にいます。
この間モシに着いた途端キリマンジャロに登る日本人がいるからと言われて慌てて加えさせてもらうことにして登山の予約をしたのですが、これが真っ赤な嘘で、誰も一緒に行く人などいなくて全く一人でした。

ガイドとポーターを一人ずつ付けて$550、グループの料金だと聞いたのに結局行ってみたら日本人などどこにもおらず一人きりの登山でした。

ツアー会社が装備に何かと文句を付けて何でもかんでも貸し付けようとするのですが、私は-20℃までは自信があったのでザックと靴下と靴だけを借りました。靴は雪がなければいつもので十分だと思ったのですが、ツアー会社の方がそれじゃダメだというので、そう言われると自信のない靴ではあったので借りることにしたのですが、この靴が大失敗でとてつもなく重くて、しばらく歩いてみたら痛くて歩けたものじゃありませんでした。

ツアー会社のオフィスではサイズだけを試したのですが、その時はサイズは完璧だったのですが、ちょっと当たるところがあるなという感じでした。靴の怖いところはここでこのちょっとが慣れてくれるものなのかそれとも後からじわじわとダメージを増していくのかが判断つかないところです。

結局はよく見ると靴が壊れていたのが大きな原因のようで、ソールは無いし、踵の内側の部分は破けているはで全く慣れることはなく今は足が豆だらけです。本当にそら豆見たいのができてます。

3日かけて4700mの山小屋まで歩きます。道のりは全く楽そのものですが、私は足が痛くていつものように歩けませんでした。ゆっくり歩いたので全く疲れませんでした。

4日目は4700mから5685mのギルマンズピークという所まで夜中の12時から歩き始めます。この部分は火山によくある火山れきの急斜面ですごくすべるし体力もいるので、この手の斜面はいつも苦手とするところで、旭岳や十勝岳なんかでも悩まされました。どこぞの山では9合目からこれが始まって、9合目に「ここからが正念場」とかいうふざけた立て看板が立っていて、「またまたもう9合目じゃん」なんて思ったのですが、やっぱりここでも苦しみました。ですが、これが4700mから5685mまで続くと気が狂いそうになります。高山病に悩まされて頭痛はするし、吐き気はするし、酔っ払ってもいないのにふらふらするし、平衡感覚は狂うしとで、これに耐えながらゆっくり登っていくわけです。

朝日を見るために12時から登り始めるのですが、日の出は6:30、寒いのでピークには長い時間留まれません。10分か20分くらいが限度でしょうか。つまり標準的に6時間前後の登山時間を見越しているようなのです。

早く上がった人のためにウフルピークというキリマンジャロ最高峰の5895mまで行くコースもあります。これはこのギルマンズピークからさらに1時間30分ほどかかるようなのですが、私は初めから全てガイドに従って歩きました。
問題の靴では全く話にならないのでポーターは登らないのでポーターのボロ靴をガイドが借りてくれました。横の破けたスニーカーでした。

今回ばかりは早く行こうとは一度も言わなかったし、高山病で体に変調をきたし、次の一歩で死ぬかとか高山病で死ぬときはぽっくり逝ってしまうのだろうか、とか、とにかく得体の知れない不安と早くなる呼吸と戦いながらガイドに付き従って途中何度かガイドを止めて呼吸を整えることこそすれどもガイドを急かすなんてことはなく、これでもかというくらいゆっくり登りました。

高さが高さなので、それだけゆっくりと登っても息があがってきます。それと同時に脈が速くなるのを感じてこれではまずい、どこかの血管が切れるのではないかと感じることがあります。そこで無理はせず、ただひたすらガイドにくっ付いて登りました。

ギルマンズピークに着いたときはまだ真っ暗だったのでウフルピークまで行くことになりました。これは初めから企画していたことではあったのですが…。
ギルマンズピークからウフルピークまでは火口の周りの外輪山の稜線を歩くことになるので楽な道のりでした。そして月明かりの中で見る火口や雪渓も何か幻想的できれいでした。が、風が強くて温度計は-7℃でしたが体感温度はもっと低かったでしょう。
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ウフルピークに着いたときガイドが言いました。
「4:30だ」
は?????????!!
早すぎるじゃん!全く日の出る気配はなく、きれいな星と月の明かりだけでは私のフラッシュ無しのマニュアルカメラ(ニコンFM2)では写真も撮ることができず、これだけはと持ってきた「キリマンジャロ」という銘柄の缶ビールを3口くらいすすって後は飲みきれず流してきてしまいました。私がアフリカ最高峰でしたことはこれだけです。

ギルマンズピークに戻ったのが5:15。まだまだ日は昇らず、今日一緒に登り始めたはずの登山者もまだ来ておらず、またまた寒くて写真も撮らずに下山することになってしまいました。ガイドについて行っただけなのに、だいたい朝日を山頂で見るのが目的で疲れているところを夜中に叩き起こされて登ってきたのに……。
もう2時間遅く起きても良かった、というわけで朝日の写真は下山途中に何とも中途半端なところから撮ったものだけになってしまい、ウフルピークまで登ったという証拠は下山して登山口でもらったカラーコピーで簡単に偽造可能な証明書だけになってしまいました。

ポーターのボロ靴はポーターも下山で使うので返さなければならず、ツアー会社で借りたとんでもない靴で下りることになったのですが、これが登りより下りの方が足にダメージが大きくて、昨日は時速2kmくらいしか出せませんでした。これがどのくらいかというと、東京駅の京葉線ホームに向かう途中にある動く歩道(歩く歩道ではありませんよ)の速度が時速2.5kmというから、それより遅いということです。見るに見かねてガイドが今日は誰かからビーチサンダルを調達してきてくれて、登山5日目の今日はそれで20kmの山道を下山してきました。

というキリマンジャロ登山でした。人生で一番フラストレーションのたまる登山でした。
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by fuji_akiyuki | 2005-11-21 21:58 | マラウィ

ダルエスサラーム出発@ダルエスサラーム(タンザニア)

今日ブルンジ大使館に行ってきました。ビザは明日出るそうなので明後日ダルエスサラームを出る予定です。

昨日はダイビングに行ってきたのですが、マスクの曇りがどうしても取ることができずに危うくパニックになるところでした。一度浮上してマスクを取り替えてもう一度潜ると今度はインストラクターが連れていた生徒がパニックを起こしたということでタンクの空気はたくさん残っていたのに浮上してしまいました。というわけでダイビングの方はちょっと不完全燃焼になってしまったのですがダルエスサラームは満喫できたのでそろそろ走り出そうと思っているところです。
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by fuji_akiyuki | 2005-11-07 19:36 | マラウィ

ダルエスサラームに戻ってきました。@ダルエスサラーム(タンザニア)

ラマダンに悩まされて3日間をザンジバル島で過して昨日逃げるようにザンジバル島から脱出しました。
夜の船に乗って今日の朝ダルエスサラームに到着しました。もともとザンジバル島は10月30日までに脱出する予定だったのですが。10月30日に選挙があってアフリカはいつもそうなのですが、選挙があるたびに暴動が懸念されるので、大概は選挙のある国からは逃げ出すように大使館などから勧められます。今回はザンジバル島で暴動が予想されるということなので、大使館ではザンジバルには行かないように勧められたのですが選挙前に帰ってくるならまあ大丈夫だろうということでした。
で、行ってみたところラマダンに苦しめられて、飯を食わないから頭は働かないし、観光しようという意欲もわいてこないし、なんとなく寝ていることが多くて、結局ダイビングをしてひとつツアーに参加しただけで帰ってきました。
しかし、やはり湖よりは海のほうがいろんないきものがみれておもしろかったです。やたらにとげの長いうにとか、とげとげのたくさんあるヒトデとか、毒々しい色のイソギンチャクとか、得体のしれないぶよぶよした物体とか。ただ触っていいのかいけないのか判らないので今度はツンツンできる棒でももっていこうかと考えています。

帰ってきてもダルエスサラームはまだ大停電中で宿も電気がきません。日本のODAが建てた発電所が故障したとかで部品を日本から取り寄せないと電気は返らないとかなんとか・・・
アフリカじゃでかい町なのに、なんかとてつもなくもろい部分を見せ付けられたような気がしてなりません。
選挙はあさってなのでどうなるかちょっと楽しみです。
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by fuji_akiyuki | 2005-10-28 16:46 | マラウィ

目が開かない?@ザンジバル島(タンザニア)

今はダルエスサラームから船で4時間ほど来た、インド洋に浮かぶ島、ザンジバル島に来ています。ここはイスラム色の強い町で、モロッコやチュニジア、アルジェリアで見たまったく秩序のない、積み木をバケツに入れて揺さぶってそのバケツを逆さに伏せてバケツを外したような町のつくりをしています。地面に残った積み木が建物です。道を作ろうという意図がなく、建物と建物の隙間を道として利用しているといった感じです。
太い道も30mと行かないうちにやっと人一人が通れる小さな路地に変わってしまう。そうかと思うとそんな路地が突然開けた広場に出てきたりと、すべての道を知り尽くすには毎日へとへとになる位歩いても一月くらいはかかりそうな町です。

 しかし、今当面の問題はラマダンです。そう、イスラム教といえば酒と豚はだめ。女の人は目だけ出して黒ずくめ。そして断食月。ラマダンです。
 宗教は個人の問題で誰が何を信仰して、その戒律に従って敬謙に生活することに他人がまったく持って文句を言う筋合いのものではないことは十分わかっていますし、そうすべきであることは良くわかっているのですが、理性と食欲がうまく意見を一致させられないでいます。

 イスラム教でも病人や旅行者はラマダンは免除されていると聞きます。しかし、実際には町に食べ物が売ってないので病人も旅行者も昼間は食べることができないのです。レストランくらいは外人向けに店を開けているだろうと思ったのですが、これも飛びっきり高級などう逆立ちしても手の届きそうにないレストランを除いてはやはり昼間は閉店です。
 そうなってくると理性ではここはイスラムの町だし、彼らの生活習慣を尊重しなければならないし、すきっ腹を抱えて一日我慢している人々の前で私達旅行者だけが食べ物をパクつくのは良くないことはわかっているのですが、空腹は人をイラつかせるもので、イスラム教でもない私がすきっ腹を抱えて昼過ぎにもなるとだんだん腹が立ってきます。
”俺は旅行者だし、イスラム教でも何でもないんだし、何でお前達に合わせて俺までひもじい思いをしなければならないんだ。何か食わせろ。”しかしこれは回りもひもじい思いをしてイラついているはずだから声に出していおうものなら大喧嘩になるか袋叩きに会うのが関の山で…
 何とか夕方までこらえて皆が食べだしたころ、もっと腹の立つ現象が始まったのです。つまり、地元の人はどこに行けば何が食べられるか知っているので、そこに集まってわいわいやりながら食べ始めるのですが、よそ者の私はどこに行って何を食べればよいのかわからない。屋台は暗いから何があるのかも見えないし、第一どう注文すればよいのかもわからない。そうこうしているうちに人気のある物はなべの中が空っぽになり、一日の断食は終わったはずなのにくいっぱぐれを喰らう羽目になります。
 結局おとといも昨日も口に入ったのはさめたジャガイモの煮物だけでした。後はスナックのようなもので過ごしたのですが、その中でザンジバルのピザと言って売っていた、いや、日本人の私に言わせてもらえば、これはもうお好み焼きそのものなのですが、このピザはアフリカのローカル食では上から5番目までには入るであろうという代物で、これだけは食べられて良かったと感じました。
 とにかく、言葉も土地勘もない旅行者にはあまりにも酷なラマダンで、これはタンザニア本国に帰ればなくなるのですが、こんなラマダンにまともなイスラム国の中で引っかかったら絶対に走れないなと思った2日間でした。

 イリンガという町ではウランジと呼ばれる竹の子のお酒を飲むことができました。ボトルに入ってラベルもあったのでラベルを取ろうと試みたのですが、これがなかなかの曲者で、しっかり貼り付けされている上、紙が弱く、ボトルがすっぽり入る入れ物を持っていって水につけておいてもなかなか取れず、取れても髪が破れるなどして、悪戦苦闘の末、4本立て続けに飲んでやっとラベルをはがすのに成功して、ヘベレケになってどうやって宿まで帰ったか良く覚えてません。寝ゲロはしていなかったようですが…

 ダルエスサラームは今大停電の真っ最中で、なんでも日本のODAが作った発電所が壊れたとか言うことで直すには日本から部品を持ってこなければならないとか何とか、2週間は続くという話なので、1ヶ月くらい、少なくとも3週間は停電のままのようです。あんなに大都市なのに信じられない話です。まあ。アフリカですから。ザンジバル島は電気は独立してるそうなので大丈夫です。昨日の夜は停電でしたけど。

 余談ですが、今、右目がうまく開きません。開くことは開くのですが、いつも抵抗を感じます。何か瞼に糊でもくっついているよう一部が張り付いているような感覚があるのです。おかしいな、と、今朝鏡を見て観察してみると上の睫毛と下の睫毛が絡まっているのです。上の睫毛も下の睫毛もすべて先のほうが釣り針のように曲がっていて、瞬きをするたびにその上の睫毛と下の睫毛の釣り針が絡まりあって上下の瞼が睫毛2本分の長さより離れるのを妨げているのです。どうしてそうなったかわからないのですが、綺麗に右目の睫毛だけ、それも上下の睫毛の毛先が軽くカールしてしまったのです。左は何の異常もないのですが・・・右目を枕に押し付けて寝る癖でもあるのでしょうか。解決策は簡単で、切ればいいのですが、そっちのほうが弊害がありそうでなかなか思い切ることができないでいます。

 これも珍病奇病のひとつでしょうか?珍病奇病年鑑でも作ってみようかと思ってます。
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by fuji_akiyuki | 2005-10-26 15:58 | マラウィ

脳みそが鼻から出てくる!?@イリンガ(タンザニア)

昨日イリンガという町に着きました。

ムベヤからここまで約340kmほどなのですが、なんと8日もかかってしまいました。
実はムベヤを出て2日目のマカンバコという町で体調を崩して4日間も寝込んでいました。

ムベヤを出てその日から少し熱っぽいなと思いつつまあ大丈夫だろうとあまり気にもせず走り始めたのですが、その日の夜疲れたのか熱っぽくだるかったのでゆっくり寝ることにしました。

2日目、朝はまたちょっと調子が良くなっていたのでまた走ってしまうとその日は向かい風でほとんど1日中上り、マカンバコに着いたときには憔悴しきって熱も出て、これはいかんと思い調子が悪ければ明日は1日休む覚悟でゆっくり寝ることにしました。

マカンバコに着いたその日は疲れと熱の方が気になって気づかなかったのですが、次の日の朝、起きてもやはりまだだるいので今日はここで1日休もうと思って寝ているとどうも歯が痛むことに気づきました。
左の上の奥歯、…歯というより歯の上、歯ぐき??頬?が痛む。
よく探ってみると左の鼻外側から頬にかけてと左目の奥が痛むのです????
いったい何が起こっているのだろう????

そして鼻をかむと左の鼻の穴からタイのイエローカレーのような見たこともない真黄色な鼻水が・・・。
「ああきっと脳みそが融けて出てきてるんだ!もう死ぬのかな?」
そんなわけあるはずもないのに気分が滅入ってる時は考えが悪い方に悪い方に行くもので死の宣告を受けた患者のように凹んでいるところにホテルのスタッフがいきなりドアーを叩いてきました。

ドンドンドン
「 =+? #$%&$^$ R%#**( %)(_{)%$# 」
何言ってるかわかんないよ、チェックアウト?
…9時前、チェックアウトにしては早すぎるし。

ドンドンドン
「%*%$#m #Y%&*I^$ #%YG^I&&%?? 」
ここは全くといっていいほど英語が通じないのです。そして私にはスワヒリ語は通じないのです。

「I don't understand you! What do you want?」
「@^$%@ ^#$@#$%$ %$^@$$@^*$??」
う~ん会話にならない。無視!!

しばらくして諦めたのかスタッフはどこかに行ってしまったようですが、その間も黄色い鼻水は止まりません。病院に行ったって英語ですらこんな症状説明できないし、ましてやスワヒリ語では、と思っているとどこからか英語のできる人を連れてきたらしく
「部屋を掃除したいから出て欲しい」
という内容のことを言われました。
まだ9時前だよ?そうも思ったのですが喧嘩する気もなかったので
「今日は体調が悪い、1日寝てたいからほっといてくれ宿代は後で払いに行くよ。」
という内容のことを伝えると引き取って行ってくれました。

それからはこのわけのわからない病気との闘いで、毎日大量の鼻水が出て1日にトイレットロールが1本なくなる始末。左顔面の痛みはだんだん和らいではいるものの、鼻の横だけやけに痛みが増してきます。


寝込んで3日目の朝、先の英語をしゃべれるスタッフが病院が近くにあるから行ってはどうだと誘ってくれたのですが、アフリカの病院はなかなか信用できず、バマコの時のように大して診察もせずに処方箋だけ持たされて追い出された例もあるし、ガーナでもわけのわからない血液検査をされているし、様子を見てなるべく病院には行かない方針で彼の提案を丁重にお断りしました。それでも気遣ってくれたのはありがたかったです。

とにかくマカンバコ5日目、鼻の横が痛むのは鼻のかみすぎだということが判明しました。何で黄色い鼻水が出るのかはわかりませんが、とにかくあまり鼻をかまなければあまり痛まないことがわかり、それからはなるべく鼻をかまず、かと言って啜らず(啜るとバマコの二の舞になるので)どうしても鼻をかみたい時はやさしくかむように努めているとその日の午後にはかなり痛みもなくなり、マカンバコ5泊でようやく走れるようになり、やっとここイリンガに到着したしだいです。

マカンバコには5泊中4日間はほとんど寝て過ごしました。マカンバコには冷たいビールもなく、なぜか冷蔵庫があってもコーラは冷やしてもビールは冷やさないというちょっとわけのわからない町、何の楽しみもなく、特に食事が単調でどんどん食欲を失っていくのが辛かったです。

ここイリンガは大通りから外れること3kmずっと登るのですが、着いてみると結構大きな町で、実は気に入ってます。またここには筍ビールがあるということなのですが、探してみようと思います。

それにしても病気はもうこりごりです。それも病名もわからないような珍病奇病にばかりかかるのは何故でしょう??

とにかく生きています。

昨日は、朝、私を抜かした大型2両連結のトラックが、30kmほど行ったところで道を塞ぐように派手に横転してました。でも私はとりあえず生きてます。
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by fuji_akiyuki | 2005-10-14 16:39 | マラウィ

タンザニア入国@ムベヤ(タンザニア)

なんとかタンザニアにもぐりこむことができました。
昨日は大地溝帯を登り、標高1800mのムベヤという町に着きました。
タンザニアは本当に英語が通じないのでスワヒリ語を勉強しなければならなそうです。昨日はハチの大群に追いかけられ、頭が赤く、胸・腹が黒い変な虫に追いかけられて散々でした。それもこの得体の知れない黒虫はなぜか2匹でくっついて飛んでくるので一見とても奇妙に見えるので怖くて仕方なかったのです。どうも交尾をしながら飛んでいるようです。

マラウイのリロングウェを出てからマクレアー岬というところで二週間も滞在していました。ダイビングのコースをとっていたのです。結局レスキューコースまで取って、ずぶの素人が人を助けるまでになってマクレアー岬を出て、マワウィ湖を北上し、今に至ります。
タンザニアでは銀行からお金を引き出すことができなくて、結局今日は残り少なくなった米ドルを両替するはめになってしまってちょっと現金が少なくなり、心細くなっているしだいです。
ダルエスサラームに行けば引き出せるそうなので、早いとこダルエスサラームに向かいたいところです。 タンザニアはマラウイに比べて物価も安く、食事が1米ドルを切るのが助かります。マラウイも宿代が安かったのでかなり助かったのですが、タンザニアはそれに輪をかけて食事まで安いので助かっています。タンザニアもマラウイも米がおいしいので食事は楽しみです。タンザニアにはウガリというトウモロコシの粉を水でこねて蒸したような食べ物がありますが、これはアフリカの大抵の国にあり、呼び方がそれぞれ違うようです。マラウイ、ザンビアではこれをシマと呼んでいたのですが、やはり日本人の私としては米がおいしいです。
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by fuji_akiyuki | 2005-10-04 19:31 | マラウィ

1タンバラって…@リロングウェ(マラウィ)

 リロングウェにはshopriteという、南ア系列の巨大スーパーマーケットがあります。おつりもしっかりくれて流通していない小銭は切り捨ててくれたり、とても便利で気持ちのいいスーパーマーケットだとここに来るまでは思っていました。
 マラウィの通貨はクワッチャといいます。1k≒1円と考えてもらえればいいのですが、このShopriteの価格は129.99kとか、58.99kとか、クワッチャの下の単位まで表示されています。
 いくつかものを買うとレジで456.78kとか出てきます。そこで500kを出すとおつりは
43.22kとなるわけです。0.22k?そんなものあるのか?

 あるんですね。このクワッチャの下の単位はタンバラといいます。そして0.22k=22タンバラは10タンバラ玉2つと1タンバラだま2つがかえってくるわけです。
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 きちんとおつりを返すShopriteの精神はありがたいのですが、このタンバラ、ほかでは流通していないし、第一1タンバラっていくらか考えると・・・

100タンバラ=1k≒1円なので、1タンバラ≒0.01円
誰も価値を感じないので1タンバラ玉はShopriteの床に転がっていたり、道端に転がっていても誰も拾わなかったり散々な扱われようです。でも1タンバラ製造年が書いてあってほとんど2005年。今年製造でいつもピッカピッカしています。0.01円でこの硬貨を作ると間違いなく赤字なのでは?と思うのですが、銀行はせっせと1タンバラ玉を作ってきっとShoppriteだけがこれを使ってお釣りとして世に流通させているのです。そして落としても誰も拾わない1タンバラ玉はきっと短命で・・・なんか悲しくなります。

 ところで今日はイミグレーションにヴィザの延長に行ってきました。30日しかなかったので、あと30日もらおうと思い、そう説明したのですが、散々待たされて、自転車で旅行しているので帰りの航空券がないといったら自転車をもってこいといわれ、自転車を持っていったら今日からまた30日くれました。結果的には10日間だけ延長されただけでした。
 大概こういったお役所の人間とか権力のある人間は散々威張り散らした挙句、結局人の話は聞いてないし、仕事は遅いし、要領は得ないし、30日しかくれないなら初めからそういってくれればまたで直すのに。と思って腹の立った一日でした。

 明日、リロングウェを立つ予定です。
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by fuji_akiyuki | 2005-08-29 21:02 | マラウィ

九死に一生@リロングウェ(マラウィ)

マラウィの首都リロングェに到着しました。
ここに到着したのは3,4日前の話ですが、その到着した日、ここより50kmほど西の町からリロングェまで走ったわけですが、この日、私は危うく大惨事に巻き込まれるところでした。

 スタートしてから15kmほどで最初の休憩をとりました。普段なら最初の休憩は30から40kmは走ってからとるのですが、その日はとてもとても向かい風がひどくて15kmいったところで疲れてしまったわけです。
 その休憩を切り上げて再び走り始めた直後、対向車線を快調に飛ばしてきた乗用車が私とすれ違った直後バタバタバタと変な音を出し始めました。何だと思って振り返ったときには、その車は、対向車線(つまり私の走ってきた車線)を突っ切って反対側の路肩に落ちて横向きに一回転して大破しました。もし5秒遅く休憩を切り上げていたらと思うとちょっと生きた心地がしませんでした。

 事故の原因はタイヤのバーストだったようです。古いタイヤをそのまま使っていたのか、もしくは路上に何か落ちていたのかのどちらかでしょうが、たぶん前者でしょう。路上は結構綺麗なものでそれほど物が落ちていることもないし、車のメンテナンス不足は目に余るものがあります。特にバスなどはフロントガラスにひびの入っていないバスはないのではないかと思われるくらいいつでもひびが入っているし、スピードメーターの動く車は見たことがありません。車検がないのでしょうがないのですが、これでは交通事故はなくならないなと思いました。

 ところでマラウィに入って思ったことですが、この国は「Give me my money」がとてつもなく多いです。それもMY MONEYとくるところが腹が立ちます。いつ私がお前の金を取ったのだ。と思うのでいきなりそういってくる輩はすべて無視です。この旅行では、いきなりお金やものを無心しようとしてくる人は無視する方針で旅を勧めてきたのですが、 この国ではほとんどの人が無視の対象です。ここともっとひどかったのはレソトですが、いきなり金をくれなどといわれるとお前には自尊心も誇りもないのか、と説教をしたくなります。特に外国人旅行者や外国からの協力が多い国にそういう傾向があるようです。ガーナなんかもそんな国のひとつでした。
 たぶん日本人は人に物をねだることを恥ずかしい行為だと教わってきているし、ましてや初対面の人間にそんなことを言ったら乞食かきちがいでしかないと思われるのではないでしょうか。
 だから私は、いきなり「give me my money」などといわれると無性に嫌悪感が沸いてきて、時に怒りを覚えてしまいます。特に子供たちがまるでそれが当たり前のように何十メートルも離れた場所から大声で「give me my money, give me my money!!」 と連呼して、ほっとく大人たちや、一緒になってお金をねだる大人を見ているとムシズが走る思いがします。
 これは都市よりも田舎に多い傾向です。都市ではこれをやるのは多くが乞食です。たぶん町では外人旅行者(特に白人だと思うのですが)がチップなどをばら撒いて、外人はお金をくれるという噂が回るとこうなるのでしょう。誰でもきっといきなり金くれなんていわれるといやな気持ちになるので実際に外人と接することの多い都市部の人はいきなり金をくれなんていってこないし、荷物を運んだり道案内をしたりしてチップをもらおうとしているようです。たまに押し売り的な場合もあるのですが。
 しかし、「外人はお金をくれる」という噂が広まると、外人と見ればお金をせびる、物をねだる。こういう人が多くなるのはあまり気分のいいものではありません。もちろん金をくれといきなり言ってきたって誰もあげないだろうし、気分を害して逆効果なのですが、彼らにはそれが理解できない。そんなこと説明して歩く気はまったくないので、私は断固としてこういう人には絶対善処はしない、口も利かないと固く誓っていこうと思っています。これが私の意思表示です。

 ついにアフリカの最大の見所、大地溝帯に到着したはずなのですが、まだ山という山は出てきてません。ここからマラウィ湖にかけて少し山があるようですが、それが大地溝帯の山なのでしょう。マラウィ湖は紛れもなく大地の裂け目のはずなので。

 このあたりはプレートが生まれる場所で海底だと海嶺といわれる地形になるのですが、でかいのが大西洋の真ん中に走っています。これが地上に出てきているところは珍しいようで、ここから将来アフリカ大陸が2つに割れていくようです。

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 で、ここがなぜアフリカ最大のみどころかというと、この大地溝帯、溝なのですが、溝の両脇が高い山になります。地下からプレートがせりあがってきている部分だと思うのですが、この山脈のおかげで人類が誕生したのではないかといわれています。この高い山脈が西からの湿潤な空気を妨げて山脈を越えた空気は山脈の西側にすべて雨を落としてしまい、山脈の東側は乾燥し、森林は消滅し、人類の祖先(チンパンジー?)は木の上での生活から草原での生活を強いられ、もともと2足歩行に近かった人類の祖先は4本足に戻るより、立って歩くほうに進化したのではないかという説が有力だと聞いたことがあります。

 この大地溝帯ができなければ人類は誕生しなかったのでしょうか。

 私はそうは考えません。人類は生まれるべきして生まれてきたのではないかと思います。大地溝帯がなくとも人類の祖先は森を追われ、もしくは抜け出して人類に進化したでしょう。ただ、それが大地溝帯のおかげで少し早まっただけなのではないかと考えます。
 
 生命の目的が何なのか、個体で見れば生きること?種で見れば子孫を残すこと?生命全体で見れば生命の脈々と続く流れを途絶えさせないこと?目的かどうかはわかりませんが、とにかく生命はこんなことに躍起になっているように思います。その流れを汲めばなぜ人類が生まれて文明を発達させてきたのか、おぼろげながら見えてくるような気がします。人類はある目的のために誕生させられたのではないかと思っています。生命はしたたかに、生き延びるために人類を道具に使うために作り出したのではないかと思います。
 その意味では人類の誕生、そして文明の発達は必然であったように思います。

 まあその話はまたいずれします。 

 これからスキューバダイビングのライセンスでも取ろうかなと思っています。
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by fuji_akiyuki | 2005-08-25 16:38 | マラウィ