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標高4000m,アンデスの秘湯,“もう一つの”アグアスカリエンテス

ペルーでアグアスカリエンテスと聞くとマチュピチュの麓にある温泉街、近年、マチュピチュ村などとふざけた名前に改名した小さな町を思い出す人も多いでしょう。
でも、クスコの近くにはもう一つ、アグアスカリエンテスと呼ばれる土地があるのです。

 もともと、アグアスカリエンテスとは、暖かい(カリエンテ)水(アグア)と言う意味で、ズバリ温泉を意味するので、もしかするとアグアスカリエンテスと呼ばれる土地は、もっとたくさんあるかもしれません。

 今回、私が訪れたのは、マチュピチュの麓ではなく、クスコからプーノに抜ける時に通る標高4300mのララヤ(la raya)峠の手前にある5000m級の山々に囲まれた立地条件と雰囲気は最高のくせに、ガイドブックにも載ってなくて、クスコの観光案内所の人も知らない秘湯、もう一つのアグアスカリエンテスです。

 クスコからプーノまでは大きな町としてはクスコから順にウルコス(Urcos)、シクアニ(Sicani)、アヤビリ(Ayaviri)、フリアカ(juliaca)、プーノがあります。
上記のシクアニとアヤビリの間にアグアスカリエンテスと、ララヤ峠があります。
シクアニから、上ること約30km、アグアスカリエンテスがあり、更に約10km、シクアニからだと約40kmのところに4300mのララヤ峠があります。

10年前、全く同じ道を私はクスコを出て、ウルコス、シクアニ、アヤビリ、フリアカと宿泊して、プーノまで行きました。
その時はガイドブック(たぶん歩き方)にアグアスカリエンテスという表記だけはあったので、温泉の存在は知っていたのですが、シクアニとララヤ峠の間と言うだけで、正確な位置も、そこに泊まれるのか、どの程度の登り道なのか、国道から更に入らなければならないのかどうか、全然詳しいことは分からなかったので、温泉は走ってる途中で見つけたら入ってみようくらいのつもりで走ってしまいました。
シクアニに宿泊してしまった私は、そのアグアスカリエンテスには朝のうちに到着してしまいました。
 峠の手前で、国道沿いに掘っ立て小屋があって、線路を渡って50mも下ると川沿いに源泉があり、ちょっと大きめの建物の中に内風呂があるだけのひなびた、本当にひなびた小さな温泉でした。
でも、あんまり管理されてなくて、入る人も少ないようで、内風呂はちょっとぬるかったので、源泉と川が合流するあたりで、露天風呂を楽しんだりしました。
かなり野性味のある温泉でした。
 到着した時に前の晩に着いて、ここにテントを張って一泊したと言う白人チャリダーがいて、ちょっと話して、その人が出て行くと温泉は私一人の貸し切り状態になり、他に誰もいなかったので、裸になってはいることが出来ました。
ゆっくり温泉を楽しんで、身支度をして、さあ出発しようと言うときにようやく地元の若者が5,6人、自転車に乗って、温泉に入りに来ました。そのくらい、人は少なくて、野性味溢れた本当に“秘湯”だったのです。

でも、このとき、そこで一泊したと言う白人チャリダーがちょっと羨ましくて、自分も一泊して、夜の温泉を独り占めして、朝風呂にまで入って、温泉を堪能すればよかったとちょっと後悔してました。


 そして今回、同じ道を通るなら、と、今度こそそこに泊まってやるぞと思って、クスコから情報を集めてみました。
これが、全然情報が入ってきません。ガイドブックは歩き方にもロンリープラネットにも微塵もそんなこと書いてありません。クスコの観光案内所では記憶とは全然違うサンペドロかサンパブロって町に温泉があるって教えられました。
地図で調べてみると確かにサンパブロは載っているのですが、それはシクアニの手前、記憶の中のアグアスカリエンテスはシクアニの後、ララヤ峠の手前。これじゃ話になりません。
うーん。おかしい。あれだけ寂れてたから、もしかしたら廃湯になったのかも。。。



 でも、私は10年まえの記憶を頼りに温泉で1泊出来るように計画を練りました。

 10年前はクスコから
クスコ→50km→ウルコス→100km→シクアニ→100km→アヤビリ→100km→フリアカ→45km→プーノ
という距離配分になるので、無理なく走れる上に泊まる町は全て大きめな町で、宿が無いと言う心配もありませんでした。
でも、こうしてしまうとシクアニで泊まるので、温泉にはどうしても早い時間に着いてしまいます。朝着いてそのまま一泊するのはちょっと一日がもったいないですよね。

そこで、今回は初日にウルコスに泊まらず、ウルコスとシクアニの間で一泊、翌日シクアニをスルーして温泉で一泊。ま、後は適当にプーノまで行こうと計画しました。
 でも、一泊目が大変でした。ウルコスから約50kmに位置するチェカクペ(checacupe)と言う村に泊まりました。この村は地図で見ると周辺より一ランク大きな丸でかかれてます。私の持っている地図では、町、村、集落は人口によって、まるの種類が細かく5,6段階に別れているので、小さいほうから2番目のまるになっているチェカクペのほうが周辺の一番小さいまるの村よりいいだろうと思ったのですが、チェカクペには宿が一軒しかなくて、しかも宿の人がいなくて、泊まることが出来ませんでした。
宿の人が帰ってくるのを待つか、10km先の地図上で一番小さな丸の村に宿があることにかけてそこまで行ってみるか、夕方から雲行きが怪しくなってきて東のほうから確実に雨を降らせそうな雲が迫ってきています。
いつ宿の人が帰ってくるか分からない、帰ってくるかどうかも分からない上に雨雲が迫ってるとなるとちょっと心細くなります。
でも、やっぱり次の村のほうが地図で見て小さい丸ってことは宿が無い可能性が高いとみて、ちょっと落ち着いて待ってみようかと商店でビールを飲みながら、商店の人に他に宿は無いのかと駄目もとで聞いてみるともう一軒、あそこの大きな門の建物も泊まれるよって教えてくれました。
そこはどうも一般の宿泊施設ではないようで、最初断られたのですが、村にある唯一の宿の人がいなくて、泊まれないと言う事情を説明すると5ソル(約150円今のところペルーでは際安)で泊めてもらえました。

私は泊まれたのでラッキーだったのですが、チェカクペの宿はちょっと当てに出来ません。

 翌日、10年まえの記憶だけを頼りにチェカクペを出発。10km先の町には実は街道沿いに2軒も分かりやすい宿があって、チェカクペより全然活気のある町でした。こっちで泊まればよかったと後悔しながら、先を急ぎます。
シクアニの15kmほど手前、サンペドロと言う村がありました。観光案内所で教えてもらったとおり、温泉もあるようでしたが、やっぱり私の記憶とは全然違います。
 サンペドロをから更に2,3kmほど走ると今度はサンパブロという町がありました。こちらは地図に載っている町です。温泉があるかどうかは不明ですが。
なんか似た名前の町が立て続けにあると確かに混同しそうです。観光案内所の人もどっちか良く分かってなかったみたいでした。

 シクアニまで約40km、ここを出て、温泉がなくなっていたら、温泉があってもテントを張らせてもらえなかったら、もしくは温泉なんて全然なくて、ただ私のトチ狂った記憶違いだったら、何処で泊まろう?
シクアニの次に泊まれそうな町まで行くなら、峠の向こう側のサンタローサまで走らなければなりません。
シクアニから峠まで40km、サンタローサまではさらに30kmあります。ちょっときついかもしれません。
でも、テントを張るならララヤ峠には打ち捨てられた鉄道駅があったはず、と10年まえの遠い記憶を必死に呼び起こします。

 簡単にテントを張ると言ってもやっぱり標高4000m、夜はかなり冷え込むし、下手なところに張ると時間によってはすごい強風に見舞われて、テントのフレームに致命傷を受けたりすることになります。
出来れば建物の陰とか、もっと贅沢を言えば小屋とか、廃屋とか、屋根の下にテントが張れればより安心です。

そんな心配があるので、シクアニを出る時はちょっと後ろ髪を引かれる思いでした。

 シクアニまではきっとここで、温泉があるか聞いてもきっと教えられるのはサンペドロだろうと思ったので、シクアニを出て、しばらく走ってから、道端を長い塩ビパイプの束を担いで歩いていた二人組みのおじさんに聞いてみると・・・
ああ、あるある、もっと上だよ。10kmくらいかな。
と、前を持つおじさんが言うと、後ろのおじさんが
いやー10kmじゃないよ。もっとあるよ。

 嬉しい答えでした。記憶の中のアグアスカリエンテスもそこから、15kmか20kmくらいありそうでした。
でも、まだあるってことははっきりしました。記憶違いでもなくて、廃湯になってもいませんでした。
はたして、記憶の中とほぼ同じところに、温泉は存在していました。

シクアニから27,28km、キロポストだと何故か2系統あるのですが、多分新しいほうだと1137kmと1138kmの間で、古そうなほうだと1147kmと1148kmの間でした。

ただ、温泉は大きくなり、かつての内風呂だと思われる大きな湯船は建物が取り払われて、露天になり、そのほかにも大小7,8個の露天の湯船(というかプール)の他に、サウナ、家族風呂、プライベート個人用の風呂など、風呂だけでいろんな施設が立ち並び、他にも売店、脱衣所、シャワー、レストランに宿泊施設まで整ってました。
温泉街と言う感じではなくて、一つの温泉リゾートみたいになっていて、地元のペルー人が大挙してやってきていました。
途中、荷台にいっぱい人を詰め込んだトラックに何度か抜かれたのですが、そんなトラックも温泉行きだったようで、午後になると温泉の駐車場に止まっていたトラックが荷台にたくさん人を乗せて、来た時と同じように帰っていきました。
10年前に比べると施設も拡大して、人もたくさん来るようになったので、“秘湯”にはクエスチョンマークがついてしまいますが、5000m級の山々に囲まれる環境と爽快感は変わることなく、気持ちのいい湯です。

わたしは、温泉に午後1時過ぎに到着しました。その頃は地元の人で大盛況でしたが、2時過ぎくらいから人が引けてきて、4時か5時にはもう数えるくらいしかいなくなってました。
夜は殆ど独り占め、朝も夜明け前くらいから徐々に明るくなる空と消えてゆく満天の星空を眺めながら2時間くらい入ってしまいました。
 
 多分、源泉の温度は十分熱いのですが、そこはペルーの温泉、なんか湯船はぬるく設定されているのがちょっと残念でしたが、今まで入ったペルーやエクアドル、コロンビアの温泉と比べても野性味に溢れて、一番気持ちのいい温泉でした。


温泉はクスコから行くと国道のすぐ左側だし、クスコープーノの主要道路なので、バスで通っても見ることが出来ます。気がついた方もいたかもしれません。
オススメの温泉なので、予想される行き方(保証できないのですが)を書いておきます。

●行き方●
バスの場合
クスコから
 大きなバスは好きなところで乗り降りできない可能性が高いので、クスコからだとシクアニまでバスで行きます。
シクアニで、『アグアスカリエンテスにいきたい』と言ってコレクティーボかミニバスを探せばいけると思います。
シクアニからサンタローサ行きかアヤビリ行きがあれば確実に通るので、多分いけると思います。
もしかするとアグアスカリエンテスに行くツアーみたいなものがあるかもしれません。地元の人はそれで来てるみたいでした。
シクアニから日帰りでも泊まりでもいけると思います。
 アグアスカリエンテスは国道のすぐ側なので、シクアニに帰るもアヤビリ方面に向かうにもバスかコレクティーボを捕まえるのに余り苦労しないで済みそうでした。

プーノから
クスコからと同様に大きな長距離バスならアヤビリかサンタローサまで行きます。
サンタローサで降りれるなら多分サンタローサのほうがいいと思うのですが。。。
そこから、アグアスカリエンテス行きか、シクアニ行きのコレクティーボかミニバスを探します。

自転車、バイクの場合
クスコープーノ間を走ればまず間違いなく見逃すことは無いと思いますが。
シクアニから約27kmくらいで、ララヤ峠まで約10kmに位置します。
キロポストだとキロポストは多分新旧で2系統あって、シクアニ方面から1147km、1137km、アグアスカリエンテス、1148km、1138km、となります。
ちなみにララヤ峠は1158、1148ぐらいにあります。

●料金●2010年10月
入湯料3ソル(約90円)
宿泊料金10ソル(約300円)
サウナ5ソル(約150円)
プライベート湯3ソル(約90円)
入湯料と宿泊費の13ソルで泊まって、露天風呂は全部入りたい放題です。
サウナとか、プライベートは別料金になります。
他にもいろいろあるようなので、興味があったら行って聞いてみてください。


昔はガイドブックに乗ってたのに最近は削除されてしまったようですが、かなりオススメの温泉なので、もし時間に余裕がある方は是非。
 
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by fuji_akiyuki | 2010-10-05 00:24 | ペルー

パロ

ストって言うと、日本ならJRのストだったり、バス会社のストだったり、つまり、雇用されている側が給料を上げろとか、労働環境を改善しろとか、そういった要求を通すために起こすものですよね。
パロというのは“スト”と訳されるのですが、ちょっと違います。

 クスコまで、最後の大きな峠に差し掛かったときでした。
登り始めて間もなく、小さな村があるのですが、その村の住人が、木を切り倒して、道路を遮断するように横倒しにして、並べています。
パロです。


 パロはスペイン語の“止まる”という動詞“parar(パラール)”の活用の一つだと思うのですが、これがストライキだとよく訳されるそうです。

 一体何をしているのか。

 10年前にもありました。道路に石を並べたり、路上でタイヤを燃やしたり、ひどいときには道路に横向きに駐車したバンを燃やしていたり。
そうやって、交通を妨げます。10年前にはボリビアで、水道料金の値上げか何かに住民が不満を爆発させてそういう暴挙に出たそうです。

 今回もきっと何かに抗議してのパロだと思われますが、わたしは、この抗議の方法にはどうしても反発を覚えてしまいます。

今回、すでにペルーに入って、2ヶ月ほどがたちますが、パロに見舞われたのは初めてでした、でも、このクスコ周辺ではつい一月くらい前にもあったそうです。その少し前にもボリビアでパロがあったそうです。
パロはアンデス周辺でよくある抗議行動なのかもしれません。

 何に対して抗議しているのか分かりませんが、バスやトラックの交通を闇雲に妨げる行為をわたしはどうしても許せません。

 べつに私は住人でもないし、外から来て、そんなこと言うのもどうかと思うかもしれません。しかも、自転車で移動している私には殆ど被害はありません。
ちょっと自転車を担いで、乗り越えればすむことなので、私の旅行には全く影響がありません。それどころか、車が止められているので、道路いっぱいに使えて返って自転車で走るのが楽になるくらいです。

 でも、パロは行政やら、政策に抗議するにしても、被害をこうむるのは圧倒的に一般市民です。もちろん旅行者も含まれます。やり方も矛先も全く間違った抗議行動で、わたしはどうしても怒りを覚えずにはいられません。

 止められた車の中にはどうしてもそこを通っていかなければならない人だって含まれているでしょう。緊急を要する車両や救急車だって含まれるかもしれません。大事な親戚や友人の結婚式に駆けつけるためにバスに乗った人もいるかもしれません。
旅行者であれば時間の無い人はマチュピチュに行こうとして、限られた時間の中で計画を立ててきたのにこのパロのおかげで行けない事もあるようです。
いくらでも迷惑な状況は想定できます。

でも、その殆どの人は周辺住民の不満とは何の関係も無い人たちです。それどころか、被害を受けるのはパロをやっている本人達の場合だってあるんじゃないでしょうか。
しょっちゅうやっていればパロをやっている最中に急病人が出るかもしれません。でも救急車を呼ぼうとしても自分達で道をふさいでいるから、救急車は来ることが出来ません。
パロはある村が一つだけ行うのではなく、大体、周辺の村々、町々で一斉にやっているので、パロ中に病人が出て、救急車を通そうとしても周辺の村、町全部のパロを一旦中止することは難しそうです。
そうやって、パロをしなければ助かった命が失われて行ったこととかないんでしょうか。

 わたしは、自転車でパロしている村や町を通ってきました。でも、住人はそんな困っている人のことなんて知らん顔で、お祭り騒ぎでした。
車が通らないことをいいことに道路で、サッカーやってたりしてました。

 どうしても行きたい。病気の母を見舞うために、兄弟の結婚式にどうしても出たい。病人の命を乗せた救急車は一刻も早く大きな病院に到着しなければならない。
そんな切実な思いを乗せた車両を止める権利なんて誰にもありません。

 そして、こんなに迷惑をかけているのに当人達はお祭り騒ぎ。一体どうして、こんなに人のことを思いやることが出来ないんでしょう。
逆の立場になった時、どう感じるか、どうして想像できないんでしょう。そして、いつでも逆の立場になることはかんがえられるのに。
教養が無いってこういうことなんでしょうか。

 パロをしながら、お祭り騒ぎの村人達をみて、無性に腹が立ちました。
何の抗議行動かは知りません、はっきり言ってどうでもいいです。こんな風に全く関係ない大勢の人達に迷惑をかけて、平気な顔をしている奴らなんて、全員死んでしまえばいいのに。
本気でそう思いました。

 私がペルーに滞在している間に、少なくともクスコ周辺で2回、ボリビアで一回あったそうですが、アンデスに上るまで他では全く聞きませんでした。
そう考えると、こういうパロはクスコやラパス周辺だけなのかもしれません。

 クスコの町に入ってくるときにも道路に石を並べているところ、 木材で道を遮断しているところ、ところどころにありました。
目撃するたびに気分が悪くなりました。

 何に対する抗議かは知りません、でも、やり方も矛先も全く見当違いです。

10年ぶりのクスコでしたが、何もかもが色あせて見えた感じです。
ペルー、ここまで好印象でしたが、クスコに上がってきて、ちょっと嫌な面を見てしまった気がしました。

今回マチュピチュもパスしました。
 マチュピチュ見に行くには10年まえの数倍は掛かるようでした。
インカトレッキングに行こうものなら、ガイドもつけなきゃならなくなって、ツアーじゃないと入れなくなっていて、10倍くらい掛かります。
10年前は勝手に4人くらいでパーティ組んでインカトレッキングで行って、マチュピチュでやれることは殆どやりつくしたので、いまさら何倍も払って見に行くのもバカらしいです。
実は同じ思いでナスカの地上絵もセスナには乗りませんでした。
ちょっと有名になるとドンドン値上げするって所もあんまり好きになれません。

 本当に見たいものは、本当に感動的なものは、前回日記に書いたように、お金を払うようなところじゃないことのほうが多いです。
そして、その感動は、遺跡とか、そんなちっぽけなものじゃ味わえません。

 これから、チチカカ湖、ボリビア高原、ウユニ塩湖、10年前に行こうかどうか迷っていけなかったラグーナベルデ、そして、季節的に行けなかったパタゴニアとアンデスの数ある峠などが待っています。
しばらく、10年まえの自分と競争になりそうです。
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by fuji_akiyuki | 2010-09-28 07:16 | ペルー

雨の町プキオ(Puquio)、そして雪辱のアバンカイ(Abancay)

大雨に遭って、工事車両に拾われてプキオまで送ってもらった私は天候の回復を待つために、プキオで停滞を余儀なくされました。
しかし、雨は弱くなることはあっても、止むことはなく強くなったり弱くなったりしながら降り続きました。
時期的にもう晴れないのかもしれません。
プキオに着いた日、その翌日、そして、その次の日も雨。
もう、限界でした。2泊明けて、3日目はもう、この退屈なプキオの町にはこれ以上いたくありませんでした。
それに、プキオからアバンカイまでの300km、プキオの前に泊まったkm52(キロメトロ シンクエンタ イ ドス)のレストランで会ったトラックドライバーが言うには、300kmの間にレストランは2カ所、そして、その区間はほとんどダートということでした。
道端に落ちているペットボトルにまでてを出してしまう体たらくぶり、こんな状態で、300kmのダート、休憩できるレストランはたったの2軒、もしそんな中で雨が降ったら---、しかもここからも4000mを超える峠がいくつかあるはず。
雨に降られるのが怖かったのです。凍てつくような寒さの中で、雨に降られてテントで寝なければならないことが、水が尽きてしまうことが、ダート道で立ち往生してしまうことが。。。
3日目の朝、雨が降っていたことを言い訳にして、憶病風に吹かれたわたしは逃げるようにプキオの町から、バスでクスコに向かってしまったのです。。。。10年前。

私の記憶の中で、雨の町だったプキオは晴渡り、10年前とは比べものにならない活気を呈していました。
そして、プキオの次の目的地は、300km先のアバンカイ。10年前逃げたしたアバンカイ。バスで通過しただけのアバンカイ。行くはずで、行かなかったアバンカイ。知らないはずなのに、名前だけが10年間、大きな挫折とともに記憶の中に深く、深く刻み込まれ、忘れることのなかったアバンカイ。

そう、わたしが、10年の時を経て前回と同じナスカ-クスコルートを選んだ本当の理由、それはプキオに自力で行くことでも、コンドルセンカを落ちてるペットボトルに頼らずに超えることでもなくて、この、挫折に満ちたアバンカイに行くことで、雪辱を果たすことでした。

プキオからは10年前の自分の幻がいないので、10年前の自分と競走することなく自分のペースではしれます。
今回は、リマの宿で、5年前に同じ道を走って、詳細な情報を情報ノートに残していってくれた自転車乗りのおかげで、わたしは、ほぼ100%信頼のおける1km単位の情報を持ってこの道を走ることができました。
その情報の通り、プキオを出ると40kmに及ぶ上り坂が始まりました。
その勾配は距離が長いだけに緩く、ペダルを踏む足はそれ程辛くはないのですが、とにかく長い。プキオを朝出たのに、登り切るころはとっくにお昼を回ってました。

標高4000m、最後の丘を超えて見えてきたものは。。。


小さな草がびっしり生えて黄緑色の大地、そこに青く、蒼く広がる湖、空は群青色で、対照的に真っ白なちぎれた迷い雲が漂っています。空はちかく、風は強く、空気はキンとしています。ときおり吹く風に高山植物特有のハーブ系の香りが混じります。
空気は爽快で、ペダルを踏む足がフッと軽くなると同時に強く、キンとした風に火照った体が冷やされていきます。そして、目に入る景色は別天地、まるで違う世界に包まれているようです。

大地に生える草はびっしりと言っても、小型のススキみたいな感じで、ひと株ひと株が数えられて、赤みがかった黄土色の大地がのぞいています。拳大から、人がうずくまった位の大きさの岩がゴロゴロしていて、遠くまで、黄緑色の絨毯のうえに黒く点在しています。
そんな大地は何万年、何億年という大地の変動、雨、風の侵食によって複雑にうねり、遠くまで、見渡せる先の山脈まで続いてます。
360度うねり、広がる大地のあちらこちらに、湖がや、小川が点在して、青い、蒼い水をたたえていたり、大地に稲妻のような割れ目を描いていたり、空の色を反射したりしています。
そして、千切れ雲の黒い影がゆっくり、ゆっくりとそんな大地の上を気紛れにはいまわる様子は優雅でもあり、のどかでもあり、そして牧歌的でもありました。

例えてしまえば陳腐になってしまいますが、モザイク画の中に放り込まれたような世界です。


10年前。わたしは、ここをバスで通過してしまったのです。
ここは、自転車で走るための道でした。こんな世界を体感するために自転車に乗っているのです。
バスに乗って、窮屈なシートから、狭い窓を通して見える世界じゃだめなんです。
そのキンとはりつめたた空気は感じられないし、空の近さも、うねる大地の大きさも、ゆっくりと流れる時間もそのすべてを犠牲にして、私は10年前、ここを逃げてしまったのです。

バイクでも、チャーターの車でも、やっぱりダメだったともいます。これは、自転車乗りにしか分からない感覚ですが、このちょっと寒いくらいの風はそれまで汗を流して上ってきた者でなければ心地よいと感じられないかもしれません。汗が冷える感覚、丘を超える時にペダルが軽くなって、足の筋肉が弛緩される快感。丘を超えた瞬間に視界に湖が広がる時のあの鳥肌の立つ感覚。
これが、私が旅の手段に自転車を選んだ理由だし、自転車で来なければならなかったのです。わたしは、ようやく、10年越しの思いを果たすことができました。

プキオから最初の峠を超えるとそこから、高原が広がります。1日では超えられない高原。標高4000mの別天地が続きます。初めは気持ち良く走っていたのですが、夕方に段々と千切れ雲が大きくつながり始め、雲行きがやあしくなり、左前方と真後ろに雲底から足が伸びているのが見えました。確実に雨が降っています。

標高4000mで受ける雨はきっと冷たいことでしょう。朝になれば凍ってしまいます。そんな中でテントを張るのはなるべく避けたかったので、わたしは、次の村で、宿を取りました。情報があると、村までたどり着ければ雨が降りそうな時なら、倉庫でもなんでも屋根のあるところにテントを張らせてもらえるように頼むことができるという安心感があります。宿は期待していなかったのですが、その村には宿というか、部屋を貸してくれる人がいて、その夜はテントではなく小屋の中で寝ることができました。

結果的には雨は降らず、満天の星空をみることができました。


そして、昨日、谷を下って、最後に15kmほど上って、トラウマのごとく記憶に深く刻み込まれたアバンカイに到着しました。これで、心の中のしこりがすっと溶けていきました。
10年心に住みついた知られざるアバンカイは山の斜面に広がった、何の変哲もない地方都市でした。
ロンリープラネットにはスリーピィ(眠くなるような)とまで形容された街ですが、今日、日曜日には大きな市が立つらしく、活気があり、それなりに興味深い街でした。
今朝はそこで、市をひやかしながらひと回りして、ビックリいも(マッシュポテトの中にいろんなものを入れて揚げたようなもの。あんまりホクホクしてなくて、衣もないコロッケの中に何かが入っているような感じ。何が入っているのか分からないので、勝手にビックリいもって名付けました。)とセビッチェを食べて来たところです。

雪辱を果たしたわたしは、アバンカイでゆっくり休んで、クスコへ向かいます。後200km。
クスコからはまた10年前の自分の幻が現れるのがちょっと嫌ですが、きっとまた、10年前の自分に挑戦してしまうんだろうな。
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by fuji_akiyuki | 2010-09-20 04:23 | ペルー

コンドルセンカ

ナスカから99kmほぼ全て上り坂。
そして、99km上ってたどりつくのが、コンドルセンカという名の峠。4330m

わたしはここを10年前に登りました。

そしてまた、登ってきました。

クスコに行くならほかにもいくつか道があるのですが、なんで、また同じ峠を越えたのか、これは、10年前の自分に満足できなかったからなのです。

10年前。
私は今回と同じようにナスカで宿泊し、朝、ナスカをでて、コンドルセンカをめざしました。
ところが、この辺の気候は本当に乾燥していて、ナスカから延々とつづく上り道はずっと沢沿いなのですが、沢はきもちいいほど完璧に涸れているのです。

山の上り道だと辛くなっても大抵沢の水があったりするので水がなくて困ることってあんまりないんです。
でも、ここは全然違っていました。

乾燥して、日差しが強く、すごい勢いでのどが乾きます。上り坂だから全然自転車も進みません。
水を節約しなければなりませんでした。休憩は強い日差しを避けるために崖のわずかな窪みに見つけた小さな影に入ったりもしました。
でも影があるだけ、その前のイカーパルパに比べるとその点はましでした。
その時持ってた水は1.5リットルのペットボトルが2本か3本。1本は自転車のフレームに取り付けたホルダーに入れていつでも飲めるようにしてました。

でも、この1本がたしか、30kmも行かないうちにほぼ空になってしまったのです。
あせりました、それは本当に追い詰められる思いでした。本気で死ぬんじゃないかという恐怖でした。
峠まで100km、そこまで村も何もないかもしれない。このペースだと1日で峠まで到達することは到底不可能。
予備の水は途中でテントを張った時と、明日のために取っておきたい。でも、もう水を補給する所はありません。

追い詰められた私は。。。。
道端に落ちていたペットボトルに手を出してしまったのです。
ペットボトルの中身は明らかに怪しいものもありました。コカ・コーラなのに黄色だったり、スプライトなのに黄色だったり、もちろんそういうのは避けました。

でも、どう見てもこれはコカコーラじゃないかって色してるのかもありました。勇気を出して、拾い上げて、ふたを開けてにおいをかいでみると。。。結構いけそう?

そして、さらに勇気を出して、一口。。。。大丈夫!!

結構そういうペットボトルが落ちていたので、それに頼れば生きていける!!

と、そう思ってしまいました。
もうこの時点で、完全な負試合、計画の時点で失敗でした。
結局その後10kmほどで、商店があって、実はそのあと、峠まで何カ所かそんなトラックストップみたいなむらがいくつかあって、落ちてるペットボトルなんて飲まなくてもよかったはずだったのです。
その失態がゆるせなくて、もし、もう1度ここを通ることがあれば。。。と思っていたのです。
まさか10年後、自分がその同じ道を通ることになるとは思っていませんでしたが、今回、そんな思いがあって、同じ峠を越えることにしたのです。

そして、今回も水はかなり飲みました。1.5リットルに加えて750mlのボトルをフレームに装着、さらに2.5リットルの予備を持ちました。しかも1km単位の詳細な情報も持ってナスカを出ました。

44km、52km、84km、87kmに商店があることを知っていました。日差しが強いことも知っていました。それでも、やっぱり、30kmをすぎたころにはほとんど水は残っていませんでした。
あと10km 行けば商店があることを知らなかった10年前の自分が焦っていたのもうなずけました。

でも、10年たって、そのつらさもあんまりよくおぼえてなかったみたいです。
ちょっとなめてました。
10年たってもつらいものはつらいのでした。でも今回は道端に落ちてるペットボトルには意地でも手を出しませんでした。
なんでこんなにつらいんでしょうか。
約100kmで4330mを登るなら、平均勾配は4.3%だいたい5%くらいから、つらいと感じる位だから、そんなに坂はきつくないはず。でも辛い。やっぱり長く続くということと、日差しと乾燥のせいじゃないかと思います。

そして、1日目。52kmの村までしか登れませんでした。
実は10年前もそこで泊まりました。1日頑張って52kmしか進めないなんて。。。。
なんか自信を喪失してしまったものでした。

でも、10年前は4時だか4時半に到着できたのに、今回は5時半でした。あのときはもう少し進もうかと思ったけど、雨がぱらつき始めて、レストランの主人にたのんで、倉庫の中にテントを張らしてもらえることになったのでその村に泊まることに決めたんですが、あとで、その村の名前がkm52(キロメトロシンクエンタイドス)と知って、自分が52kmしか走ってない事実を知ったのですが、今回行ったら、villa tamboって名前がついてました。
いや、もしかしたらむかしからついてたのかもしれませんけど。。。

昔は売店併設のレストランが一軒とよーく観察するとなにか売ってることが分かる商店が2、3軒しかなかったのに、レストランは3、4軒に増えてました。

2日目。

10年前は2日目にコンドルセンカの峠を越え、プキオと言う町の手前まで行ったところで、大雨にあって、工事現場の詰所に雨宿りをしていた作業員に招じ入れられて、後から来たトラックで作業員と一緒にプキオまで連れていってもらいました。

でも今回は、2日目の朝から、なんか全然足に力が入りません。前日の疲れが残っているのでしょうか。それとも高山病?52km地点は約3000mだそうで、そこから登るので、息が切れて、足に力が入らなくても当然といえば当然ですが、それは10年前も同じ。むしろ、エクアドルやワラスなど、北ペルーの山を走ってきた今回の方が、高所には順応しているはずです。やっぱり歳でしょうか。
言い訳するなら、今回の方が、たぶん1.5倍くらい荷物を持っていることくらいです。
1台だったカメラは2台になり、2本だったレンズは3本になり、チェーンとギアの換えまで持って、2個で済んでたサイドバックは4つに増えました。

と、言い訳を言っても2日目、私は峠手前10kmの89km地点までしか走れませんでした。じつに、たったの37km。自分が情けないです。
でも、そこに到着したのはまだ昼過ぎの2時半だったし、走ろうと思えば峠を越えて、下るくらいはできたかもしれません。そしたらまだまだ10年前の自分に引けをとらないと、無理やり自分を納得させるちょっと情けない34歳です。

そして、3日目の今日、コンドルセンカを10年ぶりに越え、そして、10年前できなかった自力でプキオに到着しました。
10年前の記憶はあやふやで、全然プキオの町は覚えてませんでした。自分の泊まったホステルでさえ、緑か青っぽい壁の色だったなぁ。くらいで、全然それらしきホステルも見つけられませんでした。
町は10年たてば変わるけど、変わるはずのない峠の景色すら、ほとんど覚えてませんでした。峠の下りは雨と霧で煙ってる記憶しかないからしかたないにしても、コンドルセンカの雄大な景色は前回も見たはずなのに。。。。
km52の前に泊まったあのレストラン(正確には倉庫ですが)も、そのときの主人も発見できませんでした。
そこで、私はメニューを見せてくれって言ったつもりがメヌー(スペイン語で定食)がでてきて、はじめてメヌーを覚えたレストランだったのに。。。

だからもう一度同じ道を。。。。。

いや、実はそうじゃないんです。何でクスコまで、この道を選択したのか。もっと大きな目的があるんです。
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by fuji_akiyuki | 2010-09-16 07:02 | ペルー

人間に出来ること。私はマリアを信じない。

地上絵で有名なナスカから、北へ140km、イカという町があります。
リマから走るとイカ、ナスカの順になるわけですが、一日で140kmはちょっとつらいので、イカから約100km、ナスカまで後40kmというところにあるパルパという町を目指しました。

 イカを出て約20kmほどは町も点々としていて、休憩には事欠かないだろうと、調子に乗っていました。
しかし、あるところからいきなり、砂漠になりました。とは言っても今までも突然砂漠になって、でもしばらく走ると町なり村なり、もしくはぽつんと一軒だけレストランや商店があったりしていたので、気にせず砂漠に突入していきました。
リマから続くパンアメリカンハイウェイはアスファルトが新しく黄土色の砂漠に引かれた一本の真っ黒い線で、路肩も広く、状態も上々、砂漠に入ったことなんて全然気にしてませんでした。
 でも、10km、20kmと炎天下の中、休憩も取れずに走り続けているとだんだん辛くなってきます。

 太陽は天頂にあり、自分の影は強く濃く、ほぼ真下にあります。そろそろ限界だと思って、休もうにも立ち木一本ない砂漠の真ん中でした。
パルパまではまだはるかに遠く、次の町まで、一体何キロあるのか、それとももうパルパまで町がるのかどうかも分かりません、止まって休んでみても直射日光を避けるすべがないと体力は消耗するばかりです。
走ってるほうが風か来るからまだ暑さはしのげるのですが、もうすでに何十キロと休み無く走ってる足と心肺系のほうは確実に休息を必要として悲鳴を上げています。
でも止まれば照りつける太陽に容赦なく焼かれてしまって、これも体力の消耗につながります。

 休むすべを失い、逃げ場を探して、走り続けるしかありませんでした。

どうにか影だけでもあってくれれば。。。。

 そう思って、追い詰めれられて、切り通し(道路を通すときに山や丘を削って勾配をゆるくしているところ)のほんの1メートルほどの崖にわずかに出来た小さい影に入ろうと試みて、そのままじゃ全然無理だったので、少し崖を掘ったりして、どうにか頭が入るくらいの影を作って、頭だけでもと思って、寝そべって影に頭だけ入れてみました。
でも、その他の全身、全部太陽に照り付けられ、やっぱり全く休憩になりません。

 もう、走るしかない。

 それから、どのくらい走ったのか良く覚えてません。
 でも、幸運にもパルパに着く前に小さな町とそのなかに商店を発見、本当に命からがらと言った感じで、ジュースを買って、休憩をとりました。
最初は店の中のベンチに腰掛けていたのですが、その体制もつらく、床に座り込み、結局床に倒れこんで、2時間程眠ってしまいました。
途中、店の奥から小さな子供、ようやく何かに歩けるくらいの赤ん坊、が出てきて、突然おしっこしていきました。
 距離があったので、かかることは無かったのですが、ああ、そういう床に自分は寝転んでるんだなぁ、と思っても全く起きる力もありませんでした。





10年前、2000年にここを走ったときの記憶です。
 そして今回。10年たって、黒光りしていたアスファルトはひび割れ、そこを治した後が見受けられ、路肩はガタガタになり、色はしらっ茶けて砂漠とあんまり見分けがつかないような色になっていました。
同じ道を10年後に走るなんて思ってもいませんでした。そして、今回は前回のような失態を繰り返さないようにといろいろと準備をしました。。。
と、言いたいところなんですが、実はこの時期、前回とは違って、そんなに暑くないんですよね。
 10年前の記憶は鮮烈で、リマとか、ナスカとか全然覚えてないのにここだけはつらい記憶があったので、ここにつくまでに、イカを出るまでには傘を買って、もしどうしても休憩するときは一応影が作れるようにして、水も今ある水の更に倍くらい持って行こうと思っていたのですが、実際このあたりにつくと朝は寒いくらいで、晴れてくるのも早くても8時、9時くらいからって感じでした。
 
 そんな訳で今回は特別な用意は無く、ただ早いうちに距離を稼ごうとイカを早めに出発するにとどまりました。

 地図を見て、砂漠に入る直前にしっかり休憩を取っておこうと思って、注意深く走っていると、10年前は20kmほどと思ってた砂漠に入るまでのみちのりは、実はイカから約30kmで、今回はそのちょっと手前のガソリンスタンドで休憩して置きました。
砂漠は記憶の中では60kmか70kmくらいと思っていたのですが、実際は45kmで、多分10年前は調子に乗って、イカから休憩を取らずに走ったので、60~70km休憩が取れなかったのかもしれません。
 そして、肝心の砂漠はというと、多分10年前にはなかったであろう小屋やらバス待ちのためのひさしやらが5~10km置きにあって、商店やレストランではないにしてもあの時のように死にそうになりながら走らなくても休憩が取れるようになっていました。 
今回は天候に恵まれて、イカを出たときには寒くて、霧雨すら降っているくらいで、日が出てきたのも砂漠に入ってしばらくしてからでした。
休憩も取ろうと思えば取れたのですが、なんとなく10年前に走りきった道を休憩を取らずに走りきりたくなって、結局休憩も取らずに走ったのですが、全然辛くありませんでした。
砂漠を越えて、命からがら入った町はサンタクルスという町でした、でも今回はそこすら素通りできるほど体力に余裕がありました。
10年前より体力が衰えこそしても上がることはないはずなので、今回は本当に天気に恵まれたようです。
でも、私が最も驚いたのは砂漠の最後15kmにわたって、まだ小さな物ですが、両側に街路樹?が植わっていることでした。
 何の木なのか分かりませんが、砂漠によく生えてる木を街路樹にしようという計画みたいでした。

 ペルーの太平洋側、西側の海岸沿いはほとんど雨が降らない気候で、何もしなければ多分殆ど砂漠になってしまうような土地です。
でも、太平洋側にも町は多く、町に着くたびにそれまでの砂漠が嘘のように緑が生い茂っていたりします。
しかも、町中だけならいざ知らず、ちょっと郊外まで、大規模な農場が広がっていたりします。
 町はたいがい河口付近に広がることが多いので、町中なら、水を取ることは容易かもしれませんが、海岸線に沿って、広がる砂漠にパンアメリカンハイウェイ沿いに農場が広がっているのを見ると、人間はこんなことまで出来るんだなぁとちょっと感心したりします。
パンアメリカンハイウェイを走っていると両側に、もしくは片側に広がる農場(道の片側が不毛な砂漠で、片側だけに緑豊かな農場が広がっているほうがそのギャップを感じて驚きが大きいのです)を見ていると、どのくらいこの農場は砂漠を侵食しているんだろうか、と、ちょっと興味が湧いてきます。
昨今、便利になったもので、こういうのはグーグルマップなんかで見ると良く見ることが出来て、結構な広さで、農場は砂漠に広がっています。
 リマに入る一日前に泊まった太平洋に臨む町などでは、背後に見える砂丘にびっしりと緑の畑が敷き詰められていて、これもまた圧巻でした。

 べつにそんな話を聞いたわけではないのですが、ペルーって、もしかして、緑化に力を入れているのかもしれません。
自転車で走るために買ったペルーの会社が出したペルーの地図にも熱帯雨林が伐採されて消滅しているエリアが、森林地帯をあらわす緑の中に黄色で示されていて、わざわざ海の部分に大きくそのことがかかれてあったりしてました。

 私自身はアンチエコロジーだし、エアコンの設定温度はいつも18度で、誰も誉めてくれる人なんていないのにエコロジーだと信じて汗をにじませながら、28度で我慢するなんてさらさらばかげていると思うほうですが、こうやって、国だか企業だかが、地図に熱帯雨林の破壊について、注意を促してみたり、砂漠に農場やら、街路樹を植えてみたりっていうのは、悪くないと思うのです。

 砂漠化だ、砂漠化だと叫ばれる世の中で、ペルーは、その砂漠化に悠然と立ち向かうかのごとく砂漠の緑化に成功している。。ように見えるのです。

 別に緑化とか、エコロジーなんて関係なく、人が生きていくうえで、農業に頼るなら、それはもう、広大な農場が必要になるだろうし、まわりが砂漠でもそれをどうにかして、農場にしていかなくてはそこに暮らす住人の糧を得られないのかも知れません。
でも、砂漠であるより、農場であるほうがよっぽど人間には利益があるように思います。
ペルーの砂漠に限らず、イエメンでも石のごつごつする荒野に畑を作ってたし、マチュピチュでも狭い尾根を取り巻くように段々畑が広がっています。エクアドルも山の上に綺麗に畑を作っていたりしました。
こうやって、多分作物を作るのが困難であろう土地に畑を作っているのを見るたびにアフリカって何であんなに畑が無かったんだろうって、不思議に思い返してしまいます。

 で、こうやって、砂漠に農場を作っているのを見ていると、砂漠を緑地化するのってそんなに難しいのかなって、気がしてくるのです。
水を供給することだけで、育つ植物、もしくは作物があるのなら、水を取ってきて、砂漠にまくだけならそれほど難しくない気もします。
ちょっと川の上流に上って、川底にホースの入り口を沈めておいて、入り口から出口まで、入り口より高いところがなくて、途中に穴が開いてなければ水は何もしなくても出口まで出てくるはずなので、少々長くてもホースなり、パイプを通せば水を取ってくるだけなら、そんなに大掛かりな装置も、動力も要らないで出来るはずです。石油のパイプラインなんかより全然簡単に出来るんじゃないかと思います。
取ってくる水は川の水で、ほうっておけば海に流れ出てしまうだけのものだし、それを少し砂漠にまくことで何か植物が育つのなら、それはそれほど難しくないのかもしれないって、ちょっと考えてしまいます。
でも、実際、ペルーにはいってから、運河を目にすることが多い気がします。それに、街路樹はよくみると、根元に黒いホースのようなものがずっと這っているのを見ることもあります。
サハラ砂漠とか、アラビア半島とか、そんなところだと難しいんですかね。確かに広大で、どこから水を取ってくるかは問題かもしれませんが、ペルーで出来ることならできるような気もしてきます。
ペルーの砂漠を見ていると、結構人間に出来ることってあるんじゃないかという気がしてきます。

 今、地上絵で有名なナスカに来ています。
ナスカの地上絵は紀元前2世紀から紀元後800年の間に描かれたものだそうです、そして、この地上絵が発見されたのが、1939年6月22日、考古学者のポール・コソック博士によって発見され、ドイツの数学者マリア・ライヒェを中心に、その解明作業と保護が行われるようになった。。。そうですが・・・

私はこの話がどうしても信用できません。10年前、地上絵を間近で見てからこの溝が何百年も砂に埋まることなく残るなんてありえない。と確信せずにはいられませんでした。
 確かにこの辺りは雨も殆ど降らないし、植物も育ちません。だから、雨による侵食も無ければ、草の根がはることもありません。植物が育たなければ他の動物が歩くこともそうそう無いだろうし、侵食といえるものは風と太陽くらいなものでしょうか。

 でも、風が吹けば砂は舞うし、穴を掘ったとすればそこにだんだんと砂は溜まって穴は埋まってしまうでしょう。しかも、雨は降らないといいつつも、グーグルマップで、その辺を見てみるとかなり水の浸食の後が見受けられます。
近くの川(インへニオ川)は度々氾濫することがあった、と言うし、何百年もの間には雨が降ることもあったのかもしれません。
それが、幅20~30センチ、深さ10センチの溝によって描かれた地上絵が何百年も砂もかぶらずに存在しえるなんて信じられますか?
これが石を並べて作られたものなら、その石を動かすものが無ければ何時まででも残るというのなら、まだ考えられそうですが、浅く掘った溝が何百年も消えずに残るなんて私には信じられません。
実際、間近で見ると地上絵の線は非常に頼りなく、車の轍ほどでしかありません。でも、同じ地域に見られる車の轍には新しいものと消えかかっている物がはっきり区別できます。
つまり、車の轍は時とともに消えていっているという証拠ですよね。車の轍は消えるのに地上絵は消えない。しかも、車の轍は地上絵に比べればはるかに新しいものであるにもかかわらず。。。。。。

 地上絵を描こうとするなら、相似を使って小さな図柄を拡大することによって、結構簡単に、人数次第では短時間に描くことが出来るそうです。
小さな図柄の要所要所に杭を打って、拡大したい場所を考えて、小さい図柄との相似の中心にも杭を打ちます。後は小さいほうの図柄に打った杭それぞれと相似の中心の杭を紐で巻きます、10倍なら10回、20倍なら20回、2本の杭を巻いて、それを開いて、伸ばせば拡大したい図柄の対応する点になるという手法です。

でも、この方法を使って地上絵を描いたのは、最初の発見者、もしくは同時代のナスカの人々ではないか。と私は疑っています。
こんな地上絵を発見した、コレは重要な遺跡だ、と言って、このままでは消えてしまうかもしれないから、毎年、保存運動をしよう。
と呼びかければ1939年に描いた地上絵が、毎年、溝に溜まった砂を払われ、綺麗に見えるように整形されながら70年間残っているとするならば、これは不思議じゃないですよね。
だから、私は真相はこっちにあるんじゃないかと10年前から疑っているのです。
そして今回、同じように見た地上絵は心なしか10年前より幾分はっきりと、綺麗に見えたような気がしてなりません。

 実際のところ、真相を知るのはもう今は亡きポール・コソック博士か、マリア・ライヒェ女史だけなのかもしれません。
巧妙に、緻密に作られたウソはうまく、見破られることなく、世の中に浸透して行ったのかもしれません。
そして、博士は、女史はその裏でほくそえんでいたのかも知れません。われわれ人類はいとも簡単に、そして、綺麗にあっさりと、もしくは、すすんで騙されたのかもしれません。
ミステリーサークル(未だに信じてる人がいるんでしょうか)のように。そして、フェルマー(フェルマーの最終定理は正しかったけど、多分フェルマーも証明は出来てなかったんじゃないかと私は睨んでいます。)のように。
でも、わたしは、マリアを信じてません。
 
ここから、アンデス山脈に入っていきます。10年前と同じコースをたどるのには、訳があるのですが。
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by fuji_akiyuki | 2010-09-11 13:32 | ペルー

炒飯は料理だけど、フライドライスは料理じゃない。

ペルーに入るといろいろと食事が美味しくなって、助かっているのですが、料理の美味しい国、美味しくない国、なんとなく違いがわかってきたような気がします。
それは、例えば炒飯とフライドライスの違いなんです。

 以前にも一度書いたことがあるような気がするのでするのですが、英語のメニューって読みずらくないですか。

fried rice with chicken
fried rice with beef
fried rice with pork

chicken with vegetable
beef with vegetable
pork with vegetable

fried fish with vegetable
stir fried beef with mushroom

chicken with garlic sauce
beef with garlic sauce
pork with garlic sauce

などなど。。。
でも、どれを取ってみてもイマイチどんな料理かピンと来ないですよね。
(そして、こんな感じのメニューは外人観光客向けのレストランに多くて、そして、大抵おいしくありません。)

 何でピンと来ないこないのか、最近、ようやくわかりました。いや、いまさらですが、これ、どれをとっても全部、それが料理の名前じゃないからです。

pizza やhamburger,spagetti、lazagneなんかは分かるんですけどね。

中南米のスペイン語圏に入ってからもどうもメニューが分かりにくい。と思ってました。何でだろうってずうっと疑問でした。
 食堂には大体メニューなんて置いてありません。だから、何があるのか聞くことになるのですが、返ってくる答えは
pollo frito, carne asada, pescad frito, igado ・・・
(日本語に訳すと 揚げた鶏、焼いた肉、揚げた魚、肝臓、・・・・)

到底どんな料理か想像がつきませんよね。
特にpollo frito, carne asada, pescad frito,この当たりはどこの食堂にでもあるのですが、全くどんな味付けなのか、どんな焼き方なのか、またはあげ方なのか、何度頼んでも全然想像できないし、いつも全然違う料理が出てくるわけです。
私は旅行しているので、常に移動しています。だから、同じ名前でも地方に寄っていろいろ違うのかもしれません。だから何時までたってもどんな料理か分からないのかもしれません。
でも、“pollo frito はこういうもの”というような、共通理解のある料理というのがあんまりなかったように思います。

例えば日本だったら、カツ丼。といえば、絶対にカツ丼が出てくるわけですよね。
じゃあ、カツ丼ってどんなものかというととんかつとねぎかたまねぎを醤油と砂糖のベースのつゆで煮て、卵でとじます。(ここまでしたものをカツ煮と呼ぶそうです)そして、コレをどんぶりの飯の上に載せたもの。というベースはどこに行っても変わりませんよね。
これが、味噌で煮込んであったり、トマト煮こみであったらカツ丼とは呼びませんよね。もしくはカツ丼を頼んでそんなの出てきたら面食らいますよね。
名前からして、丼飯の上にカツが乗ってればいいんだろうって感じで、何の味付けもなしに、しかも、駄菓子屋で30円くらいで売ってる“ビッグカツ”が5分割くらいにされて丼飯の上に載せられて出てきたら怒ってどんぶり投げつけて返りますよね。(でも海外ではそんな料理は日常茶飯事的に出てきちゃうんですけど)
同じカツ丼でも普通に味噌煮込みだったり、トマト煮込みだったり、卵でとじてたり、とじてなかったり、ビッグカツだったりしたら、カツ丼ってどんな料理?ってなるわけですよね。
こうなるともうカツ丼って料理の名前じゃなくなってしまうと思いません。

fried rice は、炒飯的なものなら全部、日本の炒飯も中国の炒飯も、タイのカオパットも、マレーシアのナシゴレンも全部fried rice になっちゃうわけです。だからコレは“料理”とは呼べないですよね。
まあ、炒飯的なものって、大して幅が無いから、まだfried rice でもいいですけどね。

例えばチンジャオロース、これは中国語では青椒肉糸(糸は本当は糸偏に糸みたいな糸が2つ並んだ字なんですけど)と書いて、青椒はピーマンのことで、肉糸は細切り肉のことなんで、意味はピーマンと細切り肉、英語でそのまま書けば、meat with green pepper、青椒肉糸にはよく牛肉が使われていることや、その調理方法も加味して、stir fried beef with green pepper、と、書いたとしてもこれじゃ、ピーマンと牛肉が一緒に炒まってれば何でもいい感じですよね。
でも、青椒肉糸は中国では絶対青椒肉糸で、味も大体決まってるし、全く別の料理は出てきません。青椒肉糸で、みんながどんな料理か理解できるわけです。名前は簡単ですが、その指し示すものはしっかりそのものだけを示しているわけです。

そして、これが魚香茄子、茄子味噌、茄子の甘辛煮、マーボーナス、紅焼茄子なんかになっちゃうと、全部stir fried egg plantなんてなっちゃうわけです。
この間(この間って言っても2,3年位前だったでしょうか、)、どこかの国で、fried egg plant with garlic なんてメニューをみつけて、わたしはナスに目がないので、どんな料理が出てくるのか楽しみにして頼んだら、揚げたナスの薄切りを4枚くらいならべて、上ににんにくみじん切りを載せて出されたことがあって、ちょっと拍子抜けしてしまったことがあります。
食べてみるとまあ、悪くは無かったのですが、でも、お皿の上にナスが4枚きりって、ちょっと日本だったら、お酒のつまみの小皿以外でそんな料理ないですよね。


 つまり、“料理”とは、その内容に着いて共通理解があって、そこに名前の付がついて、はじめて、料理だといえるのではないかと思いました。
だから、英語のメニューとか、中南米あたりのスペイン語のメニューは素材と大まかな調理法が何であるかしか分かりません。
そして出てくるものはその素材で、おおまかに焼いたとか、揚げたとかだけがあってればどんな料理でもいいわけです。
言ってしまえばレストランによって、おなじpollo fritoでも、揚げた鳥か焼いた鳥が出てくれば全然別の料理が出てきてしまうわけです。
そして、何人かで食べに行ったときにどんなのが出てくるんだろうって、期待して、違うものを頼んだのに全く同じものが出てきたりするわけです。

ペルーに入ってそれが少し変わりました。
 ペルーにはロモサルタード(もしくはロモサルタッド)って言う“料理”があります。
何で“料理”なのか、なぜなら、このロモサルタードはどこで注文してもロモサルタードだからです。
どんな料理かというと、牛肉とたまねぎをちょっと濃厚なトマトソースで炒めて、フライドポテトと絡めたものです。
大体、これとごはんが一緒になって出てきます。
どこに行ってもロモサルタードはその味で、具も同じ。ぶれてないんです。もちろん、おなじロモサルタードでも店によって、美味しかったり不味かったり、肉が多かったり少なかったり、そういう違いはありますが依然ロモサルタードであることには変わりがありません。
つまり、ロモサルタードには“料理”としての共通理解があるわけです。そして、このロモサルタードを頼むと大体ハズレがありません。
でも、ペルーでもpollo frito や pescado frito, carne asada はどんな料理が出てくるか全然予想できないんですけど。

他にもペルーにはタクタク、カウカウ、アロスコンポジョ、など、“料理”があります。
アロスコンポジョなんてarroz con pollo, 英語で書けばrice with chicken,つまり、ごはんと鶏、これまた全然想像つきそうにないネーミングなんですけど、ペルーだとアロスコンポジョは絶対こうって言うスタイルがあるんです。
って言ってもそんなに大したものじゃないんですけど、でも、アロスコンポジョのごはんはどこに行っても緑色をしています。どんな味付けなのかは知りませんが絶対同じ味付けなんですよね。だから鳥とごはんを一緒に出せばいいって感じじゃなくて、アロスコンポジョは必ずアロスコンポジョなんです。
他にもタクタクは豆ご飯をフライパンで焼いたものだし、カウカウはちょっとカレーみたいな見た目の黄色い汁で煮たモツ煮込みというように、ペルーには“料理”が多いのです。

そして、考えてみると今まで美味しいと思った国には“料理”がありました。そして、美味しいものにはちゃんと“名前”がついていました。
日本はいわずもがな、中国なら魚香茄子、回鍋肉、青椒肉糸などなど、タイなら、パッタイ、カオマンガイ、プーパッポンカリー(カレーがちゃんとした料理の名前なのかどうかは疑わしいですが)とか、アフガン料理のカライーとか。

料理にちゃんとした名前のある国は美味しい。もしくは美味しいものにはちゃんと名前があるってことに気がつきました。

そして、そういう料理に名前のある国で、英語のメニューを作るなら、変に意訳せずにそのまま音をとって表記してくれたほうがありがたいと思いました。
説明は名前の横に簡単に書いておくほうがその後、他の店で同じものを頼むのにも便利ですよね。
例えばお好み焼きをjapanese pizza とかせずに、okonomiyaki(Japanese savoury pancake containing a variety of ingredients)みたいに。

ちなみにカレーというのは調べてみると“インドの香辛料を使った煮込み料理をまとめてカレーと呼び始めたのは西洋人である”のだそうです。
語源はタミル語で“食事”を意味する『カリ』という言葉がなまったというのが有力だそうですが、ウィキペディアによると“インドの香辛料を使った料理を全て「カレー」と呼ぶのは、日本料理で言えば醤油を使った煮物を全て同じ名で呼ぶような乱暴な呼び方である”
こうやって、カレーという言葉を浸透させてしまったのはインドを植民地にしていたイギリスだそうで、まず、イギリスで、インド料理がカレーとして紹介され、イギリスの会社がカレーパウダーなるものを発売して、何時の間にかインド料理が全部カレーになってしまったそうです。
でもこうなってしまうと、実際インドであれ食べたいって時になかなかその名前を知る機会を失ってしまうんですよね。

タイカレーも調べるともちろんタイカレーなんて料理は無いそうで、我々がタイカレーと呼んでいるのは“タイ語でゲーン(แกง)と呼ばれる様々な汁物の中で、香辛料の利いた、ココナッツミルク仕立ての料理の総称である。”そうで、“タイの宮廷で発祥した料理で、インドのカレー料理との直接の関連性はない。”そうですが、残念ながら、タイで大好きだったタイカレーのタイでの呼び名を知ることはありませんでした。
美味しいものはなるべくその国の言葉で、ローカルの名称で紹介して欲しいものです。そしたら、一生懸命覚えるのに。。。

 ちなみに今いる、piscoという町で、また新しい料理を発見しました。
名前はカラプルカって言うんですけど、ちょっとアカプルコに似てません?

カラプルカはたぶんトマトソースにのことで、コレをごはんやスパゲッティの上に載せて食べます。
人が食べているのを見て、あんまり美味しそうだったので、注文してみて、名前も聞いてみました。
ここまで無かったのか気がつかなかったのか知りませんが、初めて見たので、もしかしたら、piscoの名物料理かもしれません。
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by fuji_akiyuki | 2010-09-06 07:15 | ペルー

またもや発覚!!権兵衛の欠陥(メカニカルな長い長い愚痴)‏

このあいだ、トルヒーヨのカサデシクリスタ(自転車の家)に出しておいた、権兵衛が帰ってきました。
今回はリアハブ、リアのリム、BBの3つの部品を交換してもらいました。

部品の説明

リアハブ:後輪の軸、ハブ空港のハブはその空港から出ている行路を地図上に書き入れると行路がたくさんあるために自転車のスポークが集まる車輪の軸、つまりハブのように見えるところからハブ空港と呼ばれるそうです。

リアのリム: リムは自転車の車輪の金属の輪っかの部分で、タイヤをはめるところ。ハブとスポークでつながっています。運動会などで棒を使ってこのリムを転がして競争したりしますよね。

スポーク:自転車の車輪でハブとリムをつないでいる針金のようにたくさんついてるあの棒のことです。このスポークのテンション(張力)を調整することでリムを正円に保ちます。

BB: ボトムブラケットの略、BBと言うのは左右のクランク(クランクはペダルを先につける部分で、漕ぐとぐるぐる回る棒です、前のギアはこの右のクランクと一体型になっています)をつなぐ軸のことで、自転車に取り付けている状態だとほとんど見えないところの部品ですが、結構重要な部品です。

ところが、どうも調子がおかしいのです。なんか、チェーンが前のギアの一番軽いところに入りません。
権兵衛は前3段、後ろ9段のギアを持っていて、前のギア3枚は右のクランクと一体型でフレームに近い内側が一番軽くて、外側が一番重く、つまり速くなっています。これは自転車としては一般的な構造です。
その一番内側のインナーにチェーンが入らないのです。

じつは、この現象、まえにBBを換えた時から兆候がありました。でも今回は前よりちょっとその傾向がひどくて、ペダルに少しでも力がかかってると絶対にインナーにチェーンが入らないのです。下り坂か、平坦な道で惰性で自転車を走らせている時にゆっくり、チェーンに力がかからないようにペダルを回さないとギアが変わらないのです。

こういう問題が生じた時は大概ディレーラーと呼ばれるギアを変える時にチェーンを左右にシフトさせる部品の稼働範囲を調整することで解決するのですが、今回はこのディレーラーの構造上いっぱいいっぱいに内側に来るようにしてもダメです。
最初はおかしい、もしかして、サイズの違う部品をつけられたのではないかと思って、カサデシクリスタに文句をいいに行くところでした。

BBの構造についてすこし説明をしますと、
自転車のフレームにはBBが入るための場所があります。そこはクランクの回転の中心で、進行方向に対して横向きに短い金属のパイプが取り付けられています。この短いパイプには内側にネジが切ってあって、このパイプの中にBBをいれて、左右からふたをそのパイプのネジにとりつけて、カチッとそこにBBを固定するようになっています。BB本体と右のふたは一体型になってますが。
そうするとBBの両端、クランクを取り付ける部分がそのパイプの外側に飛び出すようになります。

BBを入れる短いパイプの長さをシェル幅といって、これと、BBの全長がBBの重要な2つのサイズです。
シェル幅には68mmと73mmの2種類しかありません。権兵衛は68mmを使用します。
BBの全長にはいくつかあるようですが、権兵衛には118.5mmというサイズをつかいます。

権兵衛についているクランクがロードモデルではめずらしい3段ギアなので、BBの全長も2段ギアに比べて長いものを使います。だから、ロードモデルのBBでは全長が短いものが多いようです。

全長の短いBBを取り付けるとクランクがよりフレーム側に近づいてしまうことになります。そうすると前のギアも内側に入り込むので、ディレーラーの稼働範囲よりも内側に行ってしまう可能性があるのです。

そして、シェル幅を間違えるとBBがパイプの外側に飛び出してしまいます。

ところが、前回変えた時も今回のBBもちゃんと68mmを使っているのに左の蓋がかっちり締まり切らずに1mmほど飛び出しています。73mm の物を間違えて買ったとすれば、1mmじゃなくて5mm位はみ出すはずなので、そんなはずはありません。前回はタイのノンカイで1000円くらいで見つけた安物(安物といってもちゃんとシマノだったんですけど)だったので、もしかして、68mmって書いてあるのに実はちょっと違ってたりしたのかと思っていました。

でも今回も同じように1mm位はみ出してます。

カサデシクリスタに最初に権兵衛を持っていった時にまずカサデシクリスタの主人に指摘されたところでもあります。

なんかはみ出してるよ、サイズ間違ってるんじゃないの?

あ、多分タイで安物を買ったせいだと思います。

でも、修理が終わって上がってきた権兵衛もまた同じように1mmくらいBBの蓋がはみ出してます。

左に1mmBBがはみ出しているということはつまり、右側が1mm内側に入り込んでいるということです。右側のクランクにはギアがついているので、ギアも1mm内側に入り込んで、一番内側のインナーギアがディレーラーの稼働範囲より内側に入ってしまったようでした。

で、カサデシクリスタいいに行く前に自分でBBを取り出して、サイズを確認して、試しに左のふたを最初に入るところまで絞め込んで次に右側を絞めると思ったとおり、右側がやく1mmはみ出した状態で止まりました。
その状態でクランクを取り付けてみると、思ったとおり、スムーズにギアが入るようになりました。

実は、今回でBBの交換は3回目になるのですが、最初に取り換えた時は多分偶然先に左を絞めていたんだと思います。右側はギアのついたクランクがくっつくので、多少BBがはみ出していても気がつかないんですね。だから、前回、ノンカイでBBをかえるまで、ギアがうまく入らないという不都合もなく気がつかなかったみたいです。

ノンカイでBBを換えた時は、買ったものが安物だったので、ギアがうまく入らないのはBBのせいだとばかり思ってました。
でも、今回ようやく分かりました。悪かったのはBBじゃなくて、権兵衛のBBの入る部分のパイプの長さが足りないんです。
これはどう考えても権兵衛の欠陥なのです。

自転車屋さんなどで、大体どの自転車を見てもBBがはみ出しているなんてことはないし、シマノのBBの取り扱い説明書にも1mmはみだすなんて、そんなことは一言も書いてません。もし、1mmはみ出すのが普通だとするなら、何台もサイクリストたち自転車を見てきているカサデシクリスタの主人がおかしいとは指摘しないし、わざわざ不都合な方に1mmをはみ出させたまま返してくることもないはずです。
その事については返してくる時にいわれませんでしたが、それは権兵衛のフレームの欠陥だと分かったからかもしれません。

ありえない!!そして、6年半もたって、さらに新しい欠陥を発見するなんて。
実は権兵衛、ほかにもいくつも欠陥や不満なところがわんさかあるんです。そして、実は、権兵衛、その欠陥があんまりひどくて、権兵衛を作った自転車屋さんに文句を言って、組みなおしてもらった2台目なのです。

最初に組んでもらった権兵衛は(実は今の権兵衛もですが)スピードが出ると前輪が左右に振動してしまうのです。 振動っていっても前輪にガタがあるとか、そういうのじゃなくて、ハンドルを右に回せば右に曲がりますよね、そして、左に回せば左に曲がりますよね。それが細かい周期で振動するんです。もちろんハンドルも左右にグラグラ動きます、そして、それが止まらなくなって、ハンドル、前輪の振動は自転車全体がグラグラ左右に動いて、走っていられなくなるんです。
1台目はその現象が時速16km位になると始まりました。それと、22km/h、26km/hなど、いくらか顕著になる速度がありました。

組んでもらったのは出発の1年位前で、調子を見るために四国に試し乗りに出かけました。その時にこの振動については気がついていたので、組んでもらった自転車屋さんにいいにいったのですが、そう言うこともあるけど、そういう時は前に乗せる荷物を軽くして、前に乗せる荷物もなるべく前輪の後ろの方に重心が来るようにすると良くなるというだけで、結局何もしてくれませんでした。

権兵衛は車種、マウンテンバイクとか、ロードレーサーとか、そういうカテゴリーでいうとランドナーという車種で、見た目はロードレーサーのようで、ハンドルもドロップハンドルなのですが、フレームはもっと太くてどっしりしていて、タイヤもレーサーより全然太いものを使っていてツーリング用に設計された自転車です。
わたしはこの旅行に出る前も大学のサイクリングクラブ時代からランドナーを使用していました。そして、そのサイクリングクラブではほぼすべての荷物を前に積むのが主流でした。それは、自転車に荷物を積むためにはキャリアー(自転車の荷台、旅行用の自転車のキャリアーには前輪、後輪のサイドにも荷物が詰めるように取り外し可能な金属の枠が取り付けられています。)をつけなければならないのですが、後のキャリアーは輪行(自転車を崩して、袋に入れてほかの交通機関に乗せること)する時に取り外さないといけないので、ランドナーを使うクラブ員のほとんどが前のキャリアーだけを使用していました。
でも前に乗っていたランドナーにはそんな振動は全くありませんでしたし、ほかのクラブ員からそういう兆候があるという話も聞いたことがありません。

そのころ、わたしたちの使っていたランドナーはオーダーメイドの権兵衛に比べると、既成品で、大量生産の大衆車みたいなもので、値段も3分の1位のものでした。

それでも、どんなに荷物を積もうが、どんなに好い加減な整備の仕方をしようが、権兵衛のような振動はありませんでした。

権兵衛はその自転車屋さんで、ワールドローバーとかいう大層な名前で作られている自転車でした、世界を放浪する者って意味です。そんな大層な名前の権兵衛は荷物を積むとまともに走れない、情けない自転車でした。

わたしもこれはかなり根本的なフレームの欠陥かもしれないと思って、ちゃんと直すにはフレームを組みなおすしかないんだろうなとちょっと考えるところもありました。でも、何か解決策があるならと権兵衛を組んだ自転車屋さんに言いにいってみたのです。

権兵衛は実は、普通の人が聞けば、目玉が飛び出るくらいの高額の自転車で、下手すれば中古車が買えるほどの値段です。2台も組むお金なんてありません。でもこの自転車の欠陥だと強く言うと2台目を組んでもらうことになります。無償で組んでくれたかもしれませんが、それはそれで、何かちょっと悪い気もします。多少の振動なら、自分が我慢すれば良いと思って、その場はそれでおわりにしてしまいました。でもそれがいけなかったのです。

四国に試し乗りに行った時は今とはくらべものにならないくらい少ない荷物でした。でも世界一周するぞと思って持ってきた荷物はもっともっと重くて、前輪のキャリアーにも荷物は満載されていました。

その状態で走ったら、この振動はとてもじゃないけど走っていられない位ひどいものでした。両腕を力いっぱい突き出して、ハンドルを押さえ付けて、ひざをトップチューブ(自転車のハンドルの付根とサドルの付根を結ぶ地面と平行な太いパイプ)に押し付けて、それでも、下りは振動が抑え切れませんでした。

それで、この旅行が始まってから、どうしてもこの自転車じゃはしれない、と何度もメールをおくって、ようやく新しく組んでもらったものです。

しかも、海外には発送しないと言われて、友人の家にいったん送ってもらって、自腹を切ってベナンに送ってもらったフレームが今の権兵衛なのです。

自転車屋さんいわく、前より強くして、フレームサイズを小さくして、振動が起きにくくしたとのことですが、たしかに前よりはよくなりましたが、振動がなくなったわけではありません。でも、もうこの自転車屋さんにはきっとこれ以上できないんだとあきらめることにしました。

いまだに、この振動が始まる度に頼む自転車屋さんを間違えたと後悔すると同時になんでまともに自転車が作れないんだろうって、いつも腹が立っていました。

この振動のことを自転車屋さんにメールした時はヘッド(前輪のフォーク、ハンドルとフレームをつなぐ部品)がちゃんと締まってないんじゃないかだとか、車輪が振れている(スポークのテンションのバランスが悪くて車輪が正円になっていない状態)んじゃないかなどといわれたのですが、今回、カサデシクリスタで後輪を組み直して、振れ取り(スポークのテンションを調整して、車輪を正円にすること)もしてもらってからますます振動がひどくなったような気がします。
前から思っていたのですが、この振動、振れ取りをした後とか、道路のアスファルトが滑らかになって、状態がよくなった時とか、自転車がスムーズに進めば進むほどひどくなるんですよね。絶対にフレームの欠陥です。

そんなわけで、私はこの権兵衛が大嫌いなのです。で、名前をつける気にもなれずに私の自転車は名無しのままほうっておかれたのです。

そして、もう一ついまだにこの権兵衛で困っていることがあります。

タイヤのサイズなんですけど。

前の自転車もランドナーという車種だったんですけど、このランドナータイヤのサイズがちょっと変わっていて、650Aという、サイズのものを使っていました。ちょっと一般的には知られていないと思いますが、このサイズは実はママチャリの26インチと同じなので、日本ならホームセンターなどでも手に入るので、あまり困ることありません。
でも、海外に出るとこのサイズを探すのが大変でした。マウンテンバイクの26インチのタイヤならどこにでも売ってるんですよね。 同じ26インチでも、この、26インチというのはタイヤをはめて、空気を入れた時の直径だそうで、タイヤが太い分、マウンテンバイクの26インチの場合、リムの径が小さくなります。だから、今度買う自転車はランドナーでもマウンテンバイクのタイヤが入るのがいいなって思ってました。


そしたら、この権兵衛、さすがはワールドローバー、世界基準に合わせてる。って思ったのはつかの間だったと後で思い知るわけですが、ランドナーのくせにマウンテンバイクの26インチのタイヤが標準装備だったんです。

これは権兵衛の大きな魅力でした。でも、わたしはマウンテンバイクのタイヤについて無知でした。
問題は太さでした。権兵衛のタイヤ、というか、リムのサイズが26×1.65というサイズで、この、×の跡の数字が太さを表すのですが、1.65というのは、ちょっと細目なんですね。でも、タイヤの太さは多少違っても入るし、日本にいるとどんなサイズでもてに入ります。

で、この、権兵衛を作ったダメダメな自転車屋さんいわく26×1.5から26×1.85位までなら入りますっていうんですよね。

あれだけ売ってたマウンテンバイクのタイヤの中にはいくらでもそんなサイズのタイヤもあるだろうと思った私が馬鹿でした。いや、そんなサイズで、ワールドローバーなんて作っちゃう自転車屋さんはきっともっと馬鹿です。

世界中にあふれているマウンテンバイクのタイヤのサイズは、26×2.125がほとんどなんです。そして、26×1.85なんて中途半端なサイズは全くありません。

ワールドローバーが聞いてあきれます。どこが世界を放浪する者なんでしょうか。

世界にワールドローバーに合うタイヤはありません。


でも、、、26×1.95というサイズが、まあまあ手に入ります。でもこれも結構探さないといけなかったりするんですが。そして、これが何とか入ってくれるので、何とかここまでやって来ました。
わたしは、タイヤは消耗品と思って、いつも一番安い価格帯のタイヤを使っています。だいたい日本円にして500円くらいのものです。
高いタイヤを買ったとしてもそれが本当にいいタイヤなのか、それともただ単にぼられているだけなのか、そんなの分かりません。だから、ちょっとだけ高いタイヤとかに手を出す気になれないんですよね。

困ったことにこの、安いタイヤだとサイズがちょっとしっかりしてません。さいしょ、アフリカにいる間はなんとこの26×2.125のタイヤがぎりぎり履けたんです。でも、タイヤの表示もめちゃくちゃで、26×2.125だったり、26×1.95~2.125とかだったりします。その辺いい加減みたいです。

でも、チベットで、不良品のタイヤにあたって、大変なことになった時に、ラサでちょっと高いのをと奮発して買った、26×2.125のタイヤが入らなかったんです。フレームにタイヤが擦っちゃうんです。
その時はラサから買って帰ったそのタイヤを履かないともう走れなかったので、擦っている部分をナイフで削ってスポークを調整して、どうにかだましだまし走りました。チベットの高原のどまんなかで、タイヤ一周分ブロックパターンを削るって、本気でバカみたいでした。

こんな苦労を背負い込まされる権兵衛が大嫌いです。

ペルーに入って、全然26×1.95のタイヤが見つからなくなりました。安いやつだしその辺のサイズはいい加減かもしれません。巷の自転車屋さんは同じだっていうんですけど、これで、買ってみて、入らないと、また削ったりしないとなりません。
このあいだ、やっぱりコスタリカで変えた時はまた全部削りました。そして、リムが正円になるようにではなくて、タイヤがフレームに擦らないようにスポークを調整しました。自転車の整備としてありえないことです。

まだまだ、権兵衛を作った自転車屋さんには言いたいことが山ほどあります。
オーダーメイドのはずで、リムの穴(自転車のチューブの空気を入れるバルブを通すための穴)も、自転車のチューブは3種類あるのですが、全部入るように大きいものに合わせてくれって言ったのに、自転車屋さんおすすめの一番細いタイプのバルブに合わせた小さい穴だったために、そのタイプのチューブが手に入らなかったナミビアの砂漠の真ん中で、チューブの交換を余儀なくされて、炎天下の中、ナミビアで買ったチューブが入るようにヤスリで穴を広げました。

こんな入らない苦労を背負い込まされる権兵衛が嫌いなんです。


こうしてくれっていうと、こうした方が便利だ、とか、これの方がいいと丸めこまれて、そのとおりに作った権兵衛ですが、大体その自転車屋さんのおすすめは非常に不便でした。

周りを見るとずっと便利で使い勝手のよい装備のサイクリストに会う度に情けなくなります。

サイドバック(前後輪の横につけるバック)なんかはひどいものでした。世界中の主流はワンタッチで、引き上げるだけでキャリアーからはずせるタイプのものでした。存在は知っていたので、それがいいと言ったのですが、その自転車屋さんオリジナルのサイドバックを勧められて最初前のサイドはそっちを使っていました。
そのサイドバックはキャリアーにストラップ4本でガッチリキャリアーの枠に取り付けるものでした。
これじゃ全然取り外しが楽じゃないから、って言うと、でも、枠ごと外してしまえば良いからそんなに大変じゃないっていわれて、どうも断れなくて、じゃあ前だけといって買ってしまったのです。

たしかに、権兵衛のキャリアーは専用で、特殊な作りになっています。ネジ2ほんはずすだけで取り外すことが可能だし、そのネジはサイドバックをつけていてもなんなくまわせる位置にはありました。

そういわれると、たいした苦労じゃないように思って、買ってみたのですが、全然面倒でした。だいたい、バック一つ取り外すのに工具取り出して、ネジ回して、外れたネジがなくならないように元あったところにはめ直して。

しかもそのサイドバック、ふたもストラップ2本でがっちりとまっているんですよね。だからバックを開けるだけでも一苦労でした。でも、そのサイドバックのふた、ランドセルの蓋みたいにペら1枚なんです。だから、よく小学生が笛を横に入れているじゃないですか、あんなふうに横がいつも開いてるんですよね。ストラップ2本でふたを止めても横が開いてるから、雨が降れば中身はダダ濡れ、犬が来ればそこから漁られる。取り外しは面倒、そして重い。
1年で捨てました。

後ろは大学時代から愛用の札幌の山用品店の老舗、秀岳荘オリジナルのザックを新しく新調して、わざわざ千葉の実家まで送ってもらいました。その甲斐あってか6年半、直射日光にさらされ続け、雨にも打たれ続け、自転車をどこかに立てかける度にどこかに摩っているのに全く問題なく私の荷物を守り続けてくれいます。これは本当に優秀です。ただ、本当にタダの30リットルの背に背負うザックなので、本来かたや腰にかけるストラップをちょっと無理にキャリアーに結び付けるので、とったり付がちょっと面倒なんですけど。

前はそれから、いろんなバックを使いました。一番ひどい時はドサ袋に入れてゴムストラップでくくりつけたりしましたが、自転車屋さんのオリジナルより全然使い勝手よかったことにはもうあきれるしかありませんでした。
最初からそうすればよかったと思った位です。

細かいことはまだまだあるのですが、こうやって、権兵衛のためにいらない苦労を背負い込まされるので、権兵衛が嫌いで嫌いでなりません。
もう絶対日本には持って帰りません、どこかに捨てて帰ろうと心に硬く誓っています。

そして今回発覚した、BBのシェル幅の違い。6年半も経ってまだ欠陥が見つかるかって感じです。
権兵衛、本当にどうしようもないですね。まだどこかでなにかみつかるかもしれません。

でも、悪いところばかりではありません。一つだけ感謝していることがあります。
それは、やたらキャリアーが丈夫だってことです。キャリアーだけは今のところ全く問題がありません。
前使ってたのも大学のサイクリングクラブで一緒に走っていた仲間も結構キャリアーが折れたりおかしくなって苦労していたので、これだけは感謝しています。

メカニカルな愚痴でした。
あーちょっとスッキリした。
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by fuji_akiyuki | 2010-08-23 07:49 | ペルー

全然嬉しくない再開。巨大ババ抜き、ババを引いた人の悲劇。目の回る蟹

ようやくエクアドルを抜けて、ペルーに到着しました。
それにしてもエクアドル、ひどい国でした。
全てあげれば切りが無いのでやめておきますが、とにかくエクアドルの道を作った人に言いたいです。
「おまえ、バッカじゃないの!?」って
無意味な努力ほど人間を消耗させるものは無いって良く実感できました。
素人目に見ても無駄なアップダウン。しかも、1000m単位。目的地の町まで、谷に沿って道を作れば手持ちの地図で、全く等高線を超えることが無いのに、何故か山の山頂付近まで上って下る、そして、等高線を余計に一本切ってまた戻ってくるみたいな道ばかりでした。
手持ちの地図は等高線が800m間隔に引かれているので、一本またげば大体800m変わると考えていいはずだし、実際とんでもなく上らされて、本気でイライラしました。
だって、すぐ下に谷が見えてるし、そこを通っていけば次の街までいけることが分かっていますから。
実際ここまでひどい国ってなかなか有りませんでした、コレって無駄なのぼりなんじゃないかな、って思ってもさすがに1000単位で無駄に上ることは無かったし、地図を見てもここまで谷を避けて山頂にばかりに道があるっていうのもなかなかみたことがありません。
多分ちゃんと等高線の引かれたエクアドルの地図があったら全く川沿いに道が無いのが良くわかるんじゃないかと思います。素人の私のほうがもう少しマシな道路を計画できる気がして仕方ありません。
道路標識もかなりいい加減で、標識に従って曲がったら全然あさっての小道に迷い込んだり、距離の表示が全然違ってたり、ひどいときには道が右にカーブしてるのに直前に”左にカーブしますよ。”の矢印の標識が立ってたり。
どうも川に沿って道を作れない民族は好きになれません。

ペルーに入ったとたん、道が非常に楽になってびっくりしました。大してきれいになったわけではないんですが・・・
そして、ご飯が美味しくなりました。昔南米を旅したときもペルーから入ったのですが、不思議と料理の記憶があんまり無くて、セビッチェってあったなぁ。くらいで、いつも何食べてたかなぁ?って不思議なくらい記憶がありませんでした。
でも、中南米って、どこも似たりよったりで、スープが出てきて、メインが、一つのお皿に乗った肉と野菜とごはん。みたいなのが、共通して定食としてあるようでした。
ペルーでも確かメヌー(スペイン語で定食って言う意味だそうです)って言うのは食べたことあったなぁ。っていう記憶はありました。
メヌーはMenuと書いて、メニューに似てるので、最初にレストランで、メニューある?って聞いたら、あるって言われてから持ってくるまで随分時間がかかるなぁって思ってたら、その定食が出てきました。
それで、メヌーってものがあるってことは記憶していたのですが、この体裁が中米から実はずっと同じだったんですよね。
今回のたびで、それを知って、しかも、エクアドルに入ってから、この定食(エクアドル、コロンビア辺りではアルムエルソと呼ぶのですが)の味が、著しく悪くなりました。ごはんはパサパサ、おかずにあたるメインの肉料理は悲しくなるくらい少ないし、しかも味はほとんど無い。そして、付け合せの野菜は薄切りトマト一切れとレタス2かけらほとんどパサパサのごはんしかないメインディっシュ。
こういうのをきっとエサと表現するんだろうなって感じでした。前菜のスープだけが大体どこに行ってもまあ許せる味(しっかり味がついているという意味で)で、他は本当にどこに行ってもまず間違いなくハズレでした。お昼は頑張ってエクアドル料理を挑戦しても絶対後悔して、夜はちょっと高くても中華に行くって生活でした。
1ヶ月半そんな生活を繰り返して、やっぱりエクアドルに美味しい料理を見つけられなかったので、やっぱりエクアドルはあんまりご飯が美味しくないんでしょう。

 そんな風に1ヶ月半もマズイ定食を食べ続けていると、ペルーで食べたメヌーも同じ体裁だったので、ペルーのメヌーもこんな見た目だったなぁ、と思い合わせると、ペルーの食事もこんなだったかなぁ、もしかして、南米これから先、ずっとこんな感じだったらたまらないなぁ。って思ってた矢先にペルーに入国しました。
最初は期待してないし、なるべくなら、ペルー料理避けたいと思ってました。でも移動手段は自転車、お昼ご飯なんて村とも言いがたいような集落で取らなければならないときもあります。もちろん中華なんてありません。
そこで仕方なく入ったレストランで出てきたメヌー。。。。ことのほか美味しかったのです。

 とにかくごはん、お米が全然美味しくなりました。エクアドルはどこに行ってもパサパサで、ほぼ全部お米が割れていたのに、ペルーは大体どこに行ってもお米はしっかりしててちょっともちっとしてます。多分(日本のお米の味を正確に思い出せないので”多分”です)日本のお米に近くなりました。
そして、おかずも味がしかっりして(店に寄って当たり外れはありますが)、かなり美味しく食べられるようになりました。しかも値段もペルーのほうが安いくらいです。
何で国は隣だし、見た目も体裁も大して変わらないのに何でこんなに違うのか、不思議でなりません。でもこの違いはかなり助かりましたが。
 
 そして、チョコレートが美味しくなりました。安いチョコを買ってもチョコがチョコの味をしています。結構こんな国有りません。
安いチョコを買うととんでもなくまずいか、擬似チョコレートみたいな物がほとんどだったのですが、ペルーのチョコは日本並み、こういう表現も曖昧ですが、例えばチロルチョコは10円でもしっかりチョコの味がしてるし、口に入れると溶けるし、いわゆる、チョコですよね。そうじゃない安いチョコを日本で探すのは難しいくらいですよね。ペルーもそんな感じです。
日本にいたら全然ピンとこないかもしれませんが、これ、実はすごい感動的なことなんです。発展途上国で、美味しいチョコレートを買おうとするなら、それこそ輸入品のハーシーズかネスレかゴディバかなんかとにかく板チョコ一つで500円位しそうな高そうなチョコを買わないとまともなチョコは食べられないんです。
世界にはきっとチョコの味を誤解したまま大人になる人も多いんだろうなって思うような国ばかりなんです。
ロッテや明治のチョコで育った日本人の私にはチョコレートが高いという事実にすらピンと来ませんでした。だって、日本にあんまり安くてまずいチョコレートって無いですよね。
旅行を始めた頃は何でわざわざこんなまずいチョコレートを作るんだろうって不思議でしょうがないくらいでした。でも、実は世界のほとんどはマズイチョレートしかない、美味しいチョコは輸入品しかないってことが分かってくるとこのペルーのチョコの美味しさはちょっと感動物なんです。
もちろん、感動的に美味しいチョコレートって訳じゃないんですけど、ちゃんと口に入れると溶けるし、チョコの味と舌触り、あの鼻血の出そうな甘さがするってそれだけなんですけど。
 そんな訳で、ペルーに来て、10円から30円くらいで買えるチョコを、ちょこちょこ買っては食べて幸せを感じる毎日です。

ロサンゼルスに渡ってきて、コスタリカに入るまでは、ガラパゴスにも行く気満々だったのですが、コスタリカの国立公園があんまりにも面白くなくて、ガラパゴスもどうなんだろうって、思ってるところにエクアドルがまた全然できてない国だったし、近年ガラパゴスに行くのがドンドン高くなっているという情報を聞いたり、ガラパゴスでは動物に触れないということを知ったりするに従って、全然行く気がなくなってきて、結局ガラパゴスはパスしてしまいました。
エクアドルでは、ロープウェイに外人料金があったり、アフリカでも国立公園とか、メンテナンスも設備投資もしないのに入場料ばっかり値上げしたりするのを見てて、なんか、ガラパゴスも近年高くなってるって言うのを聞くとテンション下がってきちゃうんですよね。なんか発展途上国によくありがちな、発展途上国根性むき出しというか、他力本願というか。
しかも触れない。。。ペンギンにも触れないし、イグアナにも触れない。イグアナなんて、尻尾引っ張ったりエサあげてみたりしたいのに。。。。
これで、10日くらいの滞在で10万円くらい掛かると聞くと、うーん。なんかバカバカしくなってきます。
ついでにイースター島も半分くらい興味なくしているので、行かないかもしれません。

 そんな訳で、ガラパゴスにも行かず、ペルーに入ってきて、全然まともな国になったことにほっとしたのもつかの間。。。


 ここ、ペルーで、会いたくない奴にアフリカ以来久々に再会してしまいました。
 奴は本当に厄介で、こいつがいると本当にイライラするし、被害を受けるとすごく困ります。

 いつも道路のどこか、特に路肩に潜んでいて、タイヤをパンクさせようと虎視眈々と狙っています。
トゲトゲ君(多分何か植物の種。針が上に向くように落ちる)との全く嬉しくない再会でした。
ペルーの道路って、綺麗に舗装されて結構ちゃんと路肩もあるんですけど。。。でも、路肩の舗装は車道に比べるとかなり汚いものです。でも、それでも走れなくもありません。
こういうのが結構困るのです。路肩を走れば安全だけど、自転車にあんまり良くないし、がたがたするし、遅くなります。目的地まで、距離がある日はあんまり走りたくありません。
 でも、車道はすごいスピードで車が脇をぬけて行くし、ちょっと危険です。
こういうとき、それでも、やっぱり安全性を優先して、路肩を走ろうかなって思ったのですが。。。。
気が付いたら、トゲトゲ君だらけでした。奴らは自転車に乗ってると全然見えないから、あれ、パンクした。と思って、タイヤを調べるとタイヤに刺さっています。
アフリカで出会ったトゲトゲ君は多分何か砂漠に生える植物の種で針が4本くらい出ててどんな風に落ちても1本は上に向くようにできてました。
今回私が出会った奴らには、針が1つしかなかったけど、それが他の落ちたのかそれとも最初から一本なのかは分かりませんが、まっすぐタイヤに突き刺さっていました。
こいつらの針はそんなに長くないので、車のタイヤはたぶん貫通できません。でも自転車はいけちゃうんですよね。

 車道に落ちたトゲトゲ君はたくさん走ってくる車につぶされるか刺さるかして、すぐにいなくなるようで、車道を走ると被害にあいにくいのです。
でも、路肩となると、路肩を走るのは自転車と馬車くらいだし、ちょっと凸凹してるので、そんなくぼみに潜んでいたりするみたいです。
2回ほど被害に遭ってから、路肩を避けて走るようになりました。
車道を走るようにしてからは今のところ被害に遭ってませんが、トゲトゲ君の脅威に怯えながら旅をしなくてならないと思うとちょっと憂鬱だったりします。


 そして、ペルーにはもう一つ、旅人を悩ます問題があります。
そして我々旅行者は巨大ババ抜き大会に巻き込まれていくのです。

 もう6年半も旅行をしてきたのですが、不思議と偽札というものを手にしたことがありません。
もしくは知らないうちに使ってしまったのか。
よく、周りの旅人達は偽札をつかまされたり、ATMから出てきたと言って悔しがっているのを見たり聞いたりしてきて、いずれはあるかもしれないと覚悟はしていたのですが、今まで、偽札を掴まされて、それを認識したことはありません。
でも、ここ、ペルーは偽札がかなり出回っているそうです。
国境で両替をすると必ずつかまされるという話も聞いたので、エクアドルで、国境から最初の大きな町まで当面必要になりそうなくらいの額を信用できそうな両替商で作って行ったほどです。

 でも、そこで作ったペルーのお金(単位はソル)に偽札が!??

 ペルーに入った初日、使おうとした10ソル札(約300円)がニセモノだと言われて2軒くらいのお店で断られてしまいました。

でも、よくよく観察してみてもどう見ても本物にしか見えません、と、言っても旅行者がいきなりその国に入って初めて見るお札が本物かニセモノかなんて区別がつくわけ無いですよね。
だから、この偽札問題はいつも旅行者が不利で、旅行者が知らないうちにババを引いて一件落着というなんかアンフェアなババ抜き大会に巻き込まれてしまうので、嫌なんですが。
私ができることは他の10ソル札と見比べてみることくらいです。でも、お札にはいくつか偽札防止の仕掛けがあります。日本だったら『びっくり!!おさつのひみつ、1まん円さつにつかわれている7つのさいしんぎじゅつ!!』みたいなタイトルで子供向けに売ってる本にありそうな仕掛けを全部確認して、やっぱりどう見ても本物そっくりな偽札でした。
いや、偽札じゃなかったのかもしれません。でも、その商店の人に言わせると手触りが違うといいます。
確かにそのお札はちょっとへたってて、他のお札とはちょっと手触りが違うようですが、それはへたったから違うんじゃないかとしか思えません。
で、わたしはきっと本物で、疑り深い国境付近の人だからだめなのかなぁとおもって、最初の宿で支払いに使ったらその人全く確認せずにはいOKみたいな感じで受け取ってくれてしまいました。
もうちょっと調べて受け取ってもらえれば安心できたのに、いまだにそのお札が本物の偽札だったのかどうか、分からないで終わってしまいました。
でもそれが本物の偽札だったら人生初の偽札になったはずだったのですが。。。

 でも後日、このババ抜き大会でババを引くと思わぬ悲劇で終わりを告げることが分かりました。
最初の大きな町、ピウラという街で大型スーパーで買い物をしている時のことです。
レジでひとつ前に並んでいた人が支払いに差し出した20ソル札がニセモノだったようで、レジの人が受け取って偽札と確認した途端、スタンプを持った女性店員を呼んできて、哀れ偽札の表裏に合計10っ箇所くらい、“偽物”スタンプを押されてつき返されていました。
もしここであの10ソル札を使っていたらと思うと。。。まあ、でも本物だったのかもしれないんですけど。
ちょっと心配なのは本物なのに偽札と勘違いされてあんなスタンプ押しまくられたらちょっと悲しいですよね。
このままどうにか無事にババ抜き大会をくぐり抜けられればいいのですが。。。

 ところで、ただいま、ペルー北部のトルヒーヨという町の近く、ワンチャコという海辺の町に来ています。
チクラヨからトルヒーヨまではバスを使いました。


●●●●注意!!●●●●コレを読んだあと、もしかしたらペルーを訪れるかもしれない自転車乗りの方のために。

トルヒーヨから北へ約100kmほど行ったパカスマヨという町とトルヒーヨの間は自転車旅行者を狙う強盗が多発しているそうで、その間を走ると高確率で襲われるという情報がありました。
と、言う訳で、パカスマヨからバスに乗ると途中乗車になるので、自転車ととんでもない量の荷物をなるべくとラベル無く載せたかったのでパカスマヨより更に100kmほど北のチクラヨからバスを利用しました。
もしこの区間を走る予定がある方がいましたらすこし情報収集をして、安全を確保することをオススメします。
ちなみにピウラ-チクラヨ間の多分260km程の海沿いのパンアメリカンハイウェイ(1N)は本気で街一つ、店一つ無い砂漠だそうです。そしてこのあたりも自転車乗りにとってあんまり治安が良くないそうです。
わたしはピウラからパンアメリカンの山側の支線1Bを通って、無事にチクラヨに到着しました。途中、チュルカナス(8kmほど道から逸れます)からオルモスまで約130kmは宿泊施設の有りそうな町はありませんでしたが、休憩と食事のできそうな村なら点在しています。
ピウラ-チクラヨ間の移動も安全を考えて山沿いのほうをオススメします。

●●●●●●

ここは宿が安くて、トルヒーヨまでバスで簡単にいけるので、滞在しています。
そして、トルヒーヨにはカサデシクリスタ(サイクリストの家)があって、そこで権兵衛(自転車のこと、名前は無いので名無しの権兵衛の権兵衛です)の修理を頼んでいたので、権兵衛の修理が済むまでここに滞在することになったのですが、このワンチャコはカングレホと呼ばれる蟹が有名だそうで、ちょっとこの間食べてみました。
このカングレホ、沢蟹とズワイガニの間くらいの大きさ(沢蟹とズワイガニの間には大体どんな蟹も入ってきそうだし、カングレホ自体スペイン語でただ単に蟹という意味なので、沢蟹もズワイガニもカングレホなんですけど。)で、まあ大体こぶし大くらいの大きさです。
これを、卵と一緒に炒めるのがここで有名な料理だそうです。

 で、せっかくだし、と思って食べてきたのですが、この蟹を食べた夜、深夜に突然気持ちが悪くなっておきたら、目が回って吐き気がしました。
目が回るって本当に目が回っている状態です。真っ暗な部屋なのですが、テレビのパイロットランプが赤く小さく転倒しているのがものすごい速さで右から左へ移動して、もっと速い速度で一瞬にして右に戻って、また右から左に移動します。
最初、自分の頭がおかしくなったのかと思ったのですが、落ち着いて見ると(全く落ち着いて入られなかったのですが)暗闇をとおして、部屋全体が、いや、世界全部がテレビのパイロットランプと同じ様に動いています。
こういうのはまさに目が回った状態、頭がくらくらするとか、ぼうっとするとか、焦点が定まらないんじゃなくて、遊園地のコーヒーカップに乗って最大限に回した後のような目の回った状態でした。
 こんな目の回り方は本当に回った後以外では人生で初めての体験で、起きたら目が回っているという非常にありえない状態に陥っていました。しかも目が回ったときと同じように吐き気もするし。
でも、左右にめまぐるしく動くテレビのパイロットランプを眺めながら、頭のどこかで、こういう時に目の回ってる人の目を見ると瞳が右へ、左へめまぐるしく動いていて面白いんだよなぁ、どうにか自分の目を見れないだろうかなんて考えていたりもして、でも、吐き気には参ってどうしていいのか分からなくて、ちょっとパニックに陥ってしまいました。

 何故か左を下にして横向きに寝ると症状が軽減したので、寝返りも打てずに左をした状態でしばらくしたらまた眠っていました。
朝になって、多少良くなって一体なんだったんだろうと思うとどうしてもそのカングレホしか思い当たる節がありません。

 幻覚作用のある蟹ってことでここの蟹が有名なんだろうかとも考えてしまいました。でも、朝、ちょっともたれ気味の胃の調子から察するに殻ごとバリバリ蟹を食べたのが消化不良だったのかもしれません。
なにしろ沢蟹とズワイガニの間なので、殻も食べられるか食べられないかの間でした。胴体の甲羅や一番大きなはさみはちょっと固くて食べられなさそうだったのですが、その他の足は身をほじるには小さすぎて面倒だったのが悪かったみたいです。
もう沢蟹とズワイガニの間の蟹を食べるのはやめようかと思います。

カサデシクリスタに出していた権兵衛は今日戻ってきたので、そろそろここを出て、リマに向かおうかと思っています。
10年ぶりのペルーですが、全然覚えてませんでした。リマより北は来たこと無いので、このあたりは初めてですが、リマは10年ぶりの再訪となるのですが、いったいどのくらい覚えてるのか全然自信がありません。

カサデシクリスタウェブサイト
トルヒーヨ http://www.geocities.com/casadeciclistasperutrujillo/ ←リンク不調? 
南米リスト:http://www.grenzenlos.ath.cx/?Casa_de_Ciclistas:Otras_Casas_de_Ciclistas_en_America_Latina
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by fuji_akiyuki | 2010-08-11 13:05 | ペルー