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美味しいフライドポテトの作り方。

マクドナルドのフライドポテトって美味しくないですか?
ちょっとお菓子っぽいサクサク感がたまらなく好きなんですけど。

ところで、マクドナルドのポテトって、自分で作ると中々ああいう風になりませんよね。

 ここ、一週間ほど、”目指せマクドナルド”を合言葉にどうやったらあのフライドポテトに近づけるのか、頑張ってみました。

 なんか、マクドナルドのフライドポテトって、衣がついてるみたいに表面がなんかサクサクしてません?

でも片栗粉や小麦粉で、衣をつけるとすれば絶対にはがれるはずだから、衣の線は無いと思いました。

 外はサクサク、中はホクホク、どうしたらいいんでしょうか。

 マクドナルドは実は一度マッシュポテト状にして、それをあの形に作り直してあげてるのではと思って、よーく観察してみたことがありますが、それにしては長さも不ぞろいだし、末端の形が変なものも含まれているところを見ると、やっぱり、機械で、ジャガイモをあの太さの四角柱状に切ったと考えたほうが自然な感じでした。

じゃあ、どうやったら、あんなさくさくの外側が出来るのか?

謎です。

そのまま揚げると切り口はしっかり切り口で、あのサクサク感はなく、揚げすぎかと思うほど揚げても硬くなるだけで、ああはならないんですよね。

 ジャガイモの種類が違うのか?
油の質が違うのか?
油の温度管理に問題があるのか?

いやいや、でももうちょっと近づけるはず。


切ったジャガイモを一晩ほど水につけて置いたらなるんじゃないかといった人もいましたが、なんかいつもそこまでやる気になれないというか、前日から、さあ次の日、フライドポテトをやるぞとは、なぜか思わなかったのですが、ちょっとその辺りから、ヒントを得て、一度ゆでてみたらどうだろう。

と、そう思ったとたん、そうだ、粉吹き芋を上げるような要領ならどうだろう。

そう考えて、第1回目トライアルでは、後で揚げるからと思って、軽くゆでてから揚げてみたのですが、生から揚げたのとほとんどかわり無し。
あえなく失敗。

第2回目トライアル。

 これでもかと思うほどゆでてみたら、すでに切ってあるので、ジャガイモがかなりぐずぐずになってしまいました。3割ほどは崩れて使い物にならない感じでした。
でも、なんとか形のあるものを揚げると、これがなんと、結構感じが出てきました。
でも、粉吹き芋って、茹であげてから、鍋をぐるぐる回して、お互いにぶつかって、表面が粉状になりますよね。
アレを作りたいのですが、このときはとてもじゃないけど、そんなことしたら、マッシュポテトになりそうだったので断念です。


第3回トライアル。

 これは、今日のお話ですが、昨日と同じように十分にゆでてみました。でも、昨日より大きな鍋出でゆでて、ざるを使わずに穴の開いたお玉のようなもの(網じゃくしというものらしい)で、ゆでたジャガイモが崩れないようにすくって、油で揚げてみました。

 これはかなり満足度の高い作品に仕上がりました。

が、やっぱり、粉吹き芋のような表面にはなっていないので、今ひとつというところ。

 マクドナルドよりやや太めで作ってみたのですが、これ以上細くするとゆでた時点で、ボロボロになりそうで怖いです。
 でも、もしかしたら、もう少し硬くゆでて、鍋に入れて、少し揺らすといいのかもしれません。
 
 でもちょっとマクドナルドのフライドポテトに近づけたことがうれしくて、日記を書いてしまいました。

ちなみに「美味しいフライドポテトのつくり方」で、検索すると出るわ出るわ、うじゃうじゃレシピが出てきます。
私の作り方とは全然違うので、もし、美味しいフライドポテトが作りたい方は参照にしてみてください。

なんかどうでもいい日記でしたね。
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by fuji_akiyuki | 2010-01-28 14:52 | グァテマラ

半年振りのペダル。

メキシコシティに約3ヶ月。そして、バスで、カンクンに移動して、
ユカタン半島を満喫して、キューバで腹を立てて、サンクリスト・バルデラス・カサスに戻るまで約2ヶ月。
合計約半年、ペダルから遠ざかった生活をしていました。

 半年振りに踏むペダルは重い、重い。
こんなに自転車って重いものだったかなぁと疑問におもい、挙句の果てにはどこか壊れてるんじゃなかろうかと点検してしまう始末でした。

 最初の上り坂から何度も休憩を入れて、一日目の最後の方には太ももとふくらはぎと足の裏がつってしまうという体たらく。

初日こそ、これはとんでもないことになったぞ。と思ったのですが・・・

日を追うに連れて、体力が戻るというより、休憩を取るタイミングとか、適当な力の抜き加減とか、きっとそういった勘を取り戻すことが出来てくると、それなりに走れるようになってきます。
 2日目、3日目辺りはお尻の痛さがマックスに達して、朝などはもう今日はこげないんじゃないかと思うほどで、サドルに座るのが恐怖なくらいですが、これもいずれ慣れてきます。

 そうなって、ようやく少し余裕が出てくると。。。
いや、やっぱり、初日からそう感じていたのかもしれませんが。

 そう、ペダルを踏んで、旅をしてみて、ああ、やっぱりこれだ。って思いました。
ずっと乗ってるときは、疲れるし、面倒くさいという気持ちもあって、どこかで、1週間、2週間と沈没するとだんだん、出るのが嫌になってきたりもしていましたが、久しぶりに走ってみるとやっぱり自転車のたびが面白い。
そう感じました。

 昔、まだ、旅を始めたころ。こんな話を聞きました。
パキスタンのフンザという村でのことだそうですが、景色がいいということで有名で、旅行者達にも人気の場所です。
まだ私がパキスタンを訪れるずっと前、フンザがどういうところなのか、まったく知らなかった頃の話です。
私の友人が「ここからの眺めはきれいだけど、電線や鉄塔が無ければもっときれいなのに。」
といった言葉に対して、一緒にいたパキスタン人に
「でもね、あの電線や鉄塔のおかげで、フンザにも電気が来てるし、フンザと、その周辺の村でも電気のある生活が出来るんだ。
観光客が景色を楽しむために大勢の人から電気と便利な生活を奪うことは出来ないよ。」
と、たしなめられたそうです。

 このエピソードはこれを聞いたときから、今に至るまで、私の旅行の根幹に位置する辺りをいつまでも漂っているのです。
中国を旅していたとき、トルファンで、同じ宿になったチェコ人がこういっていました。
「テレビや映画で見る中国人はもっとたいそうな服装で、とても威厳のある格好しているのに、町にはそんな人は一人もいないけど、あればもしかして日本だったのか?」
と聞かれて、私は
「それはきっと昔だからだよ、日本だって今と昔じゃ全然違う格好をしているよ。」
というと、
「ああ、そうだ、日本はこんな髪形をして、刀を腰に差してたな。何でやめちゃったんだ。昔のままのほうが面白くていいじゃないか」
と、言うような意味のことを言われたことがあります。
その時、私は少なからず反感の感情を抱きました。
侍も着物も日本人自身が選択をして、やめたもので、観光客のために着物を着て、丁髷を結うことはしません。フンザの電線のように。

人の生活スタイルや、文化、文明は時代によってかわるもの、時の流れとともに移り行くものであると思っています。
アフリカの片田舎でも、電気は広がり始めているし、いまや自動車の走らない国などありません。
 そんな時代にあって、何でもかんでも昔ながらがいいとは思いませんし、不自然に残された民族衣装を見たいとは思いません。
いくら文明が発達しようとも、やっぱりその国独自の個性は出てくるものだし、地域の差が全くなくなることも無いと信じています。
だから、私は、その国の現在あるべき姿が、自然な姿を楽しみながら旅行が出来ればいいと思っています。

だから、私は観光客目当てにこれ見よがしに着用される民族衣装が嫌いだし、観光客のために作られた町、観光客のためのカフェ、観光客のためのレストラン、そういったものにあんまり興味が湧きません。
ありのままの姿が見たくて、旅をしているのだということに気が付きました。


自転車で走ってるときに立ち寄る、何一つ見ることも無いような変哲も無い町や村、一日の行程を終えて一夜の宿をとる小さな町。なんか旅してるって感じになります。
ふらりと知らない町、知らない国を旅するというのはこういうことなのだろうという感覚。
その国の、その町の素顔が見えるというか。

 いわゆる観光地と、呼ばれるまでも無い、でも、旅人の間で有名な町。ただ単に乗り換えのために寄るような町だったとしても、旅人同士の会話の中に出てくるような町はどこでも、多かれ少なかれ、なんとなく対旅行者用の顔を持っているものです。

多分、私はこの対観光客用の顔が大嫌いなんだと思います。観光客であるのに観光客として扱われること、旅行者用のコースに乗せられてお金だけ払って、観光するのではなく、観光させられることがどうしても好きにはなれないようです。
それこそ、いわゆる観光地と呼ばれる場所は完全に観光客と現地人は別の世界。そして、観光地というのは世界中どこも皆おんなじように、欧米人好みのカフェと、レストランと、バーがあって、多くの旅行者が行き来して、どの国でも同じ空気が流れています。
そういう場所でもつるむ人がいれば面白いのですが、一人だと全く面白くありません。
私はそういう場所が結構嫌いだということに気がつきました。結局そういう場所はどこの国に行っても全然個性がありません。
そして、観光客として、十把一絡げに対観光客用の態度で対応されて、その国の素顔が見えてきません。まるで、遊園地に来た客のように。
親切であれ、なおざりであれ、とにかく、観光地では何一つ素顔が見えてきません。
ただ単に観光客という枠組みに入れられ、くくられるのが嫌いなのかもしれません。
私は、この町で、我が物顔のように闊歩しているが、その実、観光客として、あしらわれていながら、満足げに、楽しげにしている観光客とは一緒にされたくない、違うと思いたいのかもしれません。

 とにかく、久しぶりに自転車で走って、何もない、観光客なんて訪れる余地すらないような町で一休みしたり、一夜を過ごしたりするのが、楽しかったのです。

もちろん、目を引くようなものなんてほとんどありません。
でも、自転車で旅をしているとそんな町に着くまでに疲れて、汗をかいて、喉が渇いて、お腹がすきます。
 どんなものでも美味しく感じるし、町に着いた安心感や、達成感や充実感も湧いてきます。
特に屋台が面白い。ちょっとした炭火の上に鍋を載せて何かを売ってたりします。
その町の人しか相手にしてないし、その町の人はそこのおばさんが何を売ってるのか知ってるから、別に宣伝することもありません。
私はいちいち聞いてまわらなければなりません。これが街中だと苛立ちの原因にしかならないのですが、行きかう人皆が知り合いみたいな小さな町では、確かにここでは何を売ってて、いくらだ何て書かなくてもいいような気がしてきます。
 で、聞いてまわると意外とナンだろうこれは?と思って、ちょっと食べてみたくなったり、飲んでみたくなったりするものだったりします。
なぜか大都市に来るとどこかにあるんだろうけど、味わうことが出来なくなったりするものがほとんどで、しかもあったとしても、自転車で走った後に飲んだり食べたりしたときほど美味しくは無かったりするのも不思議です。

 そんな小さな発見も好きだし、そんな村や町で、自分が、観光客として扱われずに、ちょっと戸惑いながら商いをしてくれる人たちと接するのが面白かったりします。
わたしは、その国の言葉は大体、ほとんどしゃべれません。そして、観光客の対応なんて慣れてないそんな村や町ではどうしていいのか分からなくて、丁寧に説明してくれる人や、面倒くさくて、適当にあしらわれたりすることもあるのですが、でも、観光客用の顔ではないのが面白いのです。
良きにつけ悪きにつけ、素の対応をされるのが、私は好きなようです。
なんとなれば無視されるくらいのほうが、「日本から来た?あっそう、だからなに?」くらいの態度で接してもらうのが一番私は好きなようです。
だから、他人について、ほとんど我関せずといった、中国がすごく好きだったのかもしません。
 なんか、自分がその町や村に溶け込めている感じがするのです。
こういう感覚、分かるでしょうか?

 ここ2週間くらい、久しぶりに走ってみて、何度か、とんでもなく小さな町、普通の人なら、村としか表現しないような小さな、小さな町にも何度か泊まったのですが、これが、面白くて仕方ありませんでした。
多分2泊すれば飽きるような小さな町だし、確かに見るものは無いのですが、自転車に乗って、町に到着したときの喜びや、安心感、達成感、走りきった充実感は全てを興味深くさせるようです。

でも、着いた町が観光地だと、この、対観光客用の対応が鼻に着いて、正直、あんまり楽しめません。
なれなれしく声を掛けてきたとおもったら、レストランやホテルの客引きだったり、マリファナの売人だったり。ちょっと頭のイカれたヒッピーだったり。

観光地は観光客で成り立っているわけだから、観光客好みに変わっていくのも当然だし、そうやって、生業を立てているので、ちょっと観光客に媚びたような、それでいて、裏でバカにしているような。
どうしても、そんな風になっていってしまうのでしょうけど。
でも、そういう町では、自分が旅行をしているというより、観光させられているような気になってしまうので、あんまり好きになれません。

 で、今回、久々にペダルを踏んでみて、何がすきなのか、分かったような気がします。
小さな町や、村が好きなわけではなくて、その、素顔が見られるのが面白くて、でも、それだけじゃなくて、そこにはやっぱり自転車で走ってたどり着いたときの疲れとか、充実感が必要立ったりするわけです。
バスで来たら、15分で飽きてしまうような町や村ばかりです。ここで、一夜を過ごして、夕飯もとらなければならない立場であればこそ、一日走り続けてようやくたどり着いた町だからこそ、その魅力が倍増するのです。

そして、私は大都市も好きだったりします。
大都市にはいろんな人がいるので、もちろん、観光客相手の商売をする人もたくさんいますが、そうじゃない人もたくさんいます。
対観光客じゃなく、普通に商売する人が多くいて、その都市に生活する人がいて、観光客なんてどこ吹く風って感じで回っている大都市が好きな理由もなんとなく分かってきました。

 メキシコシティで言うと、結構好きだった場所が、メルセ市場という、巨大な市場でした。
どこの町でも観光客がくるような町だと、結構市場も観光客にはふっかけてきたり、しつこく物を売りつけようとしてきたりするものですが、ここは違ってました。
本当に「観光客だろうが、誰だろうが、ウチはこの値段。別に値下げもしないし、1キロからでしかうらないし、嫌だったら他を当たりな。」
って態度が好きでした。つまり観光客なんていちいち相手にしてないって、感じがすごく好きでした。
そういう意味ではもちろんウォールマートも差別は無くて好きですが、まあ、スーパーだから当たり前ですけど。

 これだけ長く旅行をしていると、どの国が一番よかったかとか聞かれます。
もちろん答えは中国になるんですけど、何でか、考えると、中国ほど、自分が観光客であることを意識しないで過ごせるところって無かったんですよね。
 じゃあ、どこの町が好き勝手ことになると、とたんに答えが出なくなるのも、大体、中国はどこに行っても同じ。同じように我関せず、誰が来ようとわが道を行くって感じ。観光客なんて無視。
位の勢いが、居心地が良くて、どこもかしこも大体好きでした。強いてあげると、雲南省がちょっと観光地化されてて私にはあんまり合わなかったかも知れません。

 中国がすきなのもきっと、この辺に理由があるように思います。
 
観光客でありながら、観光客として扱われたくない、私はそんなワガママな旅行者ですが、自転車で回るとこれが可能になるのです。
しかも自由に、好きなときに出発して、好きなときに休むことが出来て、好きな場所で、一夜を過ごすことが出来ます。
バスの時間を気にすることも、来るか、来ないか、来るとしてもいつくるか分からないバスを待つことも無ければ、ぼられてないかと心配したり、周りの人がいくら払うのか注意深く観察する必要もありません。
ペダルを踏むのは体力の要る作業ですが、心地よい疲労感と、充実感は他では味わえません。
汗をかいて、熱くなった身体に吹き付ける高原の風の清涼感はバスでは味わえないのかもしれません。
そして、素朴な町や村を散策するのはとても気分のいいものです。
 長いブランクのおかげで、自転車の魅力にまた取り付かれそうです。
今はアンティグアという、ガテマラの首都に程近い町に居ます。
ここから、しばらくは自炊できる宿も少ないと思うので、ここで、調味料をなるべく使い果たして、軽い身にして、走り出す予定です。
それでも、出発前から、すでに自転車で小さな村や町を転々としながら、ちょっとした発見をするのを楽しみしています。
 

 
  
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by fuji_akiyuki | 2010-01-20 03:10 | グァテマラ