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この世の楽園!?@フンザ(パキスタン)

書きたいことはいっぱいあります。
ちょっとメモを取っただけで、B5の用紙一杯になってしまったのですが、ここはパキスタン。いつ何時停電がおきるかもしれません、いつ何時、接続が切れるかも分かりません。

ということで、カラシュバレーとシャンドール峠についてだけ書きます。

チトラールに到着して、次の日。
洗濯とネット(この日に前々回の長い文章を書きました。4時間ネット屋さんにいました。)。
それで、1日休憩して、カラシュバレーへ。

カラシュバレーは20kmほど来た道を戻ってから分岐を折れてわき道に入ります。
知っていたら、チトラールに行かずに直接行っていたのですが、とある某ガイドブック旅○人の地図によればチトラールからカラシュの分岐まで、約10kmに見えます。そう思っていったのでちょっと損した気分でした。

分岐からわき道に入るとすぐにアユーンという村があって、ここから上る上る。
レソトとか、スワジランドを思い出すありえないほどの勾配。もう物理的に上れなくなる寸前。タイヤと地面の摩擦係数が足りなくて、タイヤがずるずる滑り落ちてしまうような坂です。
でもそんな坂だからこそ、ひと漕ぎひと漕ぎごとに高度を増して、眼下に見えるアユーンの町が少しずつ遠くなります。 そんなことに快感を覚えたり、あまりの坂の急さにたまには理不尽に腹を立てたりしながらようやく旅○人の地図によると(サイクルメーターをなくしているので正確な距離が分かりません)約5kmほどきたところで、ポリスのチェックポイント。

実はここで、チトラールに先に行っておいたことが功を奏します。

カラシュバレーに入るには、ここのチェックポイントで、レジストレーションというのを見せて、入場料を払わなければならないのです。入場料って、動物園ですか!?って感じもしますが。
そのレジストレーションというのが、チトラールのポリスステーションでしか手に入れることが出来ず、私はチトラールの宿に着いたとたん、宿のスタッフに訳もわからず取りに行かされていたので、このチェックポイントではスムーズに事が進んだのです。 ま、なくてもちょっと何か言われるくらいで、何とかなるそうですが。

そんなことよりショックだったのが、カラシュバレーの村まで、12kmと書かれていたことです。
旅○人の地図によると5kmもないはずなのに。

一歩一歩…いや、押してない、押してない。ひと漕ぎひと漕ぎごとに高度を上げていくと、もう嫌、もう駄目。と思ったくらいで、村が出てきます。

いくつかあるカラシュの村でもブルーンという村に行きたかった私は人に会うたびに

 「ブルーンまで後何キロくらいですか?」
 
と訊くわけです。しかし、答えは決まって、

 「あと1km」
 
 絶対ありえない。たまに
 
 「あと5分」

という答えもありました。が、「それは車でだろう!!」と突っ込みたい気分です。

結局後1分を60回くらい繰り返して、目的の村に到着しました。

カラシュはムスリムと違って、女性が綺麗な民族衣装に身を包み、顔出して、ちゃんと会話もしてくれます。 挨拶もしてくれるし、笑顔も覗かせてくれるので、ちょっとほっとします。
 衣装は黒地にスカートの裾と襟、袖に原色系の刺繍が施させていて、袖とスカートの丈は長く、頭に貝やビーズや小さな鈴をあしらい、後ろに垂れ流すような飾りのついた派手な帽子を被っています。

男のほうはというと全然ムスリムと見分けがつきません。

そして、ここに来た最大の理由。
そう。おチャケ
これが今回カラシュの最大の目的。
このためだけに20km戻ったり、これでもかという勾配の坂を上ってきたのです。

一月ぶりのお酒。うまい。本当。うまかったです。

そしてそれをフラスコ(金属製のちょっと曲がった入れ物、よく酔っ払いが持ってるウィスキーとか入ってそうなやつ)に詰めました。シャンドールでいっぱいやるために。

カラシュバレー(ブンブレッド谷)、上り詰めると最後にムスリムの村があります。この村、かなり綺麗でした。 谷の合間にちょっと開けた場所で、緑のじゅうたんの敷き詰められたように草が茂り、ところどころに木もあり、しかも水が懇々と流れていて、本当に楽園のようでした。

しかもまたその水の管理の仕方も凄い。一見無造作な水の流れも辿っていくと木をくりぬいた水路を橋にして、別の流れの上を渡っていたり、谷に降りていく道の横に作られた水路は流れを制御するためか、道を歩く人の頭より高いところに水面があったりとか、途中に水車があったり、とにかくグーニーズに出てきそうなカラクリいっぱいの水の流れが沢山あったり。

上まで歩いてよかったと満足して、カラシュバレーを後にしました。


ま、実際カラシュにいても歩けそうなところは歩いたし、後は宿でゆっくりするくらいしかやることもなくなったわけでして、それでもお酒があれば何とかなりそうですが、これも安いものでもなかったので、退屈して、カラシュを出たわけです。

チトラールも小さいくせに結構車が多くて、ひっきりなしに村のメインロードを車が行き来していて、あまり居心地が良くないので、スペアタイヤだけ買って、すぐにシャンドールに向かいました。

チトラールを出て、40kmほど行ったところでしょうか、ペシャワールでは替えたばかりの後輪のタイヤが駄目になりました。 やっぱりインド製は駄目です。最悪です。タイヤが磨り減る前に横が切れて使い物にならなくなります。ちょっと専門的に言うとリムとあたる部分が弱すぎます。 そして、たった一本しかなかったスペアをいきなりここで使うことになって、かなり心細くなってしまいました。

自転車のトラブルで言うなら、もう少し深刻なトラブルが起き始めていました。
チェーンが伸びて、ギアの歯とうまくかみ合わなくなってきていました。大きなギアから使えなくなっていきます。 このときすでに後ろの一番大きな歯(一番軽い)は使えなくなっていました。

1日目はブニという村。ここまで舗装。

で、ここからが凄かったです。2日目からずっとダートになるのですが、ある村ある村が全部風の谷。ナウシカに出てきそうなむらばっかりです。

荒涼とした山肌に突如谷が広く割れて、緑の宝石のような村が、点在します。所々にポプラが植わっていて、村に入ると綿毛が飛んできます。何か、本当に夢の中にいるようでした。

ただ…子供達は私を見ると
 「pen,pen,pen!!」
と叫ぶのが残念でした。


一歩間違えば谷底に真っ逆さまみたいな危険な難所もあったり、急流の上にかかる危なっかしい橋を越えてみたり、谷底に流れ落ちる水の流れが道路を横切っていたり、千差万別の顔を見せる峠道を一歩一歩…いやいや、ひと漕ぎひと漕ぎ、高度を上げて上っていきます。

途中、そんな緑豊かな村で休憩したり、木陰で休んだり、沢の水で喉を潤して、上り坂や照りつける太陽と戦いながら上っていきます。 高度を上げるにつれて、酸素は薄くなるようだけど、空気は澄んで、涼しいものになり、すがすがしさを実感できるようになります。

なんかやっぱり自転車でよかったと思います。バックパッカーの皆さんには申し訳ないですが、バスや車で越えるよりきっと100倍気持ちがいいです。 本当に、これは自転車の醍醐味だと思います。

マスツージという村で一泊して、峠を目指します。

3日目、マスツージから峠まで42km、でもこれがつらい。
30kmのところにソーラスプールという村があるので、そこで1泊することも視野に入れながら、上ります。

この日、いきなりスポークに挟まった拳大の石が前輪のマットガードをグニャグニャにしてしまいました。 何とか、走れるくらいに修復しておいて、ソーラスプールに着いたら12時30分。 残り10km。 このまま行けるだろうと、ここで昼食をとって峠まで行ってしまうことにしました。

で、昼食。おじいさんに
 「いくら」
と訊くと
 「40ルピー」
といわれて、注文して、食べ終わると子供が出てきて、
 「70ルピー」
と言い出した。
来たよ!ここはアフリカかっつうの!!
 「40ルピーって言われたんだけど。」
 「70ルピー」
ちょっと怒って見せると
 「50ルピー」
下げる気はないようなので、無視して払わずに出発。

さすがに子供もビビって追いかけてきて、
 「40ルピー」
と言い出した。
 
勝った。
 
でも私は50ルピー札しか持ってません。そして子供はおつりを持ってません。

 「40ルピーはいいよ。でもおつりの10ルピーがなきゃ払えないじゃん。」

子供は困った顔をして、
 「50ルピー札くれ、お釣りは後で持ってくるから。」
もし、50ルピー札があれば近くの商店で両替をしてもらえるからそう言っているのは分っていたのですが、
 「いやだ、お前に50ルピー札渡しても、お釣り持ってくるかどうか分らないじゃん。現にもうお前はうそついたし、信用できない。10ルピー札持ってこなければ払わない。」

信用がないんです。

つまり、元手の50ルピーがなければ誰もこの子供に10ルピーを貸してくれないのです。だからまず、お客からお金をもらっておかないと困るわけですが、ご近所さんなら貸してあげればいいのにと思う所です。よくアフリカでもありました。

子供は泣きそうな顔で走って帰って、10ルピー持ってきました。

そこから10kmひたすら上りです。しかも空気が薄くて、全然自転車が漕げません。
いつもなら難なく上るはずの勾配も全く上れません。すぐに息が続かなくなります。

どうも3000mを超えてくると呼吸がつらくなってくるようです。激しい運動をするとすぐに息が上がります。頭痛や吐き気は多分4500mくらいからみたいですが。
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とにかく上れない。だんだんもうどうでもいいやと思って、自転車を押して上り始めました。
10kmくらい何とかなるだろうぐらいの勢いで、押したのですが、サイクルメーターなし、時計もなし、で、かなり来ただろうと思ったところで、峠まで5kmのキロポストが…。

やばい。まだ半分。しかももう、太陽は山の陰に入りそう。シャンドール峠の高さは3720m藤さん、あ、もとい、富士山と大差ない高さ、こんなところで、日が暮れたら寒くて死んじゃうよ。と、そこからは死に物狂いで、自転車に乗ってみました。何度も息継ぎのために自転車を止めることになりましたが、最後3kmほどは平地で、シャンドール峠につくことが出来ました。

そう、シャンドール峠は上が平らになっています。むちゃくちゃ綺麗です。3700mの高地に緑のじゅうたんです。 しかも峠のレストランのそばに湖があります。
この湖の青を見たとたん泣きそうになりました。
 
まさに楽園です。
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Photo: dlouhyjan

水は豊富で、周りを取り囲む5000m級の山々から雪解け水がその青い、青い湖に流れ込み、牛が豊富な緑を食んでいます。 空の青は群青色に近く、雲と、雪は純白、岩肌の露出した山々は赤や灰や黒の彩があります。

まさに楽園です。

シャンドール峠には2泊しました。峠は自前のテントなら無料で泊まれました。

着いたその日は、5時30分。ソーラスプールを1時半に出たとしても10kmに4時間もかかったことになります。時速2.5km何も出来ません。
次の日。雲ひとつない快晴でした。雪解けの冷たい水を飲んで、その水で、洗濯をして、湖を見に行きました。

湖にはおたまじゃくしがうようよ。何か春でした。しかもあんまり警戒心がないらしく、すぐに取れます。そこら辺に飛んでるトンボも蚊もなんかすぐに捕まえられます。タニシは仰向けに水面に浮かんでるし、ヤゴ(トンボの幼虫)逃げるということを知らないみたいでした。

何か平和な湖を見て、昼寝して。ゆっくりと空の青を見てすごした一日でした。

そして、太陽が沈むと空はだんだんと明度を落として、山の頂の雪の白だけが浮かんで見えるくらいになる頃、空の主役は太陽から星へと移り変わります。

長くはみていられなかったのですが、さそり座が東の空から上がってくるところでした。久しぶりに天の川を見ました。

こんな世界が富士山と同じような高さにあるなんて。それだけでも驚きでしたが、でも逆にやっぱり、ここまでこなければこんな清涼感あふれる空気の中で、こんなに綺麗な景色を見ながら、すがすがしい気分にはなれないのかな。

でも、本当に自転車でよかった。感動、や体感した空気は言葉では語りつくせませんが、自転車であったからこそ、100パーセント堪能できたと思いました。

まさに、楽園でした。

で、昨日ギルギットまで降りてきました。 
 
暑い。

暑い。

暑い。

手元の温度計で、34℃ありました。
なんか物価も高いし、もう嫌です。出ます。
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by fuji_akiyuki | 2007-06-12 02:30 | パキスタン2

多くを失ったような気がします。

なんだか大変なことになりながらもどうにかチトラール到着です。
はぁ。とにかく疲れた。

書きたいことはいっぱいあって困るので、小さく題をつけて書いていこうと思います。ちょっと長いです。

●ネット

まずこの劣悪なネット事情から説明します。
それにしてもパキスタン。ネット事情が悪い。とにかく悪い。悪すぎます。まずこのミクシー、せっかく絵文字が書けるようになったというのに、パキスタンで絵文字のところをクリックするとなぜかトップのページに戻ってしまいます。だから絵文字、使えません。
しかも、一回そのミスを犯すと、当然のことながらそれまで書いていたものもすべてパーです。

ブログ。ログインできません。ログインしようとすると必ずといっていいほど、Cannot・・・っていうページが出てきます。
更新できないし、コメントに返事もできません。

ホットメール
昨日はサインインできたのに、今日はなぜかできません。
しかも昨日入った時点で、4月9日から後のメールがすべて消えてました。いったいどういう事でしょう。
今日はそんなこともあって、ホットメールのパスワードを帰るつもりだったのですが、サインインできません。
しかもサインインしようとするとエラーが出て、これは不正プログラムだとか文句を言われて、IEがダウンします。
返事しなきゃと思っていたメールもあったはずだし、もしかして読んでないメールもあったかもしれません。
返事期待して書いたのに全然帰ってこないというか違いましたらもう一度お願いします。すみません。

そして遅い。ものすごく遅い。どのくらい遅いかというと1ページ開く間にインスタントラーメンを作って、食べおわるくらい遅いです。本気で。10分くらいかかります。

え、10分でインスタントラーメンを作って食べ終わるのは速すぎですか? そんなもんですよね。

あんまり時間がかかるから、他のページを開いてみてようかなって思うとこれまた時間がかかり、しかも何ページも同時に開こうとするとただでさえ遅いのが、さらに遅くなるようで、結局逆効果。
こういう時はページが降りてくるまでスパイダーソリティアでもやって時間をつぶそうかなって思うと、

・・・無い・・・

なんで。え、98? なんで今更ウィンドウズ98を使ってるのよ。
パキスタンのネット屋さんってわざとスペックの低いコンピュータ使ってません?
昨今、98なんて見ません。他の国じゃ。何か世界から切り離されてるような気がします。その辺、アフリカに似てるんですよね。

しかも、ダイヤルアップで通信切れまくり。今も掛け直してます。ページが降りてくるのが遅すぎるので、コネクトしてるのかどうかわかるまで、15分以上かかります。

ああ、もう。


●食事

次に食事について書きます。このところ、かなりおいしい物を食べています。
食事に関してはパキスタン。かなりいいです。
と、言っても私が好んで食べているのアフガン料理らしいのですが。

カライーとか、カラヒーと呼ばれるそうです。
これ、かなりいけます。
カライーとは名ばかりで、たいして辛くはありません。
これを注文すると、たいてい唐辛子をいれるか、って聞かれるのですが、入れたところで辛くありません。

どんなものかというと、浅いボールのような、お皿のような、鉄板の上で、トマトと玉ねぎ、牛かマトンか鶏肉を大量の油でいためます。それにちょっとしたスパイスが入っているようですが、詳細は不明です。

これをナンで食べるのですが、これがうまい。
鉄板ごと出てくるからジュウジュウいってて見た目も香りも食欲を誘うし、食べれば濃厚な味で、ナンとよくあいます。
最近ではカラヒーの鉄板を見ただけで食指が動き出すありさまです。ちょっとした中毒かも。

パキスタンでも、アフガンよりにしか無いと聞くのですが、確かにラホールでは見当たらなかったくらいで、他の街ではどこにでもあったのでぜひパキスタンに来た際はお試しあれ。

他のパキスタン料理は大抵大きななべに入ったカレーで、何種類かなべがあって、インドより辛いというだけで、あまり食欲をそそられません。

私は、ある小さな町、ペシャワールを出て最初の投宿地の、たった一軒のレストランで、そのパキスタンのカレーが法外な値段で売られていて、絶対そこで食事するものか、と、意地になって探して、カライーの小さな屋台というかそれだけを売ってる露店を見つけてからずうっとカライーの虜です。

その他、串に肉をさして焼いた、ティカとかいう焼き肉もおいしいです。見た目焼き鳥みたいですが、肉は牛みたいです。
これは1本がやすので、4、5本頼んで、やっぱりナンと食べます。
イランにも同じような食事があったのですが、パキスタンのそれはスパイスが効いていて、イランの物よりおいしいです。

そして、もう一つ私がアディクテットになってしまった物はマンゴージュースです。
暑いときに、コーラより全然栄養価も高くて健康によさそうなマンゴーのジュース。マンゴー、牛乳、砂糖、氷をミキサーでかき混ぜただけのもですが、氷が効いているとこれが冷たくておいしいです。
一日にいったい何杯飲んだことか。


●石を投げるくそガキ供。

私は自転車に乗っている人に向かって石を投げる奴のことは人間としてみないことにしています。
ここにもいました。
ペシャワールを出て、チトラールに向かって田舎に行けば行くほどガキがむかつきます。
大声だして、ついてくるわ、自転車引っ張るわ、石投げるわ。
一回捕まえて殴り飛ばしてやりたいと思います。
子どもだろうとなんだろうと石を投げてくる奴は容赦しません。だって、子どもだろうと何だろうと石を投げる奴は人間と見てませんから。

それにしても腹が立ちます。特に峠の上り。こっちが遅いことをいいことに、そんなくそガキ供を追い払うのにエネルギーを使うのも腹立たしいです。蝿みたいにたかるな。

しかも上の方に行くにしたがい、とうとう出てきました。

「1ルピー、1ルピー」
まったく持って、アフリカ人です。アフリカを思い出しました。

これ以上書くと腹が立ってくるので止めます。



●温泉街ディール


ペシャワールからここ、チトラールに来るまでに2つの峠を越えます。そして、2つめの峠は3118mもあって、大変な大峠なのですが、その大きな峠の前にディールという町があります。ディルかも知れません。Dirと書きます。

で、この町がなかなか雰囲気のいい町なのです。
川沿いに谷を上っていくと、だんだん川も中流から上流の雰囲気になってきます。川幅も狭くなり、滝があったり、流れも激しく、急流になります。急流沿いできた街が、ディールです。

メインの街道沿いにホテル、レストラン、商店が建ち並び、その建物を一個谷側に飛び越えれば急流が走っています。
川の流れる音が絶えず聞こえて、なんかいつも湿った感じです。まさに、というような、ひなびた温泉街を思い浮かべる雰囲気です。つい、浴衣で歩きたくなるような。そんな町なのですが、肝心の温泉が・・・無い!!

ああ、やっぱり日本っていいなって思います。絶対こんなところには温泉が有るし、あったかいお湯に浸かるのは至福の時。何でそういう文化がないんですかね。

絶対日本人だったら温泉掘ってるところですが、ところで、パキスタンで温泉があってもどうやってはいるんでしょうね。単パンだって倦厭されているのに。特に女性。女湯なら大丈夫なのかな。

でも、ディール。温泉が無いのはとても残念ですが、町としては好きでした。なんか峠の前の最後の宿場町みたいで、マンゴージュースもあった(峠を越えるまでここが最後)し、カライーもおいしかったし、串を初めて挑戦して、うまいと思ったのもこの町でした。
勢いで、2泊してしまおうかと迷うほどでした。

お通り掛かりの際はぜひ一泊。といった感じの町です。


●峠。上り。

こんなにストイックな走りは久しぶりでした。いや。年取ったのかな。とにかく大変でした。

ディールから峠のてっぺんまで30kmなのですが、何しろこの30kmで、1日がほとんど終わってしまいました。たったの30kmですよ。そのくらいハードでした。

どのくらいハードかというと、たったの30kmで一日がほとんど終わってしまうくらいハードでした。ってこれは書いたか。

だから、七転八倒して、四苦八苦して、悪戦苦闘して、日記に四字熟語を使ってしまうくらいハードでした。


10km毎に休憩を入れようかなんて始めは考えていたのですが、そんなもんじゃありませんでした。勾配がきつくて、1km走るのも大変です。最初っから4kmで休憩でした。
だんだん道も怪しくなって、とうとう舗装路じゃなくなってしまいます。ダートで急勾配。装備はかなり重装備だし、しかもこのところの運動不足でかなり厳しい峠道になりました。

こんなに峠って大変だったっけかな。と何度も思いながら、でも1kmが遠くて仕方なくて、30kmが途方もなく気が遠くなる距離でした。年か。

それでもどうにか18kmくらいやっつけたときのことでした。後10kmちょっと。そう思って、休憩を取って、よし、がんばっていくかと走りはじめたのですが。
だめだ。足が動かない。
ゲゲ、腹減った。
ヤバイです。

ハンガーノックだ。

ハンガーノックとはお腹が空いて動けなくなる現象のことです。
これが、結構気づかないうちにお腹が空いていて、いきなり、全然力が出なくなります。何か食べないと直りません。でも何も持ってませんでした。しかも全然周りにはレストランはもちろん、商店も露天もありません。と、言うか、人っ子一人いない。

でも先の方になんか人工物らしき建物は立っています。

で、行ってみました。

工事現場でした。トンネルを掘っているようでした。その詰め所あたり。かなりねらい目です。何か食べ物が有るかもしれません。と、餓えた獣のようになった私は食べ物を求めて人の居そうなところを目指してがんばって漕いだわけです。

近づくとさらに、工事現場に行く道と本線の分岐にお店らしき物が。やった。しめた。ハンガーノックも何のその、そこまで走ってやるぞと元気が出てきました。

ところがどっこい、そうは問屋が卸しません。ってなかんじで、峠道は山に沿って曲がっています。見えてきたお店らしき物は一つ向こうの尾根をトラバースする途中、そして、私はその尾根を回る道に行くために一つ谷を越えなければなりません。
その谷、川になってました。道が切れて川、しかも結構深い。せっかく見えた店の前で、ずぶ濡れにならないとそこまでいけません。

ああ、何でパキスタンの道って、こうなんだろう。と内心嘆きながら、渡渉しました。しかも向こうの店で手に入った食べ物はビスケットのみ。

これじゃあ、元気でないよ。

と思っているとおもむろに店の奥で弁当を広げる男3人。

やった。もらえる。

しかし、こういう時に限って、なかなか誘いの声がかかりません、といって、自分からくれって言うのもなかなか気が引けて、ただただ、物欲しそうな目でじっと見詰めていること5分。
とうとう、お誘いが。

「食べる?」

「絶対食べる!!」

餓えた私は1も2もなく飛びついて、弁当の半分くらいを平らげてしまいました。
ごめんなさい、でも助かりました。

お弁当を平らげて、ちょっと走るとまた、詰め所みたいなところがありました。そこに居た人がこっちに来いと呼ぶので、お茶くらいごちそうしてくれるのかと下心丸出しで、ひょいひょい行ってみたけど、全然その気配がありません。

なんだ、何もくれないのか、と思って、早々にそこを引き上げようとしたら、なんと、変なところに自転車を置いてしまったせいか、バーテープ(ハンドルの握りに巻くテープこの間新しくしたばっかり)に傷がついて、超ショックでした。うーん。邪な気持ちをもっていつもは呼ばれたっていかないのに出てくるであろうチャイにつられた自分が情けなくなってきました。

ようやく元気になってもやっぱりまだ、10kmは残っていました。まだまだ気が遠いです。

しかもだんだん寒くなってきます。所々雪渓も見え始めました。

たまに道が雪渓で覆われていて、そこを雪かきをしたであろう個所も出てきました。両側5mの雪の壁、いや、4mくらいかもしれないけど。で、下は川。道じゃなくて川。

もう、嫌になってくる。

何でパキスタンは道じゃなくて川を走らなきゃならないの。

川もかなり深いところもあって、自転車に乗ってても足首くらいまで浸かるような川を走らなきゃならなかったり。しかも寒い。
どのくらい寒いかっていうと鼻水が出てきて、氷柱になりそうなくらい寒い。本当は氷柱にはなってないのですが。
そんな寒いところを足を雪解けの氷水につけて自転車をこがなきゃならかったり、時には押したり。とにかく精神的、体力的にもかなり限界に近づいてきました。精も根もアドレナリンも尽き果てて、も今日は峠越えられないかな、って思った頃、これまた、気の遠くなるような高さに峠の一番上が見えてきました。

見えたって、そう簡単に辿り着けるわけじゃありませんが、とにかくゴールが見えるとちょっとは元気になるのがふしぎで、その最後の元気でどうにか、後4つ曲がったら峠というところまで来て、雨が降り出しました。

もう、本当に踏んだり蹴ったりでした、この寒さで雨に打たれるなんてとてもじゃ無いけど我慢できないと思ったところで、これまた幸運にチャイ屋が。

そこで、しばらく休むと雨も上がり、最後の4つ曲がって、3118mにTシャツで立つことができました。

ああ、寒かった。


●峠。下り。

下りは本当に寒いので、今度こそと思って、長袖を着て、ウィンドブレイカーをはおり、軍手をして、完全防寒で下ること200mいきなり笑いそうになりました。そしてパキスタンはよく崖から車が落ちると聞きますが、崖から落ちたくなる気持ちが分かりました。

なんと、峠のこっち側、道がくねくね曲がって、上から見ると下の道が幾重にも重なってみえています。いわゆるつづら折れです。確かにこんなのまじめに道をたどっていくよりこのままここから落ちた方が速い気がします。

え、もちろん速い気がするだけで落ちたら大変なことになりますが。

いったい何回折れているのか数えたくなってきたので、数えながら下ってみました。
折れること折れること、20回。ソフトクリームの4巻きだ、5巻きだなんて比べ物になりません。20回もくねくねされたら目が回ってきます。
と、おもったら、甘かったです。斜面の方向を変えて、さらに8回、また別の方向で、4回など、結局42回くらいくねくねしました。

こちら側から上らなくてよかったと本気で思いました。

そして、最後に、目の前にまた、水溜まりが見えてきて、一回停止、その時にはあったはずのサイクルメーターが水溜まりをボショボショやって、出てきてちょっとした時にはなくなっていました。
なくなったと気がついたところから、水溜まりの前で、サイクルメーターを確認したところまで、何度も探したのに見つかりません。
きっと、水溜まりを渡渉した時に落としたのでしょう、そして、サイクルメーターは流されてしまったことでしょう。

ああ、なんかパキスタンではいろんな大切な物をなくします。なんか相性が悪いのかもしれません。

乗ったバスのフロントガラスは割れるし、警察の銃のそこで頭は打つし、警察の車からは落とされるし、交通事故に遭って、ハンドルはもげるし、変なおじさんの相手はさせられるし、体中のアドレナリンは使い果たすし、子どもには石投げられるし、サイクルメーターがなくて、もう距離もスピードもわからなくなっちゃったし。
次はいったい何をなくすんでしょう。

明日。カラシバレーってところに行ってみようかと思っています。からし族が住んでいて、からしワインとかいう地酒がのめるそうです。楽しみです。

大変長らくお付き合いいただきありがとうございました。
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by fuji_akiyuki | 2007-05-31 21:26 | パキスタン2

テロリストの皆さん。朗報ですよ。

おととい。
新しいハンドルを手に、うきうきしながら、ペシャワールに帰ってきました。

それにしても・・・

ラホールにいくときは、300ルピー(約600円)
で、嫌がらせかと思うようなしつこいセキュリティチェックを受けて非常に気分を害したわけですが、今回ペシャワールに帰るときは宿のスタッフが教えてくれた近くのバス停というところに行きました。そしたらなんと倍額、600ルピーもする高いバス会社でした。ちょっとだまされたかなって思ったけど、そこからローカルバスターミナルまでは遠いし面倒だったので、ちくしょーと思いながらその高いバスに乗ってしまいました。

そしたら、このバス、かなり快適、添乗員もいて、ジュースや、お弁当のサービスもついていて、何よりも楽だったのが、セキュリティチェックがほとんどありませんでした。

しかもがらがらで、後半は席2つを一人で占領できました。

どうして後半なのかというと
私の座席番号は4、ものすごい太ったおじさんが3を持っていたらしく私のとなりにきました。

私は窓際。彼は通路側。

後ろの方の席はがら空き。

狭いっつうの!!

でもなかなか席を替わりません。後ろに行けばいいのにと思いつつ、自分が行って、後から人が乗ってきて、戻されると窓際の席にならない気がしたので、早くこのおじさんどかないかな。って心の中でずうっと思ってました。

たしかにあなたの席は私の隣かもしれないけど、後ろに行けば2つとも空いてる席はたくさんあるんだよ。しかも窓際でも通路側でも好きな方を選べるし、何なら両方使ってもいいんだよ。

と思いつつ、でも前回のこともあって、話し掛けられない内気な私でした。

添乗員にも「後ろに座席がありますよ」って薦められていたのにこのおじさん
「結構です」みたいなこといって居座ります。

狭いって。まじで。

しばらくして、お弁当が配られて、狭いなあ、と思いながら食べて、お腹がいっぱいになると眠くなって。おじさんも眠くなって。

そこで、やっと気がついたっぽいです。狭いってことに。

ようやく重い腰をあげておじさんが後ろに退去。これで私は席二つ占領してハッピーでした。きっと後ろの方でおじさんもハッピーだったと思います。でもなんで、もっと早く移動しなかったんでしょうね。

何はともあれさすがに倍額だしただけあって、すべてがハッピーな旅路になりました。

それにしてもなぜ、こんなにセキュリティーが緩かったんでしょう。お金さえ払えばセキュリティも抜けられるってこと。

バッカじゃないの!? 意味プーです。

テロリストの皆さん。ペシャワールに爆弾を持ち込むときは高いバスに乗りましょう。簡単に持ち込めます。


って、ことですか?

まあ、それにしても発展途上国って、信用がありません。
人に対して。

人は万引きするんじゃないだろうか?
人は爆弾を仕掛けるんじゃないだろうか?
人は悪さをするんじゃないだろうか?

いつも疑われている気がします。

地下鉄に乗るにも持ち物検査。

ちょっと大きなスーパーに入るためには金属探知器に、手荷物は一時預かり所みたいなところに預けないと入れないし、入り口と出口があって、入り口から出ることはできないし、出口から入ることはできません。

いたるところに警備委員。陳列棚の一列後とに万引き監視の人がいて、それしか仕事がないから値段を聞いてもわからない。
ひどいときには店内中を付いてくる。

イスラマバードでは大使館にMP3すら持ち込めなかったし、トルコでは道端でパスポートの提示を求められました。

コカコーラはここで飲むって言って栓を抜いてもらったのに、瓶を返さないとお釣が返ってこなかったり。誰も瓶だけ持っていかないって。

アフリカではお釣がないときにたいした額じゃなくても絶対に「じゃあ、明日払ってくれ」とはいいませんでした。そのてんパキスタンでは「お釣がないね。じゃ、5ルピー足りないけど、明日持ってきてくれればでいいよ。」とかいってくれます。まあ、これはお釣が出せない店側の責任だから、5ルピー損してもいいという気持ちがあるようですが。

数えれば切りがありませんが、そこにそんなに労力を使わなくてすむような社会になればもっといい国になるんじゃないかなってことがテンコ盛りです。

あのタイですら、自動販売機は店の中にしかなかったのが印象的でした。

やっぱり日本って、奇跡の国です。

ところで、自転車大体修理が終わりました。
なんか新しいハンドルはちょっとカッコよくて、バーテープもセンスが良くて、なんか前とは見違えるようになってしまいました。
内心とても喜んでいます。

でも昨日気がついたのですが、前後の車輪がパンクしてます。少しずつ空気が抜けてるようです。
これから宿に帰ってパンク修理。明日には出発したいんですが・・・
なんか最近昼と夜が逆転気味で、明日起きられるかどうか・・・
今日も午後1時起床でした。

まあ、でも近々復活です。
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by fuji_akiyuki | 2007-05-25 21:10 | パキスタン2

やっぱりバスでの旅は難しい。その2

前回どこまでお話したでしょうか。

ここはペシャワール発、ラホール行きのバスの中。
時は草木も眠る丑三つ時、隣に座り合わせたおじさんとひょんなことから会話が始まり、ほとほと困り果てたところまでだったでしょうか。
まだまだ、おじさんとの不毛な会話は続くのです…

 彼の主張ではイスラムは結婚するまでセックスはできない。でもそのおかげで、子供父親が誰だかわからないなんてことはないからいいんだ。だからイスラムは優れているというですが。
 どうも私たちの社会の自由な恋愛だったり、男女が付き合ったりすることに大いに関心があるらしく、私の説明に頭の中は、いろんな妄想でいっぱいになってしまってるようでした。

 名前の話はとりあえずそんな問題は日本では起きないと話をそらすのですが、またセックスと子供話に戻ります。

彼曰く。「日本では結婚前にセックスして、子供ができて、結婚しなかった場合はどうなるんだ。」

私 「その場合はたいてい母親が育てるよ。」

彼 「でもその子供は父親がいないんだろう、それは問題だ。」

私 「でもそれは結婚して離婚した場合も同じでしょ。」

彼 「でも結婚前にセックスして、できた子供は父親を知らないんだろう。それは問題だよ。」

私 「そんなことないよ。レアなケースだけどそんな人もいっぱいるよ。」

彼 「でもそんな子は社会的に認められるのか」

私 「日本では認められているよ。」
 本当は私生児といって、認められているけど、母親しかいない場合、母親が育児も仕事もしなければならないからそういう家庭は大変かも知れない。と説明したかったけど、私生児という単語が出てこなくて、考えているうちに会話が進んでいきます。

彼 「でも母親が、結婚前にいろんな男性と関係を持って、誰の子だかわからなくなったらどうするんだ。」

 ああ、なんだか、少女漫画とか昼のメロドラマチックな展開になってきたなぁ。 

私 「そんなのは別に問題にならないよ」 
 個人的には大きな問題だと思うけど。でも大体そんな話現実にはなかなかないでしょう。少女漫画とかメロドラマの中では良くあるけどね。なんて、思いながらも。

彼 「罪には問われないのか」
 
 そんなの誰が罰するもんか。
私 「罪には問われないよ。」
 そうなる前にたぶん中絶をするほうが多いんだろうなと思ったけど、中絶という単語が出てこなかったのときっとこれを言うともっと話がこじれると思ったのでやめておきました。
 
 彼がひとしきり驚くと話題が少し変わりました。

彼「だいたい、日本では何歳くらいになるとセックスするようになるんだ?」

 本当、どうでもいいこと訊いてくるなぁ。参ったなぁ。

私 「そんなの個人の自由だし、人によって違うけど。」

彼 「それで、いつくらいなんだ。」
 
 ああ、もういや。
私 「17,18,19くらいからじゃないかな」

 彼の興奮が伝わってくるようでした。体もシートに深く隠れるように沈みこみ、こちらに身を寄せて、だんだんと声を潜めがちになるのですが、目だけはランランと輝きます。
 本当にあなた、胃癌なんですかと訊きたくなるくらいでした。

彼 「家族ともセックスするのか?」

 しないよそんなの。

彼 「母親とか、姉や妹とか、」

私 「しないよ。」

彼 「でもアメリカではするらしいぞ」

 どこからそんな話を仕入れてくるんだろうこの人は。
私 「そんなことないだろう」 

彼 「いや、本当だ、母親としたり、兄弟(兄妹?姉弟?)でやったり、父親が娘としたりするんだ。」

 なんて根も葉もない誹謗中傷を口にするんだこの人は、とあきれながらも
私 「そんなことはほとんどないでしょう。あってもそれはレアなケースだよ。きっと。」

彼 「確かに少ないけど、20パーセントから30パーセントくらいだ」

 それじゃ、5人に一人から3人に一人じゃん。ぜんぜん少なくない。こんなことが巷で信じられているとしたらかなり恐ろしいことです。洗脳も甚だしい。あきれ返ってる私に

彼 「日本では家族と結婚しないのか?」
 
  今度はいったい何?
私 「家族と?しないよ。」

彼 「イスラムではよく家族と結婚するだ」

 じゃ、アメリカのこととやかく言えないじゃん。
私 「兄弟(兄妹?姉弟?)とか?」

彼 「いや、イスラム教はアメリカとは違うから兄弟(兄妹?姉弟?)とはしない。でもいとこや叔父、叔母とならできるし、よくあるんだ。」

 ああ、だからみんな顔が似てるんだ。この間会った人も今度いとこと結婚するって言ってたなぁ。しかし、アメリカに対する偏見は尽きないなぁ。
私 「へえ、そうなんだ」

彼 「日本では家族とは結婚しないのか。」

私 「日本はないよ。あ、そういえばいとこは結婚できる。でも叔父や叔母とは結婚できないよ。いとこと結婚することも許されてるってだけで、ほとんどないけどね。」

彼 「何でだ、イスラムでは血を尊重するから近縁で結婚するのがいいとされているんだ。」

 もう、なんだかさっきの話と矛盾してない?
私 「たぶん遺伝子的な問題だよ。あまり近い遺伝子同士がくっつくと良くないらしいんだ。」

彼 「そうか、でももし、叔母や叔父とセックスをして、子供ができたらどうするんだ。結婚できるのか?」

 なんでそんな話になってくるんだ??
私 「どうもしない、結婚もできない。まず起こらない。」

彼 「でももしおきたらどうなるんだ?子供はどうするんだ」

私 「子供は女の人のほうが育てることになるだろうな、」私生児として、という言葉を付け足したかったけど、私生児という単語がわかりません。多分私が知ってても彼が知らなかったでしょう。

彼 「それじゃあ、子供が困るだろう」

私 「だからそんなことはまず起こらない。叔父、叔母とは結婚できないことはわかっているんだから誰も恋愛しようとも思わない。」

彼 「でも起きたらの場合。結婚できないってどういうことだ。ひっそりと結婚してしまえばいいじゃないか」

 話が現実離れしてきた。
私 「結婚するには登録が必要なんだ、でも叔父、叔母との結婚は政府が認めない、登録は拒否されるんだよ。」

彼 「じゃあ、それでできた子供はどうなるんだ。」

何でそんなありえないって言ってることに執着するんだろう。この話題にさっさと終止符を打ちたい。ねむい。
私 「まずそんなことはありえないし、起こっても問題ないよ。」

 女性の側が私生児として育てることになるだろう。って付け加えたかったけど。ま、実際にそんなことがあれば公序良俗的には大いに問題だとは思ったのですが。

彼 「何の罰則もないのか」

私 「ないよ。全く」本当は知らないけど。

バスの中も大体の人が眠り、夜が深まっていきます。もうしゃべっているのも私たちくらい。
話はさらにディープになっていきます。

彼 「セックスのときはどうだ?どうやってするんだ?」

はっ?何が訊きたいんだこのエロ親父!!
 と、私が答えに困っていると

彼 「つまり、イスラム教では前からは許されているが、後ろからは許されていないんだ。」
 彼の目に淫らなものが浮かんでいる。

彼 「日本では後ろからもするのか」
 
 このとき彼はfront side, back side という言葉を使っていました。
 それにしてもイスラム教とは野暮な宗教だな。何でそんな他人様の床事情にまで口を出すんだろう。
私 「そんなの個人の勝手だ、誰もそんなことに口出ししない。」

彼 「じゃあ、後ろからもするのか?」

 何でこんなことに大真面目に答えなければならないだろうと自分を祟りつつ。
私 「人によってはね。」

彼 「罰せられないのか?」 

 誰がその現場を見届けて、罰を与えるのか、逆に訊きたいくらいでした。でもそれはきっとまた、話をこじれさせるだけ、しかも答えはきっと「アッラーが見ているんだ。」から始まってまた宗教観の講釈を一席聞かされることになるだろうと思ったので、なるべく深く話題が行かないように、何とかこの話題が終わるようにあっさりとした答えを心がけます。

私 「誰もそんなものを罰したりはしないよ。」

彼 「でもイスラム教では・・・」 

ああ、また始まった。こんなところにまでイスラム教は入り込んでるのか。
 
彼 「・・・イスラム教では前からなら、子供ができるが、後ろからだと子供ができない、だから後ろからは子供ができないからアッラーは後ろからすることを禁止したんだ。それは論理的だろう、だからイスラム教はすばらしいんだよ。」

 絶対何かがおかしい。まず第一に何で後ろからしたら子供ができないんだろう・・・?

  ???…2秒…わかった。

 彼の言うback sideとはきっと肛門のことね。
 それはきっと日本でもする人は少ないだろうなと思ったけど、やっぱりそんなのやる人の勝手。

 それにしてもそんなことをわざわざこと細かく決めているなんて、なんて野暮なんだろう。

 と、昔何かで読んだか、誰かから聞いた事を思い出しました。

 「モハメドアリ(アッラーの預言者とされる人ね。)は、女か女房から変態扱いされてこっぴどく嫌われたことがあるに決まってる。しかもものすごいねたみ深い性格だったに違いない。」

  間違いない。その通りだ。と思いました。

まだ彼はいろいろ言ってきます。

彼 「イスラムでは口ですることも禁止されている。日本ではいいのか。」

どこまで私は説明しなければならないんでしょう。
私 「それも個人の問題。人の勝手だよ。」

彼 「何の罰もないのか?」

私 「ないよそんなの、」だから誰がそれを覗き見て罰するのさ。その光景のほうが私には恐ろしい。

 彼の頭の中の妄想はいったいどんな風になっているのでしょうか?

彼 「じゃあ、日本では口でもするのか」

私 「人によっては。する人もいるよ。」

彼 興奮状態。

緊急警報発令。このまま、この人を刺激しすぎると大変なことになります。

 ここは彼が私の話を頭の中で反芻して、興奮状態を鎮めようと葛藤している間にどうにかしなければ。

 と、2秒で、狸寝入り。はい、もう私は寝ました。話してもだめですよ。
 
 頭を彼とは反対に傾けて、私は眠ったふり。

 こうして、何とか彼との不毛な会話を打ち切った頃にはうっすらと闇が白んできました。

 ああ、なんてバスの旅って大変なんだろう。
 なるほどね。夜行バスじゃあ眠れないわけだ。
 やっぱりバックパッカーは私には敷居が高いです。

 こんなことかいてる間になんと日本からハンドルが届きました。お菓子なんかも入れていただいて、日本の味をかみ締めることまでできました。送ってくれた方、本当にありがとうございました。

さ、また、夜行に乗ってペシャワールに帰ろうかな?   

 今度はどんな話をするんだろう。きっとしないと思いますが…。

 長かったけど。終わりです。

最後にひとつ。私は絶対にイスラム教にはなりません。と決心しました。豚も食べたいし、酒も好きなので。そして寝床は覗かれたくないので。
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by fuji_akiyuki | 2007-05-22 21:09 | パキスタン2

やっぱりバスでの旅行は難しい。(その1)

昨夜、ペシャワールを離れ、ラホールに向けて夜行バスに乗りました。
事故のため、屈辱の帰還です。

 面倒くさいな。事故なんかなければこんな風にまたラホールに帰らなくてすんだのに。時間も無駄になったなぁ。

 なんてちょっと沈みがちにバス停に夜行バスを探しに行きました。

 とにかく、イエメンから、めっきりバスの旅には弱い私です。とにかく、バスに乗ろうと思うと、まずどこからバスが出てるのか、どうやってチケットを買うのか、どこでチケットを買うのか、バスターミナルやバスチケット売り場までどうやって行くのか、どうしていいのか路頭に迷ってしまいます。

 乗ったら乗ったで、好きなときに出発できないし、好きなところで止まれないし、目的地に着くまで、そのバスが本当に生きたい街に行くのか、同じような名前のあさっての方向の町に連れて行かれているのではないか?心配とイライラで、なんか落ち着けなません。
 
 着いたら着いたで、自分が下ろされたところがどこなのか、皆目見当もつかないし、着いたところから、宿までどうやっていいのか。もう、いつもオロオロしてしまうのですが、今回もやれてしまいました。

 今回は新しい敵です。

 お隣さん。

 こんなに大変だとは思いませんでした。

 今回は簡単にバスターミナルまでもいけたし、バスのチケットも買って、車掌に窓際の席がいいとちゃんと要望も言えて、自分ではさすがにバスにも結構なれてきたと思っていたのですが・・・

 しかし、今回は大変でした。まずは厳重なセキュリティチェックでした。
 警察みたいな人(パキスタン人なら誰でも着ているような服を着ていたので認識不可能)が全員の荷物を一つ一つ開けてチェックします。
 もちろん私のもチェックするわけですが、私の荷物はそれはもう厳重に雨対策がされていて、開けるのは非常に難しいです。
 たいていの荷物チェックはかばんを開けた途端半ばあきらめて、形ばかり見たという体裁を繕って、ほとんど中身を見ずに許してもらえるのですが、さすがにテロのメッカ(こういう場面でこういう言葉を使うのは適切ではない気もしますが)ペシャワールではそうは行きません。

 すでにバスに乗り込んで3時間以上。車掌が客集めのために出発を繰り下げ繰り下げされてイラついてるのに、私の荷物だけで20分くらい格闘して、下の方まで手を入れて、一生懸命調べていきました。

 ようやくバスが走り出したと思っても、何度か警察に止められて、ビデオカメラを持った警官が入ってきて、一人一人撮影までされました。
 
 そんなのいったいいつ使うんだよート心の中で毒づきながらも、それがテロに対する出来る限りの犯罪抑止力になることを願うがために行うんだろうなと思うと、協力しないわけにも行きません。でも内心はあまり気持ちのいいものではありません。
 
 うーん、やっぱりこんなことにエネルギーを使うより、他のことに目を向けられるようになればいいのにと思うとテロなんてものに怒りを覚えずに入られませんでした。


しかし。。。。

本当の敵はここからでした。

隣りに乗り合わせたおじさん。
年のころは40から50にかかっているのかもといった感じ。顔に刻まれたしわがそのくらいの歳を物語っているようでした。大柄なパキスタン人の多い中にいて、彼は中肉。背は座っていてよく分からなかったけど、高そうな感じでした。
今回の大ボスでした。

 はじめは静かに、そして、機を見ていたようで、一言もしゃべらずに、おとなしく隣に座っていたのですが、バスが、一度休憩のためにドライブインのようなところに止まり、みんながバスから降りて思い思いに、トイレに行ったり、腹ごしらえをしたりしてバスに戻ると、ここぞとばかりに話しかけてきました。

 「君は日本人か、それとも中国人か?」
 
 私は答えました。
 「私は日本人だよ。」
 彼は私の読んでいた小説を覗き込んで。
 「じゃ、これは日本語かい?」
「その通りさ。」

そんなことが会話のきっかけでした。
 「さっきは君が勉強していて邪魔しても悪いなと思って、声をかけなかったんだけど。」
 ああ、小説の事ね。多少気にはしているようだけど。
 「勉強していたわけじゃないし、邪魔じゃないよ。タダの小説だから、」

 普段、あまり英語の聞き取りにくい相手だったり、言ってる意味が分からないときとは早々に会話を切り上げるのが常だったのですが、彼の英語はまあ、聞き取れるし、いってることも脈絡があり、退屈なバスのひと時、彼も話し相手が欲しいのだろうとも思い、そしてまた、こうして、現地の人と触れ合うのもきっとバスの旅行の醍醐味の一つだろう。
 なんて思って、ちょっくら付き合ってみますかと思い、こんなせりふを言ってしまいました。何故かちょっと読み進めずらい小説だったのも原因の一つかもしれません。

 この時点で、小説をあきらめて、彼に付き合ってみようという気持ちが芽生えてはいたのですが。

 「日本はいい国なんだよね。よく発展している。」
 
 きた。いつものだ。

 「確かにね。」
 軽く受け流す。

 「ところで聞きたいんだが、日本には癌のための病院はあるのかい?」

 えっ!?何で癌限定???もしかして、この人・・・
と、内心思ったけど、とりあえずあまり詮索せずに。
 「たくさんあるよ。」

 「それはタダなのか?」
 「そんなことはないよ。お金は掛かる。」
 「でも日本は発展してるんだろう、誰でも治療が受けられるんじゃないのか?」
 なんかめんどくさいことになってきたぞ。
 とりあえず保険制度について軽く説明して、結局
「政府が7割払ってくれるんだよ。我々は30パーセントを払えばいいんだよ。」ってこれが確か今の社会保険とか国民健康保険ってこんなんだったよな。と思い出しながら、でもそれががん患者に当てはまるかなんて全然知りませんが。

 「そうか、実は私は胃癌で。」


 ああ、やっぱり。きちゃったよ。何でそんな重い話になってきちゃうわけ。重いよ。癌って。

 「2回ほど手術をしたんだが、まだ癌が体に巣くっているらしいんだ。」

 で、日本で、治療がしたいんだけどどうしたらいいんだろうってか。

 「で、日本で、治療がしたいんだけどどうしたらいいんだろう??日本には簡単にいけるのか?」

 なんか、よくある展開になってきたぞ。なんとなく先が読めます。

「ああ、きっといけるさ、大使館に相談するといい。」
 この辺はあまり深入りしないようにします。
 
さらに、これも教科書にあるお手本通りの会話。
 
 「君の宗教はいったいなんだい。」

 「仏教であるとされているけど、あんまり熱心ではないよ。」

 「だったら、イスラムがいい。コーランを読んで、イスラム教を勉強して、イスラム教になったらいい。」

 ああ、もう、絶対いや。豚も食べられないし、お酒も飲めないじゃん。

 「コーランには3000年も前に書かれて、宇宙の全てのことが書かれているんだよ。」

 そんな地球は46億年も前に出来たといわれているけどね。と喉まで出かかったけど、ここは反論してはいけません。とにかくこの宗教話がさっさと通り過ぎますようにと祈るばかり。

 ああ、神様。早くこの会話を終わりにしてください。

 どの神様に祈ってるんだろう。アッラー??まさかね。

 彼がひとしきり、イスラムのすばらしさについて熱心に説いてる間、私はこの会話が終わることを願うことに熱心で、話の半分も聞いていなかったのですが、彼の講釈が終わると。

「どうだい、イスラム教は??」

 「私は豚は美味しいと思う。」
 余計な一言でした。
 
 「イスラム教は豚を食べない。なぜなら・・・・・」
 ああ、また始まった。

 しかし、宗教話に私が疲れていることを察し始めた彼は、
「そうだ、文化の違いについて話そう。」    
 このあたりから、会話が違う様相を呈していきました。


 「イスラムでは子供時こそ男女共学だがすぐに別々になって、どんな形であれ、全然女性とは関係を持たないんだけど、日本ではどうなっているんだ。」

 「日本は、ずうっと男女一緒だよ。」
 まあ、男子校や、女子高もあるけど、まあ、いいか。

 「ええ、それはどういうことだ。建物が一緒って事か?」
 「建物だけじゃない。」
 「同じ部屋で学ぶのか?」
 「大抵は、男女は隣同士に座らされるよ。」
 かなりな衝撃だったらしい。
 「え、そんなんじゃ、勉強にならないじゃないか!!」
 「慣れてしまえばなんでもないよ。」

 「じゃ、ガールフレンドはどうだ。いつごろから持つんだ。」
 この辺でちょっと誤解が生じたようで、話はこじれてきます。 
  
 「13,4くらいから異性に興味を持ち出すのがふつうだとおもうよ。」
 という言葉が良く説明できませんでした。
 「ええ、13,14??、それはセックスをするということかい」
 さすがに彼も声を潜めて聞き始めます。
 「ちがうちがう、13,14ごろから男の子は女の子の話をしたり、女の子の事を考えたりするんだよ。」

 「じゃあ、イスラム教にはガールフレンドという概念がない、日本はその辺はどうなっているんだ。」
 「問題なくそんなの存在するよ。ガールフレンドを持ってる人は多い。」
 なんだ、この展開は。
 「それは、セックスをするということか?」
 「そういう場合もあるよ。」
 「イスラム教では結婚前にセックスをすることは許されていないんだ。そんなことをして、罰せられないのか。」

 うわぁ。もう、面倒くさい。

 「日本ではそんなことはないよ。」
 彼は興奮しだしている様子。参ったな。
彼 「じゃ、もし、それで子供が生まれたらどうするんだ。」

私 「まあ、たいていの場合は結婚するんじゃないかな、」

彼 「でも、結婚していない男女がセックスをして、子供が出来て、それでも結婚しなかったらどうなるんだ。」

私 「たいがいは母親が子供を育てるよ。」

彼 「そしたら、名前はどうなるんだ。」
 名前?

私 「名前に何か問題があるの?」

彼 「だって名前には父親の名前が入っているだろう。」

私 「日本ではそんなことはないよ。」

彼 「じゃあ、父親を知らない子供が出来てしまうじゃないか。そうならないようにイスラムでは父親の名前が子供の名前に入るようになっているんだ、どうだ、その方がいいだろう。」 

 結局底に落ち着くんですか、説明するのも面倒です。でもまだまだ、会話は続きます。
 
 でも今日は疲れたのでこの辺にします。それではまた明日。
  

つづく
 
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by fuji_akiyuki | 2007-05-21 20:55 | パキスタン2

事故の詳細

心配してくださった方々。
協力を申し出てくれた方々。
アドバイスをくれた方々。
皆さん、本当にありがとうございました。
こんなに多くの皆さんに助けていただいてちょっと涙でそうでした。
マイミクさんの協力により、今日、無事にハンドルを発送していただけたようです。
 本当に感謝してます。

 これからは待つだけで、ちょっと落ち着いたので、事故の詳細について書きます。


その日は全行程で34kmと短くなるはずの一日でした。

 17kmくらい走ったところで、一度休憩をして、さらに10kmほど走り、5kmでペシャワールというところでした。

 事故は国道沿いで起きました。
そこは片側2車線で、真ん中に中央分離帯のある立派な道路でした。

 路肩が1車線分くらいの広さがあったのですが、舗装もまばらだし、してあるところもでこぼこで、そこを走る車はめったになく、たまに馬車が走ってるくらいでした。

 私も路肩に降りると凸凹するので、左側の車線の一番左側を走っていました。
 もちろん車全ては私の右側から抜いていきます。
(普通早いほうが遅い車を抜くときは右側からなんですが。)
 私は道路の一番端を走ってるわけです。

 後5km、日も高くなってきて、暑くなりだしたところにガソリンスタンドが。ガソリンスタンドにはたいていウォータークーラーが設置されていて、ちょっと水を飲もうと路肩に下りた瞬間でした。

 けたたましくクラクションを鳴らされて、振り返る間もなく轢かれました。顔の目の前をスズキの車体がものすごい速さで通り抜けていくのと同時に足元をすくわれるように自転車にありえない力が加わって、私の制御は無駄に自転車は倒れました。

 左側から当てられて、私は転倒し、腰を打ち、手を突いて手をすりむき、アスファルトの上を何メートルか何センチか知らないけど、滑り、ジャージが敗れました。

 スズキは私の左側、つまり、路肩を走っていたのです。しかも猛スピードで。
さらに、私の左側をすれすれで抜けようとしたのです。
 しかし、私が左に寄せたものだからよけきれずに当たったのでしょう。
 
 別に私が急ハンを切ったわけではありません。普通に後ろから来ていればああ、こいつは左に曲がるつもりなんだなってわかるくらいゆっくり車線を外れて路肩に下りたつもりだったのですが、路肩は1車線ギリギリ、つまり私を轢いた車には私をよけるだけの余裕が左側になく、ハンドルを切れなかったのだと思います。

 私ももともと、車線でない路肩に車が走っているなんてことはまったく想定してません。私にとっては左から車が来るなんてことはありえないことでした。だから注意していなかったというわけですが、あの場面で後方を注意するなんて意味がわかりません。路肩を走るほうが前方を注意すべきです。
 しかも私はゆっくり路肩に降りていったので、後方から見ていれば絶対に避けられるはずのものでした。

 避けられなかったのはスズキの運転手がスピードを出しすぎていたうえに、私と車体に十分な余裕がないのに抜き去ろうとしたためだと思います。

 私が思うには、彼はそんな不足な事態で、ブレーキも踏まず、ハンドルも切らず、クラクションだけを鳴らしたんじゃないかと思っています。
 
 いつも思うのは「クラクションなんか鳴らす前にお前がブレーキを踏むか、ハンドルを切ればすむことだろう。」なんですが、いつも彼らは逆をやります。
 クラクションだけ鳴らして、相手がよけるのが当然。
 だから事故が起こるんだって。うるさいばっかで。

 しかもドライバーはどいつもこいつもせっかちで、我先に我先にと少しの隙間でも入ってこようとします。

 日本であれば自転車で走ってるとある程度自転車と車の間に余裕を持って抜いていってくれますが、このあたりでは絶対そんなことはしません。アホみたいに直進して、すれすれでも通り抜けようとします。それでも邪魔だと思うとクラクションです。 
 「お前がよけろ、反対側にいくらでもスペースがあるだろう。」っていつも思います。

今回はそのすれすれで通り抜けようとしたところで私は左に入ったというところで事故にあったようです。

 後ろから当たられたため、左のリアキャリアーがひしゃげ、まだ一度も使っていないマットが千切れ。ハンドルが折れてしまいました。

 ドライバーは車を止めて飛んできたには飛んできたのですが、私を別の車に乗せて、何か言付けるとどっかに行ってしまいました。

 そしてその車は私を自転車屋に連れて行きました。

「バッカじゃないの!?」本気で、
 何で事故がおきて、被害者を真っ先に自転車屋に連れてくバカがどこの世界にいるんだ。

 しかもその自転車屋にハンドルなんて売ってるはずもなく。
「こんなところにつれてこられても困る。とりあえず自転車は動かないし、宿まで連れて行け」
って行っても英語も通じず、結局そのドライバーも逃げていってしまいました。

 本気で途方にくれました。どこだかもわからないし、どうしていいのかもわからないし。

 私をひいたドライバーに対する憎しみが募るばかりです。

 自分勝手な運転をして、事故を起こしても責任をとることもせずに逃げてしまうし、あんな男に車を運転するような資格はない。

 これからどうしようか?

 自転車を捨ててバックパッカーになろうか?

 そんな選択肢も頭の中に浮かんだのですが、これはできない相談だなって、すぐに思いました。 
 これでバックパッカーになっても多分満足できないって。

 パキスタンではハンドルは手に入りそうにもないし、送ってもらわないとだめかな。しかもここどこ?

 取り残されて呆然としているところに近くのガス屋が手に包帯を巻いてくれて、ジャージを縫ってくれて、お茶を出してくれて、宿の近くまで案内してくれました。
 ああ、こうしてしんせつんしてくれる人もいるんだなぁとちょっと嬉しくもあり、悲しくもなりました。

 結局自走で、左のハンドルは折れているので、手を添えるだけで走ってきました。

 で、ネット屋さんを見つけてハンドルを手配することに血眼になったというしだいです。

 
 おとといここ、ペシャワールで爆弾テロがありました。
 そのとき私は新市街にいたのですが、テロは旧市街、最初に取り残されて呆然としていた辺りみたいです。
45人くらいが死亡したそうです。

 でもやっぱり、テロより私には交通事故のほうがよっぽど身近で怖いものだと思いました。

 それにしてもこの爆弾テロ、いったい何のためにやってるんでしょう。
 こんな爆弾テロで、誰一人動かされないし、こんなもの恐れてちゃ何にもできません。町の人ですらテロで騒いでるようなところも見受けられませんし。
 こんなことしたって、政治的に何かが動くなんて到底期待できっこないのに。いったい何がしたいんでしょうね。

 これこそ本当に「バッカじゃないの!?」ってかんじです。
ただただ、むやみに人の心に悲しみと復讐心を植えつけるだけですよね。

 もう少し利口になったほうがいいと思うんですけどね。
もうちょっとうまいものを食べようとか、事故のないように運転するにはどうしたらいいかとか、いくらでも努力のしどころはあるはずなのに。
 
 
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by fuji_akiyuki | 2007-05-17 20:20 | パキスタン2

事故った!!

今日、今さっき、事故に遭いました。
後ろから猛スピードで来た軽トラックを改造した乗合バスに当てられました。
自転車が壊れて動けません。
体の方は腰を強打したのと、倒れるときに手をついたので手のひらの皮がちょっとめくれたくらいです。
たった一本の長ズボンのジャージがビリビリにきれてしまいました。

ちょっと気が動転して、どうしたらいいのかわからず、路頭に迷ってます。

事故の詳細はまた今度書きます。
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by fuji_akiyuki | 2007-05-13 17:17 | パキスタン2

朝から早起きして、気合入れて来てみれば休講かよ。

って感じです。

今、イスラマバードでたまたま見つけたネットカフェにいます。

宿を取っているラワールピンディから、イスラマバードまでは約10km。一応首都であるイスラマバードにはあまりいい宿ないときいていたし、何といっても、ラワールピンディの方が近かったので、ラワールピンディに宿を取ったわけですが、今日の目的である中国大使館はイスラマバードにあります。

と、言うわけで、今日は朝から張り切って中国大使館に向かいました。

変な町で、大使館はすべて、ディプロマティックエリアだか何だかに集中させられていて、そこに行くには専用のシャトルバスに乗らなければならないしくみになっています。

だから、ラワールピンディからイスラマバードまで、さらに、イスラマバードの町からシャトルバス乗り場まで、2回バスを乗り継いで、中国大使館に行きたい。とシャトルバスのチケットを買おうとしたら


「今日は休みだ。」

の一言。・・・ハイ。今日はおしまいです。

一日が無駄になるから、と思って、イスラマバードを探検しよう。と思ったのですが。

これがまた広いのなんのって。

町は碁盤の目のようになっています。地図で見ると。

ところが、この碁盤の目。荒い。

一マスが2km四方。”路”にあたる部分も幅が100mくらいあって、両側に道路が走り、中央分離帯にあたる部分が林になっていたり、時にはそこが町になっていたり。


町は東西に1、2、3、南北に、A,B、Cと付けられて、マスはA-1などと呼ばれているようですが、実際の中心部はG-6、G-7、F-6、F-7の当たりなようです。

このマス。どのマスにも中央に商業地域、つまり商店街があって、その商店街から東西南北に道が走って、一マスがさらに4つに分けられて、その小さなマスでも1km四方。

今日はG-6、とF-6の間、G-7とF-7の間が札幌の大通り公園とその周辺のように大きな町になっているのでそこをフラフラして、F-6とF-7の中心にある商店街を冷やかして歩いて、暑くて日射病になりそうになりながら、「ああ、でかい割に何も無いな」ってことを確認してきました。

それにしてもいいのかな。イスラマバードにはなんでか大麻っぽい草が自生してました。それもおびただしい量で。私は吸わないんでどうでもいいですけど。

ま、いいや。取り合えず今日はラワールピンディでSUBWAYを見つけたのでこれから帰って、いってこようと思います。地下鉄じゃないです。サンドウィッチのチェーン店のSUBWAYです。

明日、中国大使館再チャレンジです。

前回宿情報、その他いろいろと情報をいただいた皆様。本当にどうもありがとうございました。非常に助かりました。私は中国ビザ取得のため1週間くらいここに足止めを食らいそうです。
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by fuji_akiyuki | 2007-05-07 19:02 | パキスタン2

ささやかな抵抗

おとといの夜。夜行に乗って、デリーを抜け出し、昨日の朝アムリトサルに到着。
 バス会社の話では朝6時くらいにアムリトサルに到着するって行ってたくせに、結局到着は10時くらいになってしまいました。
 
 インドのバス。悪い悪いと聞いていたし、ローカルバスにも乗ったことがあったので、ちょっと心配してましたが、夜行バスはちゃんとリクライニングも効くし、まあまあ、しっかりしたシートで、一安心したのですが・・・ 
 
 荷物をたくさん積みます。その荷物の上げ下げにいちいち止まって、走ってる時間より荷物の上げ下げしてる時間の方が長いんじゃないかってくらいでした。

 それがなければ早く着いたのに・・・

 10時。こういう暑い国を走るときの鉄則としてはなるべく朝の涼しいうちに行動して、朝の時間に距離を稼いでおくことなのに、10時じゃ、もう暑くてしょうがない時間です。


 そんな10時にバスを降ろされて、パッキングをして、出発は10時半くらい。

 いきなり暑い。これは結構つらいです。
久しぶりに走ってみると、ああ、そういえば自転車で走るってこんなだったなあなんて感覚がどんどんよみがえってきて、でも暑さは尋常でありませんでした。

30kmで、4回くらい休憩を入れました。

 ところで、世の中、何んでもこれ以上飲んだら死んでしまうと言う致死量というものがあります。
 理科年表を見ると薬品別にその致死量が書いてあるのですが、確か水にも致死量と言うものがあって、ある程度以上の無と死んでしまうそうです。

 ある程度、とはどのくらいかと言うと、そんなの絶対飲めないよ。ってくらい大量。そんなに飲むまえに体が破裂して死んじゃうよってくらいだったように記憶してます。

でも、4回目の休憩で、しこたま水を飲んだら、ちょっと気分が悪くなりました。水もほどほどにしないといけないみたいです。

 インド、パキスタンのワガボーダーに到着すると、ひとつ、パキスタンでのタブーを思い出しました。

 私の格好は短パン、Tシャツ。パキスタンではTシャツは許されても短パンは男でも許されない。

 こんなまことしやかな情報にちょっと挑戦してみようと思い立って、(と言うか、実は着替えるのが面倒で、言われたら着替えればいいかと言う気持ちで)そのままの格好で、国境越えを試みてみました。


 大成功!!誰も何も言わなかったので、そのまま通り越してきました。その後も誰に何を言われることもなく、走ることができたので、きっとパキスタンで、短パン、大丈夫です。

 国境を越えるとオアシスゲストハウスという、3月にオープンしたばかりの新しい日本人宿のスタッフが何故か来ていて、宿まで道案内してくれました。

でもボーダーからラホールの町まで30km、この暑さでは休憩なしでは絶対に走れない距離。

 彼がバイクで、先に行って待ってるから、と言って、独りになった隙にちょっとのつもりで休憩に入って、お腹も空いていたので、ちょっとしたナンとカレーの屋台があったので、そこでナンとカレーを食べることにしました。

 10ルピーって言われて、食べ終わると、今度はチャイが出てきました。頼んでないのに。ま、チャイくらいイイかと思ってチャイも飲んで
「いくら?」
 と訊くと、屋台のおじさん、さっきは10ルピーって言ってたのに
「お代はいらないよ。」と言うしぐさ。いきなり善処を受けてしまいました。

 まだ、のどの渇きは癒されてなかったので、すぐ近くのマーケットでアイスを買うと、今度は隣りの乾物屋みたいなところのお兄ちゃんが「ここに座りな」って席を作ってくれて、あんまり英語が通じないなりにちょっとしゃべってたら、レモンジュースみたいなのをご馳走してくれました。

 ああ、なんかパキスタンの人ってこんなに優しかったっけって思って、ちょっと感動してしまいました。

 でもそういえば思い返すと、いろんなところで、お代をチャラにしてもらったり、食事を分けてくれたりしてたことを思い出しました。

 ちょっとまた、パキスタン楽しみになってきました、やっぱり自転車って言うのが効いてるのかも知れません。

ただ、パキスタン、警察がちょっとうるさくて、何かにつけて危ないからって、自走させてくれないことが多くて、今度はどうなることやらって感じです。

イスラマバードくらいまでは暑いだろうし、乗せてもらえるといいなとちょっと都合のいい事考えている今日この頃です。


明日、ラホールを出て、イスラマバードに向かいます。4日くらいかな。

 チャリダー復活です。多分。久しぶりに乗ったらたったの60kmくらいで疲れました。でも明日からまたがんばります。
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by fuji_akiyuki | 2007-05-02 17:40 | パキスタン2