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ブルキナファソにいます@ワガドゥーグー(ブルキナファソ)

今、私はブルキナファソの首都ワガドゥーグーに来ています。何とか生きてバマコを出られて良かったと思っています。ワガドゥーグーは思った以上にきれいな街です。自転車の調子が悪かったので自転車はここから400km離れたバマという街に置いてきました。昨日部品を受け取ったのでバスで帰って部品を交換してまた走ってきます。

バマコを出てからそれまであまり見ることのなかった畑を見るようになりました。何故今までこんなに畑を見ないのだろうと思っていたのですが、マリ、ブルキナには大きな畑があってしっかり農業をしているんだなと感心しました。それでも畑の雑草はそのままなのが気になります。しかし、もっと雨も多く気候もいいと思われるギニアやシエラレオネではほとんど畑を見た記憶がありません。一度シエラレオネでそんな話をある村の村長としたことがあるのですが、彼は肥料がないと言っていました。それにはがっかりしました。肥料などポイポイ捨てているマンゴーの皮とかトウモロコシの芯をを集めて、これまたそこらへんに放し飼いにしているヤギやウシの糞と混ぜればすぐに肥料などできるのに…。努力が足りない。マリやブルキナにできて、何故ギニアやシエラレオネにできないのか?内戦間もないシエラレオネはまだそんなことやってる場合じゃないのかもしれないが、ギニアは?とそんなことを思う近頃です。それとバオバブの木が葉をつけて実を結んでいるのも見ることができました。ただ、花の時期は終わってしまったようで残念です。

雨季も終わりに近づいたようで、だんだん雨が少なくなり、テントは建てやすい環境になってきています。ブルキナには象がいるというので踏まれないように気をつけようと思っています。
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by fuji_akiyuki | 2004-09-20 00:00 | ブルキナファソ

バマコの写真@クマシ(ガーナ)

バマコで会った日本人が送ってくれた写真です。
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by fuji_akiyuki | 2004-09-11 00:00 | ガーナ

出発@バマコ(マリ)

応援メール、その他メールを下さった皆さん、有り難うございました。おかげで大変精神的な支えになりました。

精神的に滅入って気持ちに余裕がなくなると、どうでもいい事が気に障ったり、つい、周りに当たり散らしたりしてしまう自分が居る事が分かり、バマコ滞在中は反省のし通しでした。自分の態度も精神状態のバロメーターだという事が痛いほどよく分かったバマコ滞在でした。もしメールが無くて本当に一人でこんな状態に陥ったら逃げ出していたかもしれない。と、よく考えました。昔、カンボジアで赤痢っぽいのに罹った事があります。小さな町ですが、心細くて首都のプノンペンまでバスで逃げた事があります。そこには日本人もいて話もできたのでよかったのですが、ここだとどこに逃げればいいのか。自転車でないとしてもどこに向かっても過酷なたびだし、絶望に打ちひしがれていたに違いないと思うとメールを下さった皆さんには感謝してもしきれない気持ちです。
明日、バマコを出ようと思います。3日前にミッションカトリックという宿に変えたのですがここは4泊が上限なので今日泊まって終わりです。前の宿は信用できなかったし、宿を替えたその次の日も前を通りがかった時に宿代を払ってないと言い掛かりをつけてくるありさまです。ミッションカトリックに移る事はいい宿になるのと同時にバマコ滞在のリミットを設ける事にもなるのでいい機会でした。

前に病気で食欲も無くかなり滅入っていた時、バマコには全くまともな食べ物が無いように書いたと思うのですが、それじゃああんまりなので補足しておきます。

今は食欲も戻り、毎日現地の食事を食べています。主に屋台なので、バスターミナルを中心とした、“捕食のための周回コース”なるものができてきました。宿からバスターミナルに行って、大通り沿いに大きく周回して宿に戻るものなのですが、そこで発見したおいしいものも結構あります。
一番のお勧めは(誰に勧めてるのかは定かでないが)ミートパイです。これはかなりいけます。パイ生地の中に挽肉と細かくした茹で卵を入れて油で揚げたものです。 よく食べるのはマル芋。勝手に名づけたのですが、マンジョカより大きくて芯の無い芋で、太股みたいな芋です。輪切りにするとこれまた見事に真ん丸なので勝手にそう呼んでます。味は甘くないサツマイモ、一口大に切って、塩をつけてくれるので食べやすく、安くてボリュームがあるので毎日食べてます。
これはまた贅沢だと思えるのがゴマのお菓子、ゴマを砂糖で固めたようなお菓子で、つなぎの砂糖以外は全てゴマ、見つけるとかならず買うメニューの一つです。 それと袋に入った半分凍ったヨーグルト。これはセネガルからあるのだけれど絶品です。
後は揚げたサツマイモ、ポップコーンなどは外れなくおいしい。

まずい物も当然あって、一番困るのが米。米がまずいのではなく炊きかたがなってない。これはバマコではじめて気がついたのですが、米がネチャッとしていてまるで、糊のようになっている。これに何をかけてもおいしいはずがない。体調崩してる時にこれを食べたら何も食べる気なくすのは確かに当然です。ご飯より、クタクタになっているとしてもスパゲッティやマカロニの方がおいしい。
この辺の主な食べ物はぶっ掛け飯で、その飯がいけてないと話にならないのですが、ソースはあたり外れが著しいです。おいしいものもあるのですが、魚が入ってるとたいてい生臭い。特にこの辺はとても汚いニジェール川の魚を使っているようでお願いだから魚は入れないでとお願いしたくなるような代物。生魚を食べる日本人がそう思うのにおいしそうに食べてる現地人が信じられない。
それと生のマンジョカ、何故生で食べる??味は想像つくと思います。分からなければジャガイモを生でかじってみるといいでしょう。

大体おいしいものはあまり手をかけずに素材の味を生かしたもので手の込んだものがまずかったりするのは皮肉だけど、ご飯の炊きかたくらいは研究して欲しいと思う今日このごろです。

とにかく明日から走ります。久しぶりだし、熱くなってきてるし、ちょっと心配もあるけど、とどまっていてもしょうがないし、自転車も直さなくてはならないので。

今日はポップコーン屋のおばさんに挨拶してきます。ブルキナファソに向けて出発すると。

またしばらく日本語は読めなくなる可能性があります。急ぎの場合はローマ字か英語でお願いします。
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by fuji_akiyuki | 2004-09-10 00:00 | マリ

信用することと信用されること@バマコ(マリ)

昨日あった出来事です。

日記を書きたくて椅子と机を求めてやすそうなカフェを探していてある一軒のカフェに入ったときのことです。カフェはバマコでも有名な安宿ミッションカトリックの前にあって、そこの利用客もよく利用するバックパッカー御用達の店であるというバックグラウンドもあるのですが。

この時、会計が550フランで自分の持っていたのは5000フラン札一枚と小銭が少し。小銭で550フラン無かったので5000フラン札を出してお釣りあるかと聞いた。
“小さいお金はないのか? ”と店の主人が聞く、まあ当たり前の話で。
“残念だけど無いね。”そう言いながら私はポケットを裏っ返して空っぽであることを見せた。店の主人は少し考えて
“明日来い、明日払ってくれればいいよ。”と言って、その日は何も小銭から50フランだけとってあっさり私を帰してくれた。
なんか大した話ではないけど、前のメールの内容を読んでくれればこれがここアフリカにおいてどれだけ珍しいことか察しが付いてくれるとありがたいのですが。店の主人は旅行者の私を信じて“明日来い”などとはそう簡単に言えないのです。多分ここで多くは逆になる。5000フラン札を取っておいて、“明日釣りを渡すよ。”となるか、もしくは近所中走り回って釣りを作ってくるか。これをされたら多分次にここに来ることはなくなっていたでしょう。しかし、このカフェの店主は私を信用して500フラン明日払えといってあっさりと帰したのです。旅行者ならその明日、こっそりバマコを出てしまうかもしれないし、ネコババしようと思えばいくらでも出来る状態においたわけです。
逆に信用された方はたまったものじゃない。人格を問われているのも同じ事。こういう立場におかれたら意地でも500フランは払いに行かなければならないと思ってしまいます。

というわけで、今日は早々にそのカフェに行って昨日の500フランを払ってついでにまたカフェを飲んでしまった次第なのです。しかし店主は500フランについてすっかり忘れてたようで今日500フランを渡してもしばらくきょとんとしてたけど。

実はこの話にはアイロニーがあって、カフェの会計のとき実は別のポケットに小銭を持っていたのです。しかし、私の泊っている宿はなかなか釣りをよこさないので何とか崩して払いたいという小賢しい考えがあったのです。宿代は3000フラン、毎日払うようにしているから昨日も宿に帰って払うためにカフェで5000フラン札を崩そうという腹が有ったのです。結局それに失敗した私は帰り際にパンを買ってお釣をもらいました。しかし、5000フラン札で500フランでパンを買ったのですが、お釣は2000フラン札2枚と500フラン札1枚で結局3000フランを作ることができなかったのです。 とはいうものの最初から持っていた小銭をかき集めれば1000フランを作ることが出来たので、2000フラン札1枚と合わせて3000フランを作って宿代を渡すことは出来るという計算はありました。

ここで、宿に帰って宿の兄ちゃんがいつもどおり宿代を請求しに来ました。小銭はなるべくなら残しておきたかったので、
“釣りはあるか? ”と彼に聞くと
“いくらだ?”と聞いてくるので
“1000フラン”と言いながら2000フラン札2枚を出して様子を見ることにしました。
“ちょっとまってろ”と言って宿の兄ちゃんは私の差し出した4000フランをもってどこかに行きました。この間はこの調子で3日間釣りが帰ってこなかったので彼のことは全く信用していなかったのだけれども、しばらくして案の定
“1000フランは無い、とりあえず500フランあるからこれを取っておけ。あとで残りの500フランは渡すから。”
だめだなこれはと思って、
“分った、じゃあさっきの2000フラン札を返せ、ここに小銭で1000フランあるから” そう言って小銭で1000フラン見せると彼はそれを取って
“ちょっとまってろ”そういって彼はまた引き返していきました。しばらくしてさすがにさっき払った2000フラン札を持ってくるだろうと思ったのですが、
“2000フランはもう使った、だから今もらった1000フランとここにある500フランを渡しておくから、すぐに残りの500フランは帰すから”といって、まだ釣りをもらっていない状態で現在にいたるわけです。しかし、今さっき払った2000フラン札が無いというのにはかなり呆れてしまいました。

前に出てきたカフェの店主は客を信用することで信用された方は誠実にならざるをえないように仕向けた、のかは定かではないが、とにかく気分は悪くないし、もう一度行く機械を強制的に作らされたわけで、これはうまい商売でした。

宿の方はというと釣りが無いくせにお金だけは取っておいて客を待たせるというかなり腹立たしい態度に出ています。宿の方は客を信用していないから金はきっちり請求するけど、釣りはなかなか出さない。そうするとこちらは宿を信用できない。

しかし、やはりここで考えさせられてしまいました。
つまり、私は宿の主人や不特定多数の多くのアフリカ人を信用していないから裏切られるのではないかと。信用されれば人はその信用に答えようとするから、何よりも自分の信用を失うことは人として耐えがたい侮辱であるから、ネコババするなどという考えは浮かんでこなかった。
 しかし、端から信用されていなければこいつにどう思われてもどうでもいいやと、思ってしまうのではないか。
先に自分が信用することで相手も変わって信頼関係は生まれるのだろうかと考えて昨日は眠れませんでした。しかし、ここで人を信用することは難しいです。まだまだ自分が人間として成っていないのでしょうか。

でもここにもカフェの主人のような人が居ること、ポップコーンのおばちゃんのような人が居ることが分ったのは救いでした。その後ポップコーンは毎日買いに行ってます。買う量も2袋から4袋に増えて、いつも1袋おまけしてくれるから毎日5袋のポップコーンを食べています。といっても1袋の量は片手いっぱいに乗せた量の2倍くらいなのでそんなに沢山はないので食べ過ぎの心配はないと思います。
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by fuji_akiyuki | 2004-09-03 00:00 | マリ