カテゴリ:パキスタン1( 5 )

いざ、インドへ。@ラホール(パキスタン)

ラホールフォート。
ラホールの観光スポットです。
大して行く所もないので言ってみました。

200ルピー(3ドルちょっと)」
とチケット売りが言ってきました。
来る前から知っていたし、高くは無いので払う気満々で来たのですが…。
”Local 10”
”foreigner 200”
これを見たとたん。入る気をなくしました。

ばっかじゃないの?なんで現地人の20倍も払わなきゃなら無いの?
というとチケット売りが
お前は外国人だからだ。
アホくさ、やめたやめた、帰ろう。
というと
わかった100ルピーで良いよ。
ちゃんとチケットもあるのに何故か下がりました。それでもあんまりにも腹が立ったので、
もういいよ。二度とこないから
と言って帰ってきました。


なんかこう、パキスタンってちょっとアフリカに似てるんですよね。
たとえば
 ・物を頭を上に乗せて運ぶ。
 ・そこら辺にごみを捨てる。
 ・やたらとつばを吐く。
 ・切手がやたらとでかい。
 ・外国人料金があって、信じられないくらい高くて、ローカルの20倍とか30倍とかしてる。
 ・人呼ぶときにスッスッって、歯の間から空気をはいた音を出す。
 ・店やレストランに何もしてないスタッフが多い。
 ・レジにバーコードを読み込む機械があるのに何故か機能してなくて半分以上バーコードの下のナンバーを人が打ってるような、便利な機械があるのに使い方を知らなくて、逆に不便になってる。
 ・インターネットがやたらと遅い。
 ・意味のわからないルールがある。しかも厳密に守られている。

などなど…。
細かい所も数え上げるといろいろありますが、色々とアフリカに似ています。

昨日、部品が届いて、今日は部品の交換と出発の準備をして、明日はインドに向かいます。
その予定です。

インド。初めてです。良くも悪くも旅行者の間で一番噂の多いインドです。
どんな国なのか、楽しみでもあり、不安でもありますが、
色々聞くうわさを聞くと、無茶苦茶な所が、なんとなくアフリカっぽいな。と思うことが多いです。

インドは人によって言うことがばらばらですが、パキスタンにちょっと似てるという人もいるし、全然違うという人もいます。

でももし似ている所があるとするなら、きっと、それはアフリカっぽい所じゃないかなってちょっと考えています。

とにかく、インド。多くの旅行者をひきつけて、好きになって、住み着いてしまう人、嫌いになって、もう二度と行かないと宣言する人。

いったい私はどうなるんでしょう。

明日が楽しみです。
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by fuji_akiyuki | 2006-12-03 04:25 | パキスタン1

ダハブナイトinラホール@ラホール(パキスタン)

荷物は来ないし、ちょっと日本人も多かったし。

ついつい

いや。私が誘った訳ではないのですが…。
ダハブのことを知っている人もいて…。

始まってしまいました。ダハブゲームが…。
男ばかり12人も雁首揃えてゲーム。
結局昨日は朝まであいつがキングだ、こいつは違う。のくりかえし…。

やばいです。この展開。
しかもひとりやったらうまいヤツがいて…、
人の良さそうな顔してきれいに人をだます悪魔のような男。
そんなのがいたら止められませんよね。

ああ早く荷物来ないかな。
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by fuji_akiyuki | 2006-11-30 18:39 | パキスタン1

スーフィーナイトinラホール。@ラホール(パキスタン)

第1夜 水の色…透明(これ、普通)。

クエッタであった旅行者にも勧められた木曜日の夜。

スーフィーナイトinラホール。

スーフィーとはもともと何か宗教的なものらしいのですが、ワンピースのスカートのようなすらっとした服を着て、長時間ぐるぐる回って、スカートのような服がぱっと広がって、そんな人たちが回りながらいろいろと動き回ることで有名な踊りです。とにかく回る。回る。回る。

始めてみたのはカイロでした。カイロはただで見られるダンスということであまり期待せずに行ったのですが、大音響の音と音楽の中で、完全に組み立てられた無駄のない踊りとメリハリのある動き、とにかく圧巻されるばかりで、その中で、ダイナミックに回る踊り子は休むことなく回り続けながらも、観客をひきつけて飽きさせず、回りながらタンバリンを打ち、衣装を変え、回転したときに効果的な色彩のスカートをダイナミックにまわしたりするとにかくこれがただで見られることが信じられないすばらしい踊りでした。

カイロで見たスーフィーはそれはそれはすばらしいものだったし、クエッタであった旅行者も絶対お勧めということだったのでかなり期待してスーフィーに臨みました。

宿に泊まっている宿泊客もほとんどがスーフィーナイトに出かけます。宿の人もいつものことらしく、タクシーを何台も捕まえて、次々に会場に送り込みます。タクシーに連れて行かれたのはモスクのようなところ。もう会場はいる前からマリファナ独特の甘ったるいにおいがただとってきます。そのあたりからいやな予感はしていたのですが…。靴を脱いで中に入っていき、とてつもなく狭い会場に体育座り。しかしスーフィーを踊るようなスペースはまったく見当たりません。

いったいどこでスーフィーを踊るんだろうと思っている間にもどんどん人が入ってきて、会場は飽和状態に。そして、そこらじゅうで、マリファナを吸い出します。マリファナは会場中の人にどんどん回っていき、一度に5本ものジョイント(タバコにマリファナを混ぜたもの)に火をつけて、当たりかまわずみんなに回して歩くものとかまで出てきます。ときどき、わけの分らないことをわめいて会場が盛り上がることもあるのですが、言葉の分らない私には何で盛り上がるのかが分りませんでした。

私はマリファナはもちろんタバコも吸いません。そんな私にはスーフィーナイトの会場はパチンコ屋か雀荘のごとく煙たくなってきて、頭が痛くなってきます。まるで、焚き火のときに間違って風下に行ってしまって煙に巻かれてしまったときのように居心地が悪かったです。

そのうち太鼓が入ってきました。太鼓は二人、入ってきたときは回りは大盛り上がり、そして、太鼓の演奏が始まりました。太鼓の演奏ははじめこそ大音響ですごいなと感じていたのですが、変わり映えのないリズムを繰り返すばかりで、だんだんと飽きてきます。ずうっと同じビートで大して盛り上がることもなく変化のない同じリズムが続きます。そのうち決まってるおじさんが一人踊りだしました。周りでも決まってる人は頭を狂ったようにたてや横に振ります。そんなただただけたたましいだけの太鼓と、酔っ払いの踊りで、3時間経過。決まってる人には面白いのかもしれませんが、正気の私には端から見ていてもまったく何が面白いのか理解できません。ただただ、煙たい中で決まってる人たちを見ているだけ、ばかばかしくなって帰りました。

その夜、あまりにも煙を吸いすぎたらしく、苦しくてくるしくて、何度も首を絞められる夢を見ました。


第2夜 水の色…

一日昨日の煙のせいで苦しくてしょうがありませんでした。そして、のどまで痛くなって踏んだりけったりです。

そんな一日も終わろうというころ、夜になって、現地人っぽい人の集団が宿にどやどや入ってきました。

なんだろうこの人たち!? と思っていると、屋上のロビーのようなスペースからいすと机が取り去られて、ござが敷かれ、ござの片側にさっきの現地人の一団が座り、反対側にわれわれ宿泊客が対面するような形で座らされました。

何が始まるのかと思ったら、太鼓1こと、アコーディオン2台が用意されて、音楽が始まりました。

総勢12人。前列に座った5人のうち二人がアコーディオンを弾き、両端と真ん中の3人がメインヴォーカル。後列の真ん中一人が太鼓担当で、後の人は歌と手拍子。
 
民俗音楽、フォルクローレのようで、楽器はシンプルなのですが、この音楽がすごかったです。

まずは肉声の大きさに圧倒され、しかもその巧みにコンビーネーションのとれた、完成された音楽のものすごさを感じました。

左のおじさんがあるパートを歌い終わりそうになると、それにかぶせるように真ん中の人が歌い始めます。歌い始めたかと思うとまったく違うパートを右に人が歌いだす。しかし、それぞれ違う歌声は完全にシンクロしてまったくミスマッチを感じません。

本当に巧妙に、変化に富み、まったく予期せぬところから歌声が飛び出してくるにもかかわらず、その歌声、手拍子、太鼓、アコーディオンはすべてが溶け合っていて、違和感を感じることがありません。

そして何よりも増して、演者の真剣さがびんびんと伝わってきます。練習されつくして、完成した音楽、そして、それを本番でミスしないための尋常でない集中力、真剣な目に引きこまれていくようです。 やり直しのないこういう演奏で、ぼろを出さずに作品を完成させるには一瞬たりとも気を抜けません、そうした緊張の意図がぴんと張り詰めた真剣さに、楽しげでありながら、ものすごい希薄を感じました。カイロのスーフィーで感じたものと同じでした。

どうも私はこういうのに弱いらしく、真剣にやっている人を見るのは結構好きだったりして、中学校の文化祭のときの演劇部の舞台でも感動したりするところがあったりするのですが、でもどんなジャンルにしても、真剣なところを見るのっていいものですよね。特に舞台とか音楽とかはそのときが勝負のライブ性が強いだけにその真剣さは並外れているように感じます。

久しぶりにいいものが見られたような一夜でした。何の前触れもなしに、突然のサプライジングだったのも感動に拍車をかけているのでしょう。

対照的な2夜でした。


翌朝 水の色…

完全に呼吸器系をやられてしまったようで、のどが痛くてしかたがありませんでした。朝には鼻水まで出てきて、この日一日でトイレットペーパーが1ロール鼻をかむのに消えていきました。スーフィーナイトの煙の代償は大きかったようです。
そのまま風邪を引いたようになってしまいました。


今朝 水の色…透明

やっと戻った。そう、何の意味をしているのか、と思った人もいらっしゃるでしょう。「水の色」です。2年半も旅してきてこんな経験は初めてでした。

なんとこの宿、水に色がついてました。しかも来た初日は普通だったのですが、二日目に青。次の日はいきなり赤に変わりました。

水道の蛇口から青い水が出てきたらびっくりですよね。しかも一日青かったものが次の日になったら赤くなるんですよ。下手なB級ホラー映画より怖いです。リアルに蛇口から赤い水が出てくるんですよ。しかもきれいに青や赤の色がついています。青はよくトイレのタンク入れる洗浄剤のような鮮やかな青い水でした。赤はそれの赤い版のような感じでした。そんなんでシャワーなんて浴びたくないし、手だって洗いたくありません。しかもその水を飲むなんてもってのほかです。

なんて思っていたら今日の朝になったら透明な水が出てきました。透明だから大丈夫だろう今日はその水を沸かしてコーヒーを飲んでいる自分の神経もかなり信じがたくなってるな。と感じずにはいられませんでした。

鼻はまだ調子悪くて、今日もトイレットペーパーが1ロール消えていき、鼻のかみすぎで鼻の下が痛くなってきました。
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by fuji_akiyuki | 2006-11-27 01:00 | パキスタン1

涙チョチョ切れちゃうよ。@ラホール(パキスタン)

バンっ

鈍い音がして、車体を軽い衝撃が走りました。いったい何の音だろうと前を見るとフロントガラス一面に水色の網目模様が…水?

最初、対向車が水をはねて、それがフロントガラス一面にぶちまけられたのかと思ったのですが、当然流れ落ちるはずのその網目模様はいつまでたってもフロントガラスにへばりついたまま。そう、対向車が跳ね飛ばしたものは水ではなく、石で、フロントガラスにへばりついているのは模様でなくてヒビ。

車のガラスは割れたときに人が怪我をしないように粉々に割れるように作られていると聞いたとこがあるのですが、そのとおり、フロントガラス一面に一瞬にして細かい網目状にひびが入って、まるでくもりガラスのようになったのです。

ミニバスのドライバーはそんなフロントガラスのぼやける視界越しに運転を続行。ここでフロントガラスが割れたら寒いだろうし、かといってこのまま運転されるのも怖いなと考えていると、道路の凹凸に車体が揺れたとたん。

ガシャーン

と大きな音を立ててフロントガラスは粉々に砕け散ってしまいました。
この日は涙チョチョ切れる一日になりました。

クエッタを出て山道に入ると天候は悪化し、毎日のように雨。標高も高くなり、信じられないくらいの寒さ。


11月15日
クエッタを出たその日は夏は避暑地として有名らしい、ジアラットという町に向かいました。

しかし、そこまで行くのに地図には載ってる近道が探し出せずに遠回りをしてしまい、その日のうちにジアラットには到着できないなと諦めて、その前の町でとまろうかと考えているところに通りがかったポリスの車に
乗れ
と言われ、今回はこれ幸いと乗せてもらって最初予定していたジアラットまで乗せてもらいました。

それにしても、ジアラット。寒い。標高は2600mあると言います。
泊まったホテルは多分ジアラットで一番いいホテル。警察につれてこられて結構強制的に放り込まれ一泊8ドルもする宿に泊まらされることになってしまいました。しかもそんなに高いのにお湯は出ず、ジアラットは村で何もなく、寒さは東京の冬並みで、ベッドから出ることすらできずに1泊。

翌日は大雨。それでもう1泊。シャワーも浴びれず。


11月17日
2泊するとちょっと青空現れて、ここにいてもしょうがないからとチェックアウトをするとホテルのスタッフがちょっと待て。と私を引き止めました。
しばらく待つと警察が…。

結局警察の車に乗せられて100kmほど行った、ローラライと言う町に強制連行。しかもローラライでは警察署に収容され、市内観光も警察の護衛つき。

一度どうにか警察を振り切って、一人で警察署を脱走。ほんの10分もしないうちに警察に捕まり、警察署から警官が一人派遣されてきて、また護衛と称して、私の後をついてくる始末。なんかあんまり楽しくないです。

どうも自由に動けない。


11月18日
次の日、ローラライを出るときに護衛と称してバイクが自転車の後ろをついてきました。でもこの日は15kmほどして、そのバイクがいなくなり、そこからは一人で自由に走ることができました。クエッタを出て自由に走れたのはこの一日だけでした。

この日は久しぶりにきれいに晴れて、護衛のバイクがいなくなってからは一人で走ることができたのですが、50kmほど行くと舗装路はダート道に変わり、60kmほど行ったところで橋が落ちていて、膝くらいまである川を自転車を押して渡渉。そのほかにも何度か小さな川の渡渉があり、ちょっとつらい一日となりましたが、80kmほど行ったメフタールという村のガソリンスタンドにとめてもらうことができて一安心。しかしこの日も夜から雨が振り出してきました。


11月19日 涙チョチョ切れちゃうよ
どうもこの山岳地帯はこの時期雨が多いようでこの日も雨が降ったら車を探す。晴れたら自走、この村に2泊はしないと決めていたのですが、残念ながら雨。と言うことで朝から車を探していました。

パキスタン特有の派手派手なトラックは何台も行くのですが、大体が荷物を満載しているし、トラックは荷台を開けるのがやったらめったら大変そうで、頼むのは気が引けるため、ミニバスか、空のピックアップに焦点を絞って探していたのですが、なかなか車も見つからず、雨脚は朝から強くなったり弱くなったり。雨脚が弱くなるともう面倒だから自走してしまおうかと考えることもあったのですが、この日ばかりは自走しなくてよかったと思いました。

しぶとく粘って、どうにか11時くらいにミニバスを一台捕まえることに成功。
もう後は楽勝だろうと思っていたのですが、これが大間違い。

ミニバスのドライバーも乗客もいい人ばっかりだったのですが、走り出して30分もしないうちに渋滞につかまりました。渋滞?こんな山道で?
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そう、この山道、雨が降るととんでもなく道がぬかるんで悪くなります。晴れいてば問題なさそうなのですが、道がぬかるんで、車の通れる道幅(つまり車が走れるコンディションの道幅)が狭くなっていたようで、これに加えてあの、パキスタン特有の派手派手トラックが横転。そこへ持ってきて両方向からどんどん車がきて、立ち往生して、にっちもさっちも行かなくなったようです。
 どう考えてもどっちかが下がらなければもう動かない状況になって、こちら側がすれ違える場所まで下がって対向車を先に行かせることになりました。

賢明な判断ではありますがちょっと実行に移すのは遅かったようで、対向車もコンディションの悪い中をそろそろとミニバスの横をかすめて行きます。立ち往生している間にもどんどん後続車が来てしまったようで、100台くらいのトラックがゆっくりすれ違っていくのを待って、やっとこちら側の番になったと思ったら、ぬかるみにタイヤをとられ、大雨の中、全員でミニバスを押す羽目に。

こんな片側交互通行みたいのが何度かあって、ようやく道がよくなったところでミニバスがパンク。パンクを修理している間に昼食をとり、気を取り直して出発すると今度は綺麗な峠道、登りはよかったのですが、くだりになって、また未舗装で、落石がごろごろしていて、時々工事車両が崩れたのか、崩れかけているがけを崩している現場で作業待ち。こんなところで石なんて降ってきたらと思うと本当に今日は自転車じゃなくてよかったと選択の正しさをかみしめてどうにか峠を抜けて後は平地を次の目的地DGカーンと言う町まで突っ走るだけ。

と言うときに
前述のフロントガラスの割れる事件に。

バスの旅ってこんなに大変なんだ!と思った矢先、割れたフロントガラスから入ってきた風に乗って、土のにおいと、どこかの屋台からにおってくる料理の香ばしい香り、それにいろんなにおいが混ざり合った空気が入ってきたときに、ああ、いつも自転車に乗ってるときに感じるにおいを思い出しました。

このにおい…町に入ってほっとしたときのにおいです。フロントガラスが割れてきっとへこんでるに違いないドライバーには申し訳ないのですが、実はそのにおいを感じたとき、なんか心底心地よい気分に浸ってしまいました。

で、たったの200km弱なのに7時間くらいかけて、ようやくDGカーンについて、いろいろあったけど面白い一日だったなと回想しながらホテルを探したのですが、ここでまたひと悶着。

なんとこのDGカーンと言う町、外人が泊まってはいけないと言う、またこれわけのわからないルールが存在したのです。

そんなこんなで警察の偉そうな人が来て、私は警察の車でムルタンと言う町まで強制連行されてしまいました。

しかもこの警察の車、管轄ごとに乗り換えなければならず、たったの100kmで5回ほど車を変えました。ムルタンについたのは11時。本当、涙チョチョ切れる一日でした。

それにしてもこのわけのわからないルールがあったり、ごみをその辺にポイ捨てしたり、やたらとつばやらたんやらを吐いたり、頭の上に物を載せて運んだり、切手がやったらとでかくて、しかも変な値段の切手しかなかったり、客より遊んでる従業員のほうが多いスーパーマーケットがあったり、なんかいろいろアフリカっぽくて面白いです。でも食べ物がおいしいのは救いです。

今はまた強制連行されてラホールにいます。
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by fuji_akiyuki | 2006-11-23 20:05 | パキスタン1

music addicted@クエッタ(パキスタン)

360°の地平線に囲まれるとまるでそこだけが円形に世界から取り残された錯覚に陥ります。
視界に入るのは空と太陽と地平線まで続く大地。そして地平線まで続く黒く光るアスファルトの道。
風が吹き付けて、砂が舞い、朝、赤い太陽が南東から昇り、だんだんと位置を南に変えるとともに黄色、白色に色を変えて、南中してからは西に傾き出し、色も朝の逆をたどって、南西に沈んでゆきます。
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Photo: FUJI Akiyuki(南米:チリ)

世界はかくも単調に、シンプルなルーチンだけを何億年と繰り返してきたかのように、ただ、ただ、静寂のうちに一日を繰り返します。

アスファルトの上をペダルを踏みながら進んでいても変化のない景色と、いつまでたっても届かない地平線が私に進んでないような印象を与えます。

世界は切り取られた円盤だけになり、いつまでもそこから抜け出すことは出来ない。どこに向かって走ってもきっと地平線まではたどり着くことが出来ない。そんな恐怖にも似た感覚に取り付かれそうになります。

地平線は実はたったの4~5km程度。つまり、自分を中心とする半径5kmの円の中に何もなければ地平線に囲まれた大地は完成し、さらにその周りにたかい山や丘がなければ地平線の向こうにみえるものありません。

しかし、実際に地平線の先まで何もみえないと世界がそこで終わってるような錯覚を起こし、進んでも進んでも世界の縁までたどり着かないと、まるで円形に取り残された不思議な世界に閉じ込められてしまったような何ともいえない不思議な感覚が湧いてきます。

自転車のサイクルメーターのみが自分が確実に進んでいる事を保証してくれています。それがなかったら心細くて走れるかどうかかなり疑問です。

朝早く出発し、行き着けるかどうかわからない次の村を目指してペダルを踏み続け、昼間は灼熱の太陽に耐えて走り、影を見つけて逃げ込んで、つかの間の休息を取るとまたペダルを踏み出す。日中はこの繰り返しです。

目的の村についたときには疲れ果て、すきっ腹を抱えて、トラックの運転手やバスの乗客相手に生業を立ててる食堂で食事を取ってそのままベッドも何もないただござを敷いただけの部屋にいくばくかのお金を払ってそのまま眠りこけます。そして次の朝にはまた走り出します。

イランのザーヘダーンという町から約90km、国境を越えてパキスタンに入るとそこから600km、砂漠を横断して、クエッタという町まで大きな町もなく、村と村の間隔も長くなります。
村といってもそこは大体長距離を移動するトラックやバスにのる人を相手に食事などをだして生業を立ててる小さなサービスエリアのような場所でしかありませんが。

この辺りはバルチスタンと呼ばれるトライバルエリアで、一般には外国人は入らないようにとされていて、噂には自転車で走ることは出来ないと聞いていました。警察に止められて車に乗せられると聞いていて、私もそのつもりでいたので、走れてしまったことにはビックリでした。いや、実は楽できると思っていたのでがっかりだったのかもしれません。

しかし、実際走ってみると、なんとも久しぶりにサイクリングを楽しんでいる自分がいました。砂漠の真ん中を走るのですが、次の村までは100km以上はなれていて、たどり着けるかどうかわかないし、昼間は殺人的な太陽が照り付けるし、自然環境は決して楽なものではないのですが、景色と、かぜと、空気と、開放感を体全体で感じる事が出来るのは自転車ならではの旅だと久々に思いました。どことなく、西サハラを走ったときを思い出しました。こういう所は長く居れないのもいいのかもしれません。

初めの3日はそんな砂漠の中で、4日目は風が吹いて、砂が舞い、まるで道路の上を濁流が流れているように砂が流れて、ひどいときは100m先が砂煙の中に消えていく始末でした。
しかし、幸運だったのは大半にして風が味方してくれたことでした。今は冬で、日が短いので走れる時間が限られてしまうのですが、風が大体追い風だったので、大体一日のうちに目的地までたどり着くことが出来ました。

一応危ないといわれる地域なので、今回もテントは避けることにしていたので、もし、向かい風なら何度か車を停めることになっていたでしょう。

警察に乗せられたのは昨日、最後の日だけでした。しかもなぜか峠だけは自転車で走らされましたが…。

結局6日かけてクエッタという町に到着しました。
ここに2、3日はゆっくりしようと考えています。


イランを出て。

イランでは結局いい思い出しか残りませんでしたが、ちょっと気にかかる事が一つだけ。

ある家に泊めてもらったときのことですが、そこの主人が
イランは核兵器を持たなければならない。
と言っていたことでした。彼はmustという言葉を使っていました。

私は居候という立場もあって、その時はお茶を濁してしまったのですが…。

やはり、世界で唯一原爆投下を経験した日本人としては世界中からの核廃絶を訴えるべきだったのかなと思いました。ま、しかしそんなことで泊めてもらっている人と言い争ってもなんにもならないしとも思って、結局あいまいにお茶を濁しただけでしたが…。

ただ、中東に入ってから、アメリカやイスラエルに対して反発のデモだったり、ちょっと暴力的な抗議行動が目に付いたり、シリアではヒズボラの旗が所狭しとはためいていたり、テレビではそんなヒズボラの兵士が戦闘をしている映像を流してはそれが英雄のように見えるような作りになっていたり…。
なんかちょっと。戦争をある意味正当化しているような面を垣間見せられてしまった気がします。

何よりも恐いと思ったのが、それが当然のことのように民間の市民が受け止めていることでした。

アフリカの内戦後のどうしようもなくなっている国をたくさん見てきた私としては、戦争なんて破壊するだけで何も生み出しはしないのに。と思わずにはいられませんでした。

戦争を悪いことと思わない。敵をやっつけるためには武力を行使してもよい。そんな考え方が浸透して、当たり前になっている世界に恐怖を感じずにはいられませんでした。

イランがなぜ核兵器を持たなきゃならないのか私にはサッパリわからないし、どうしてアメリカがイランの核開発にちゃちゃを入れることが出来るのかも理解に苦しみます。自分は核兵器を持っているのに。

イスラエルの様な銃を持って修学旅行に行くのも異様な光景だし、武装して、隣人を脅しながら自分の平和を勝ち取らなきゃならない世界のどこがいいのか、全く理解が出来ません。

何よりも恐ろしいのはそんな状況を異常と思わないこと。敵を打ちのめすために戦争をすることが当たり前という考えが染み付いていること、自分を守るために銃を持つことが自然であること。新聞もメディアもそれに疑問の一石を投じないこと。それどころかそれを助長するような報道がなされてそんなこんなに一般市民が疑問を持たないように思想を統一されているのではないかと思われること。

中東。イスラエル。アフリカを見てきて、「あいつらは悪いやつだからやっつけなきゃいけないんだ」みたいな考えをしている人が多いのに疑問と恐怖を感じました。


食事情

パキスタンに入って、どんな貧しそうな食堂からでも結構美味しい料理が出てくるのに感動。
アジアにきたんだなあ、実感させられる瞬間でした。

アフリカも東に入ってから味はほぼすべてトマトベース。中東に至っては焼いただけの肉に塩コショウだけみたいな単純な料理ばかりで、トマトベースのソースすら手に入れるのが困難になり、トルコで、ちょっとましなものも食べられたけど、たいしてうまいものはないなと思っていました。 メニューがどうして、チキンとミート(牛かやぎの肉らしい)くらいしかないのか疑問でした。

ところが、ようやくパキスタンに入って、カレーや野菜のスープや、ビリアニが普通に手に入るようになり、ちょっとしたものでもちゃんと味がついていて、とにかく、ただ肉をやいただけみたいな人を馬鹿にしたような料理が少なくなったことには大歓迎です。

ただ、ダブルクリームチーズはなくなってしまったようですが。

それとちょっと残念なのは、ごみ箱が町から消えたこと。町はどぶの匂いが立ち込めて、ごみがそこらじゅうに散らばっていて、非常に不潔に感じます。イエメン辺りからごみ箱が見つけやすくなったのにまたごみを持ち帰らないといけなくなってしまったのでちょっとわずらわしいです。


music addicted

こうなるとは思ってました。もう結局毎日3本は消費してます。ほとんど一日中ずっときいています。

初めてウォークマンを手に入れたとき、イヤホンから流れてくる音楽が、頭の中で鳴っているようでちょっと違和感があったのですが、それに慣れるとそれこそやっぱり一日中聞いていたのでこうなることはなんとなく分かっていたので今回はそういう物を持たずに出てきたのに・・・

MP3をかって、旅行者に音楽を分けてもらってからというものもう手放せなくなってしまいました。今も聴きながらかいてます。

この調子だと充電器と充電池も買うはめになりそうです。

ああ。もっと曲がほしい。
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by fuji_akiyuki | 2006-11-12 16:30 | パキスタン1