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無くしたもの、無くなったもの

今、エクアドルの首都、キトにいます。最初、2,3日間こうしてすぐに出る予定だったのにすでに10日くらい沈没してしまっています。

ところで、実は、先日、まだコロンビアにいる時のことですが、この6年間使ってきた権兵衛(自転車)の鍵をなくしてしまいました。
6年間も持っているものって、もうすでに定位置も決まって、強盗にでもあわない限りなくすことも無いだろうって思ってました。
でも、その6年、なくすことなく持っていた鍵をなくしてしまったのです。
鍵の定位置はズボンの左のポケットでした。
ズボンの左ポケットは最初から鍵の定位置で、いつの頃からか、そこにBICのライターとタイで買ったインヘラー(鼻スースー)加わって今日に至っていますが、鍵は本当に日本を出る時からいつもそこにありました。
そして、右のポケットはお金の定位置です。
 私は、よくポケットのお金、特に小銭を落とします。イスに座って立ち上がってみると何枚か落ちてたり、寝っ転がるとばらばらとポケットから落ちてきたり。
気が付かないで落としてなくしているお金もたくさんあると思うのですが、なぜか左ポケットの鍵束はなくならずにそこにありました。
何度かイスに座ったときに転げ落ちるようなこともあったのですが、でもなくすことはありませんでした。

でも、コロンビアでなくなってしまったのです。
多分、その日の朝はちゃんとポケットにあったので、休憩したときに座るか寝転がるかして、その時に落として気が付かなかったものと思いますが。
左ポケットの同居人のライターと鼻スースーは無事だったのに。。。

 もともとこの旅行に出る時、私は3本のワイヤーロックを持って出てきました。
1本は権兵衛を買った自転車屋さんに勧められたものでした。
そして、後の2本はちょっと思い出深い、大学時代からの付き合いでした。

 大学時代に買ったワイヤーロックはもともと1本しかなかったのです。
 その当時は多分どこにでも売ってる珍しく何とも無いワイヤーロックだったと思うのですが、鍵の形がちょっと他と違って独特でした。
その他あまたあるワイヤーロックの鍵は南京錠の鍵ととか、鍵屋さんによくあるいわゆる鍵という形、片側が凸凹になっている形をしていたのですが、私の買ったワイヤーロックの鍵は凸凹が両側についていて、鍵の元の金属の板も平べったいちょっと珍しい形をしていました。
でもきっと同じ商品はたくさん出回っていたんだとおもいます。

 話を分かりやすくするためにこのワイヤーロック本体、つまり自転車に掛けて置く方を錠、ポケットに入れて持ち歩くほうを鍵とします。

 で、大学時代に愛用していたこの錠と鍵なんですが、これを買ってまもなく、大学構内を歩いている時に全く同じ錠が落ちているのを発見しました。
 その時私は教養の校舎の前に当時使っていた自転車を止めて錠をかけていたので
「まさか誰かが錠を開けて私の自転車を盗んだのか?んな、わけないよね。」
とおもいつつ、ポケットに入っている鍵を試してみました。
もちろん開かないはずで、ほら、同じタイプの錠が捨てられたか落とされただけだった。
で終わるはずだったのですが、これがくるっとまわっていとも簡単に開錠されてしまったのです。
このときは焦りました。つまり、私の自転車が盗まれたということ?です。
だれかが、錠に傷をつけずにどうにか開けたのだろうか?
 とにかく私はそのおちていた錠を手に駐輪場に急ぎました。そして、そこにあるはずの自転車は・・・
 何事も無くそこにあったのです。錠も掛かってました。もちろん、自分の持っている鍵で開錠できました。
それから、鍵一つに錠が2つという奇妙な状態になったのですが、でも、錠が2つあるのは何かと便利で、その時以来使う自転車にはその2つの錠と一つの鍵を使っていたのです。

 しかし、その思い出の錠と鍵も鍵をなくしてしまったので、先日泣く泣く自分の手で、まあ、ペンチでですが、ねじ切りました。
 でも、あんまりにもあっさり切れたので、ちょっとびっくりしました。

 なくなったといえばコロンビアに入って以来、ここエクアドルでも蚊取り線香がなくなりました。
パナマで買った蚊取り線香がそこを尽いてきたので、そろそろ新しいのを買おうと小さな商店から大きなスーパーマーケットまで、探し回りましたが、全くどこにも売ってません。
ちょっと驚きです。世界中どこにでもあった蚊取り線香。アフリカですら売ってた蚊取り線香が南米には、いや、まだコロンビアとエクアドルだけですが、とにかく今のところ見当たりません。

 ええ、蚊取り線香が無かったら蚊対策はどうするの?

 と思うでしょうか?でも日本でも蚊取り線香なんて焚くことあんまりありませんよね。
 そう、ここにも蚊取り線香じゃなくて、蚊取りマットが売ってるんです。リキッドもあります。
じゃ、問題ないじゃん。って思うかもしれませんが、これが悩みどころなんです。
蚊取りマットの機械は非常に小さいものも有るし、マット自体も小さいから、蚊取り線香を持ち歩くより便利かもしれませんが、ちょっと単価が高い。
特に蚊取りマットの機械は5ドル位するんです。
一回買ってしまえば壊れるまで相当使えるなんて甘いことは考えてません。
なぜなら、絶対コンセントに差したまま宿に忘れて、そのまま旅立ってしまう危険性が絶大だからです。
下手をすれば使うたびに宿に忘れてくるということも考えられなくもありません。
だから、蚊取りマット、買えずにいます。
でももし蚊取りマットを買うことになるとコンセントに差し込むタイプの電化製品としては私の持っている電化製品、第2号ということになります。
第一号はコイルヒーターで、コンセントの電化製品はここ6年、それしか持ってません。
電池だったら、電子辞書とMP3とカメラがありますが。。。

なくなったといえばここ、キトで、私は左足の中指の爪をなくしてしまいました。
ついた翌日、メトロバス(路線が決まっていて、専用のレーンがあって、バス停がホームみたいになっているバス)に載ったのですが、超満員で、私はドアに押し付けられるように立つことになってしまいました。
扉際だと停留所に着くたびに降りなければならないのですが、乗るときにまた苦労します。
で、このメトロバスのドアが日本の電車のように真ん中で割れて両側にスライドするタイプではなく、観音開きの変形版みたいで、真ん中で割れて、両端が車内に入り込むことで、外に大きく開かなくてすむようになっているのですが、おかげで、車内に入り込んでくるので、ちょっと怖いなと思っていました。
でも特に車内にあるドアが開閉するたびに回転する支柱がなんとなく握ってしまう位置にあってそれが怖かったので、そればっかりに気をとられていました。
そしたら、2つか3つ目の停留所で、ドアギリギリにたって、その回転する支柱に注意しながらドアが閉まるのを待っていたのですが、ドアが閉まったとたん、足に激痛が・・・
どあが、足を引いていったのです。
 次の停留所で、足を見ると左足の爪がはがれて、血が流れ出してました。
根元がかろうじてつながっていたので、それを自分ではがす勇気は無くて、上からテープで止めておきました。
でも、一回はがれた爪がくっつくわけ無いと思っていたので、いずれはがれるものと覚悟していました。
でもその状態で、1週間、なんか今、爪がくっついているみたいになっています。
はがれた爪ってくっつくんですか?それともいつかどこかではがれてしまうのでしょうか、ちょっと心配です。
コロンビア、エクアドルと山がかった地形が続いて、しかもこれからペルーには70kmくらい立ち木もお店も陰すらない砂漠地帯が続くところがあって、アンデスの登りは100kmノンストップで上り坂が続くところもあって、それまでにあんまり体力を落としたくなかったので、キトではゆっくりせずにすぐに出ようと思っていたのですが、こんなことがあって、ちょっと沈没してしまいました。

 そして、沈没してしまったので、ドルの国だしと思って、行ってきました、シティバンク。
シティバンクのトラベラーズチェックを替えに。

  そして、門前払いでした。。。。


 意味プーです。本当に。これって、詐欺ですか?シティーバンクさん?

 だから、いま、切実に世界からなくなって欲しいのはシティバンクです。
 
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by fuji_akiyuki | 2010-06-30 08:23 | エクアドル

私はアンチエコロジスト、アンチナチュラリスト、アンチフリーチベット

旅行者の中にはエコとか自然とか大好きっていう人結構多いんですよね。
でも、私はアンチエコロジストで、アンチ自然派、アンチフリーチベットです。
なんか流行りモノみたいで嫌いだし、こういう人達の言ってることって、どこかで偏ってたり、物事の一面だけを取り立ててああしたほうがいいとか、こうしたほうがいいとか言っている気がしてほとんど賛同できません。
 
 先日、ホステルで親子丼を作って食べていたら、突然白人のおじさんに”肉を食べることは地球温暖化につながる。”って文句を言われました。
 牛や鳥を育てたり、肉や飼料を運ぶのに車を使えば排気ガスが出るし、牛や鳥自体呼吸してるとかなんとか・・・

 だからなに?って感じじゃないですか?ちょっと頭おかしいんじゃないかと思ってしまいました。

車が排気ガスを出すから車を使わなければいい。とか、牛や鳥は呼吸をして二酸化炭素を出すから、野菜を食べたほうがいいとか、あんまりにも安直過ぎません?
人間はもともと雑食動物で、外からたんぱく質を摂取しなければならない生き物です。
そこを否定するなら、雑食動物であることをやめる以外ないじゃないですよね。
菜食主義者でもそこは大豆蛋白なんかで補っています。
 でも、私は大豆蛋白で作られた肉のような食べ物はあんまり美味しいとは思いません。
我慢した人生を送りたいわけではないので、私は全く菜食主義には興味がありません。だから人から強要されるのはまっぴらごめんだったりします。
エコを理由にベジタリアンになるなら、もっと別のところで二酸化炭素の排出量を減らすことを考えられないんでしょうか。
例えば車を使わないで移動するとか、電気だって、使う分にはクリーンなイメージですが、作り出すときには膨大な量の二酸化炭素を出しているかもしれません。
その中で、まるで菜食主義者になることが一番重要だと思ったのはそのおじさんの思い込みかもしれません。
なのに人にいちいち文句を言うってどういうことなんでしょうかね。

 その人、みてるとキッチンで肉料理を作ってる人、全員に肉食のが地球温暖化につながると文句を言ってました。

 私は肉も野菜も好きだし、人間が雑食動物である事実は受け止めるので、無理に菜食主義者になろうとは思いません。

 菜食主義者になるのは自由だと思うのですが、それを人に強要するのはどんなものかと思います。

 で、このおじさん、自分の使ったお皿は全く洗わないし、スカイプで耳にキンキン来るほど大声で話すし、しかも、そんな理由で菜食主義者のはずなのに卵は食べるし。

卵を産むために親を育てなきゃならないってことや、その卵を運ぶのに車を使わなきゃならないってことは頭にないんでしょうか?

このおじさんはかなり極端な例ですが、なんかどっかで自己矛盾を生むバックパッカーエコロジストって多くないですか?
旅行してるとこういう話は本当にたくさん聞きます。でも、それって、あなたがそこに重きを置いて信じてるかもしれないけどそうじゃない事実って、実はあるんじゃないでしょうか?
でも、信じちゃってる人って、もうそれが大事と思い込んでるから、何を言ってもダメ、話になりません。まるで宗教みたいです。
 
 例えば発展途上国に行くと排気ガスで、結構空気が汚かったりします。じゃあ、車を使うのを制限すればいいのに。とか、そんな意見。
でも、お金の無い発展途上国では先進国で廃車同然になった中古車などを安く買い取って使っていたりするので、エンジンの性能も悪くなってたり、もともと古い型のエンジンだったり。ガソリンもあんまり質がよくないのかもしれません。
でも、それが無ければその国は成り立たないかもしれません。なのに、そんな質の悪い車を使うなとか、そう簡単にいえません。

 割り箸が熱帯雨林の減少につながるとか、一時期騒がれて、日本がバッシングされていたようですけど、あれ、どうなったんでしょうか。
エコロジーって、流行りすたりなんですか?南米の熱帯雨林の減少って、確か衛星から監視されているって話を聞いたことがあります。
でも、南米より、アフリカのほうが熱帯雨林の減少が激しいという資料を目にしたこともあります。
確かにアフリカでは熱帯雨林を焼いているのをよく見かけました。
 何をしているのか、あんまり明確な答えを得ることはできなかったのですが、焼け跡の側の道を通ったときに目にしたのは住民が背中に大きなかごを背負って、炭を集めている姿でした。
 アフリカでは料理をするときの燃料として、おもに薪や炭を使っていました。ちょっと調べてみると、熱帯雨林減少の原因はこの、薪や炭の採集のせいだとか、いや、昔ながらの方法に悪いところは無い、やっぱり木材の伐採が原因だとか。
実際、熱帯雨林減少の最大の原因ってナンなのか、調べてみると、この、薪や炭の生産だとするサイトや、紙や木材を作るための伐採が原因とするサイトや、牧草地や農地に開拓するのが最大の原因だとするサイトが見受けられます。
そのなかに、割り箸の話しはまったく入ってきません。

 だから、割り箸は熱帯雨林の減少には関係ないとか、そういうことを言ってるわけではないのですが、ある一面を取り出してきて、エコロジーを振りかざして、色々言われるのが私は嫌です。私はアンチエコロジストですから。
そして、熱帯雨林が地球上の酸素の供給料のほとんどを担っているような印象を与えるサイトも多かったのですが、ウィキペディアで調べると、地球上の酸素の供給量の約半分は海中や水中の植物プランクトンによるものだそうです。

 熱帯雨林の例だと、例えば薪や炭を使うのは自然と密接していてなんとなく自然派な感じですが、実際、薪や炭は酸素の生産者である植物を酸素の消費者として使うわけだから、もう生産者になりえない化石燃料を燃やすより、じつはたちが悪いのかもしれません。
農場や牧場に転用するのだって、人口が増えればどうしても仕方の無いことだと思うし、そう簡単には否定できないものも感じます。

エコロジーって、現象の一面だけを見て語っても解決しないものだと思うし、全ての現象は多面的で、しかも、個人でどうこうできるものって少ない気がします。
企業が二酸化炭素の排出量を削減したエンジンを開発したとか、発電所が火力発電を水力や地熱に転換したとか、よっぽどエコロジーだと思います。
原子力発電は最近、クリーンなイメージがあるようですが、いまだ、放射性廃棄物の問題は解決されていないし、どんなに安全性が高くなったとしても、完全はありえません、第2のチェルノブイリの可能性を考えないということにも私は疑問です。
だけど、旅先で会うエコロジストは本当に自分の信念に従って意見をしてくるので、本当に勘弁です。私はアンチエコロジストです。 


 前にもチラッと書きましたが、パキスタンのフンザという町から、綺麗な渓谷が見渡せます。
が、フンザの町のすぐ下にカリマバードというもう少し大きな町があるせいか、フンザから見える渓谷の中には鉄塔が建っていたり、電線が走っていたりします。
これが無ければもっと綺麗なのに。。。とは、やっぱり余り思慮深い意見だとは思いません。
その電線や鉄塔のおかげで、カリマバードの人達は快適で、文化的な暮らしができているのかもしれません。

何でも手付かずの自然が、絶対いいと思い込んでいる自然派の人達。私はこれもうんざりです。私はアンチ自然派ですから。
自転車乗りの中には舗装路より未舗装のほうがいいと思い込んでいる人がいるようで、よく、チベットは舗装する前に行ったほうがいいなんて意見を聞きます。
でも実際に行ってみて、チベットはさっさと舗装してもらったほうがいいなと私は感じました。

 確かに、舗装路より、未舗装のほうが趣がある場合もあるし、走っていてちょっとアスレチックぽくって楽しい道もあります。でも、チベットに関して言えば、景色は綺麗だったけど、道はどうにかしてほしいといわざるを得ないひどいものでした。
車のたくさん入る未舗装の道は車のサスペンションのせいか、ある周期で凸凹ができます。これがまるで洗濯板の上を走っているような感じです。
こいでも進まないし、振動ばっかりで、ねじは緩んでくるし、頭は痛くなってくるし、手はしびれて痛くなってくるし、車が来れば砂埃を舞い上げるし。
 これなら、舗装路のほうが全然いいと思ったのですが、どうも多くのほかの自転車乗りの方とは意見が違うようです。

 でも、未舗装の道にたくさん車が走るようになるとでこぼこになるだけでなく、砂埃もたくさん舞い上げるので、周囲の木や草の葉っぱは砂埃で真っ白になっていたりするのを見かけることもあります。
 こんなのを見てると、舗装路にしたほうがいいんじゃないかと思うのは間違いでしょうか。

 私は遺伝子組み換え万歳だし、味の素万歳です。
 品種改良なら良くて遺伝子組み換えはダメだという意見は何が違うのかイマイチ要領を得ないし、昆布ダシはいいのにその主成分を結晶にして売り出した味の素はケミカルだからダメっていう言い分にも全く納得ができません。
品種改良は遺伝子組み換えを交配によってあてずっぽうにやっているだけのことで、遺伝子組み換えのほうが、それをもう少し、的確にやっているだけだじゃないでしょうか。
もともと遺伝子は4種類のアミノ酸の配列の組み合わせでしかないものだから、ハエから取り出そうが、豚から取り出そうが、問題があるようには思えないのですが。もともと問題があればまともに成長しないだろうし。

味の素だって、主成分はグルタミン酸ナトリウムだそうです。グルタミン酸ナトリウムは昆布を乾燥させたときに表面にできる白い粉だそうです。
このグルタミン酸ナトリウムを昆布から取り出そうが、化学的に合成しようが、物質としては同じもの。
工業的に作られたものと、昆布のダシとして取り出したものが違うとすれば、濃度と、他に何が混合されているかだけだと思うのですが。
昆布のダシなら、ナチュラルだからOK、味の素はケミカルだからダメって言うのは物事の本質を見てないように思います。
ナチュラルなら何でもいいのなら、トリカブトもフグ毒もナチュラルなはずなんですが。

 (でも、確かに味の素には中毒というか、摂りすぎてしまう危険性があるそうです。これはグルタミン酸ナトリウムがある程度以上の濃度になると味が飽和してそれ以上入れても味に変化が無いためについつい入れすぎてしまうことが原因だそうです。)
 
それから、マリファナを吸う人。ナチュラルだから身体に害が無い。
こういうことをいう人が嫌いです。旅行をしていると国によっては、マリファナが手に入りやすく、よく吸っているにも出会います。
長く旅行をしているとそういう人が多くて、なんとなくマリファナを吸うという行為がそんなに悪いことじゃないんじゃないかと思えてきます。
それは旅の楽しみとして、たしなむ人に法律で禁止されているんだからやめたほうがいいなんて野暮な意見をするようなことはしません。
私がお酒を飲むようにその人たちにとってはある種の嗜好品だと理解はできます。
でも、その中でも、私にとって、意味不明な自然派の人はナチュラルだから身体に害が無い。中毒性が無い。などと、のたまわってしまうのはちょっと勘弁です。
煙を吸って、肺に入れて、それが身体に悪くない。タールもニコチンも無いから、タバコより全然健康にいい。
私には眉唾物です。

 ニコチンは無いかもしれませんが、”木を蒸し焼きにすると木酢(もくさく)木タールが出てきます。”と、理科で教えていた立場としては、特別にこの木だとタールが出るとか教えていないので、一般にどの植物でもタールは出てくるものと理解しているので、マリファナはタールが出ないとかはにわかに信じがたかったりします。
いぜんにこれについて、調べてみたことがあるのですが、それについての言及にたどりつくことができなかったので、想像の域を脱しませんが。

 それに、インドあたりで、初めてマリファナを吸った人の様子を見る機会もあったのですが、中には気分が落ち込んでしまう人もいて、そんな人にとって、本当に健康に害が無いといえるのか。私は大いに疑っています。
ちなみにウィキペディアを引用すると。

『人体への影響
多くの国において大麻使用は違法とされており、患者が医師に自身の大麻使用を告白することは稀であり、大麻による急性疾患でも大麻のせいと評価されないことは少なくない。そのため、大麻による影響がみられる症例数は、常に過小評価されることを考慮しなければならない。このような違法性に基づく情報の不正確さのため、大麻の急性の影響に関する疫学調査は現在は存在せず、学術論文の多くは症例報告にとどまる。  

社会的見解
1997年のWHOによる「カナビス:公衆衛生上の観点と調査事項 Cannabis:a health perspective and research agenda」[19]と題する大麻に関する報告がある。
大麻は低用量・中用量では交感神経系が優位になり、頻脈、心拍出量増加、血圧増加を起こす。高用量では逆に副交感神経系が優位になって、徐脈と血圧低下を起こす。さらに虚血性心疾患を起こし、わずかな労作で狭心症症状を示す頻度が増える。これは危険な症状であり、突然の危険もある。正常な心臓を持った人にも、血管攣縮による心筋梗塞を起こすことも報告されている[20]。
また、大麻使用の直後に、一過性脳虚血発作や脳卒中を起こした複数の若者の症例も報告されており、これは大麻以外の他原因による可能性が除外された症例である[21]。
イギリスでは政府が「スカンク」と呼ばれるTHCが30%を超える高効力の大麻が蔓延し、深刻な精神病に陥ると主張しているが、押収されたスカンクのTHCの平均含有率は14%であり、20%を超えたのは全体の4%のみで、30%を超えるスカンクは無かった[22]。アメリカの薬物乱用予防教育(DARE)は「現在の大麻は30年前(1970年代)と比べて効力(THCの含有量)が20倍に増している。」と指摘しているが、2007年のホワイトハウス麻薬撲滅対策室(ONDCP)の発表では大麻の効力は20年で2倍程度増えたとしている[23]。また、ヨーロッパ麻薬監視センター(EMCDDA)の報告では効力の強い大麻が健康被害リスクを増やすとことを示す証拠はなく、個人や社会、公共の秩序又は犯罪行為など全体において効力の強い大麻が普通の大麻よりもリスクが大きいということはないとしている[24]。
日本においては財団法人「麻薬・覚せい剤乱用防止センター」が大麻の有害性を主張しているが、その主張は薬物標本の説明書の翻訳であり、医学的根拠が定かではない[25]。』

とこんな感じです。そして中毒性についてもコンドームに入れて飲み込んで飛行機に乗って、日本に持ち込んでトイレで排泄物の中から取り出してまで吸おうとする人がいるのにこれを中毒といわずしてなんというのでしょう。

 マリファナは国や地域によっては合法とされるところもあるくらいだから、まあ、それくらいのものだろうと認識しているし、絶対悪いものでもない、と思うし、まあ、すっている人を攻める気もありません。
でも、”ナチュラルだから”を枕詞に”健康に害が無い”といわれると、どうしても反論したくなります。アンチ自然派ですから。

そして、ダイオキシン。テレビや新聞、ネットのニュースを見ているとまるでものすごい猛毒のような印象を受けます。
でも、私が小学校に通っている時代は小学校に焼却炉があって、教室で出たゴミはそこでビニールでも何でも燃やしていました。
そして、焼却炉の当番がいて、各教室から持ってこられたゴミを焼却炉に入れて日の管理をするような役割の児童もいました。
でも、ダイオキシンでそんな児童が死んでしまったり、病気になったというニュースは聞いたことがありません。
と、言うわけで、これまた、ちょっとウィキペディアで調べてみると、確かに毒ではあるものの、人に対する致死量や影響など、詳細は判明していないという表記が目立ちます。
なんかちょっと雲をつかむようなはなしになってきてませんか?
 マスメディアから受ける印象だとまるで、この世の最悪の毒みたいな扱われ方をしているダイオキシンですが、その人体への影響はよくわかっていない。
つまり、それを直接の原因として、特定できるような症例が余り見られないってことですよね。
ただし、ラットやマウスの実験では色んな影響が論文として出されているようなので、無害だと言うこともなさそうです。
そんなダイオキシンを取り上げて、ダイオキシンを出さないことが最大のエコロジーだ。と思ってしまうエコロジストが嫌いです。
思うだけならいいけど、ビニール袋を使うと燃やしたときにダイオキシンが出るから使っちゃダメとか言われたら、ウザくないですか。

 わたしはアンチエコロジストですから。

 この間、ヒトデのたくさんいるビーチというのに行ってきました。本当にアチコチにたくさんいて、こんなの見たらちょっと集めてみたくなりませんか?
と、そこで、方々か集めて一つに固めるとどうなるかなと思ってあっちこっちからヒトデを採集していたら、またこれ、白人のおばさんに”自然にほうっておくのが一番なんだからそんなことしていけない”っておこられました。
こういう人を相手にしても面倒なだけなので、反論はしませんでしたが、せっかく来たんだし、やってみたい。私は全く自然派じゃありません。
ヒトデがいればひっくり返してみたいし、陸に揚げてもみたい、集めてみたり、腕をちぎってみたりもしたいわけです。
あなたはほうっておくのが一番と思い込んでるかもしれないけど、私の満足度も含めて世界を見たら、私はもっとヒトデをいじってみたい。
それはあなたと私の価値観の違い。ヒトデを放って置くなら、ちょっと私を放っておいてよ。と思ったりしちゃうのです。

特にヒトデは腕をちぎるとちぎられた腕からも残った本体からも再生されて、2匹のヒトデに増殖するという特徴を持っているそうです。
ちょっと見てみたいと思いません?(この特徴、ウィキペディアで調べてみると”種によって”とあったので、ヒトデの種類にもよるみたいです。そこにいたヒトデは外から刺激を受けると外皮がものすごく固くなる種類でした。と、言うわけで、残念ながら腕をもぐことはできませんでした。もしかすると、もいでも再生しない種類なのかもしれません。)
私は自然より好奇心を取って生きていきたいし、この旅行自体、好奇心を満足させるためにはじめたものです。私はアンチ自然派です。
いろんなことを見たり聞いたり体験したり味わったり実験したりしてみたい。それを自然破壊というなら、私はちょっとくらいの自然破壊より自分の好奇心を満たすことを選択したい。だって私はアンチ自然派ですから。

 どこまでやってもいいのか、どういうことをしてはいけないのか、それはもう現地のルールに従うようにしています。
このビーチヒトデをで大事にしてもどっか他では取って食べているのかもしれないし。
やっちゃダメならきっと注意書きぐらいあるだろうし、無いなら、ヒトデを集めてきたっていいんじゃない。って思うのに、自然派の人は自分の価値観で人のやっていることにけちをつける・・・と思ってしまうわけです。

全てが自然のままがいいなら、人類がサルに戻って生活をすればいいとでも言わんばかりの自然派、エコロジスト。本当にうんざりです。
これ、とくに白人バックパッカーに多い気がします。最近キッチン付のバックパッカーズとか、ホステルと呼ばれる宿に泊まることが多いので、南下こんな話をされる機会が多いのですが、なまじ反論すると議論が面倒になるので、なるべく流すようにしています。
なのに意見を求められたりします。

以上のことを、英語で議論するなんて面倒なので、こんな日記を書いたのかもしれません。
ちょっと、ストレスがたまっていたのかもしれません。

 そしてフリーチベット。きっとこれにも多面的に色々な事柄が絡んでくると思います。なんか流行りすたりとか、皆が言ってるからみたいな理由で、賛同する気になれません。
最近あまり聞かなくなったのは大陸が変わったせいか、それとも北京オリンピックが終わって、中国の注目度が下がったせいでしょうか。
民族の侵略とか、どの国がどの民族を支配下に置いたとか、どこの国にもある話しだし、何でチベットがそんなに騒がれるのか、要領を得ません。
ちゃんとした知識の無いまま、そういう騒ぎには参加したくないし、そういう政策的な話にはあんまり興味も無いので、議論に入りたいとも思いません。
だから、オリンピック前にあったような猫も杓子もフリーチベットみたいな騒ぎには、私はアンチフリーチベットでした。


 自転車に乗っているからといって、エコロジストだと思わないでください。
自転車に乗っているからといって、自然が大好きだと思わないでください。
私はアンチエコロジストで、アンチ自然派です。

さっき、キッチンに行ったら件のおじさんが”だれだ、このフライパン洗ってないやつは。お前か?”と、問い詰められました。
そして、いま、この文章に手を加えている間に目の前でおじさんが食事して、お皿とフォークを洗わずに置いてどっかに行ってしまいました。

 何でこんなに自分のことは棚に上げて人には文句が言えるんでしょう!!
 エコとか、二酸化炭素か言う前に自分が使った皿くらい自分であらえ、っていうか、白人、自分で使った皿、鍋、フライパン洗わな過ぎ、なのに人にはよく文句言う。もう絶対友達になれない。と思うのは私だけ?
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by fuji_akiyuki | 2010-06-08 08:25 | コロンビア

お詫びと訂正。

前回。ventanaという題で、日記をかきました。・・・が。
じつは、ventanaという名前ではありませんでした。
題名にまでして、しかも、ventanaは、スペイン語で”窓”という意味で、町の様子にふさわしいとまで書いておきながら、肝心の名前を間違えてしまいました。

 で、本当の名前は、valdivia(ヴァルディビア)でした。

 どうもすみません。

 ほうっておいても誰も気が付かないかなとも思ったのですが、もしかしたら万が一、前の私の日記を見て行こうとする奇特な方がいると多分困るので訂正しておきます。

 ちなみにventanaはこのvaldiviaからさらに登ること15,6kmの本当に峠の上に在る小さな村の名前でした。こちらのほうが高いし眺めはいいかもしれませんが、教会もないし、トラックの運転手がちょっと休憩していくくらいの小さなお店とレストランが何軒か並んでる町とは呼びがたい場所でした。

お騒がせしました。

 誰も騒いでないか。。。
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by fuji_akiyuki | 2010-06-08 08:21 | コロンビア

ventana

ハッ

 とするようなきれいな景色は何の予備知識も無くても、前評判なんて聞いてなくても、微塵の薀蓄すら必要なく、そのまま心に響いてくるものです。
 歴史的背景とか、ここのがどうすごいのかとか、そんな野暮な説明なんて要らないものです。むしろ、不意打ちのようにいきなり目前に広がる景色のほうがよっぽど感動的だったりするものです。
 そして、自転車をこいでいるとそんな景色に出会える、もっと、激突するようなことがあります。

その町は眼を疑うようなたたずまいで、細い尾根の上に鎮座していました。

まず、目に飛び込んできたのはたぶん町の中心のカテドラルのドーム型の屋根でした。

その日は40km、左に川を見るように川沿いの平坦な道を走って、小さな町で、休憩を取りました。
その町を出るとすぐに左に見ていた川を渡ります。道が曲がったというより川が右に急に曲がってきて、道はまっすぐに川を渡る感じでした。

川を渡ると川はそのまま右に、そして、道は川より一本左の谷を登り始めます。
川と道路の間に尾根が入った感じです。

 左に谷を、右に山を見ながらここから、急激に道は登っていきます。

 次の町までの距離が地図とは大幅に違っていて、道路標識と地図と、どちらを信用していいのか、不安なまま、道路はまるで峠の登り道のように勾配を増していきます。

 そうなってくると、1kmの違いで大きく時間も変わってくるので、少し不安を感じながら上っていきます。
 久しぶりの峠という感じの峠道でした。そして、これまでの怠惰な生活のおかげで、なまった身体には結構こたえた上り坂でした。

 とにかく、長い、下ることなく、緩むことなく、くねくねと曲がりながら上っていきます。


 中々まともな地図が手に入らないので、中々地形が予想できません。おかげで、本格的な峠道に何の心の準備も、時間的計画も無く突入してしまった形になってしまいました。


 それでも、道路標識なら、18km地図に従うと22kmで、次の町、ventanaがあるはずでした。
その日はさらに次の町まで予定していたのですが、これが、道路標識ではventanaからさらに37km、地図では13km。この調子で上ると13kmなら頑張ればいけるかもしれないけれど、37kmだったら、途中で暗くなってしまうことは必至という距離でした。

 とにかく、ventanaについてから、考えよう。

と思って、上っていきます。・・・が。なかなかこれが、全然進みません。

左に緑の谷、右に山肌を見ながら登っていきます。思った以上に頻繁に休憩が必要で、飲み水もすぐに尽き、山肌を削って落ちてくる沢の水を探します。
 
 たくさん水を飲んで、たくさん休憩をして、ゆっくり、ゆっくり登っていきます。
そうこうしていると、だんだん山の懐奥深くに入って、見上げると、あそこまでかなって思えるような尾根の乗り越しまで道が続いているのが目に入ってきます。
 近づいていくにしたがって、その尾根の乗り越しのあたりにチラホラ集落らしきものが見えます。

 あれが、ventana?

でも、すこし、距離的に近すぎないか?

 目で建物がしっかり確認できるようになるのは、直線距離で1kmから2km、峠道とか、くねくね回っているような道でも、3,4kmせいぜい5kmくらいだったりします。それにしても、ventanaにしては、近すぎる感じがしました。

 ま、そこがどこの町であれ、タダの集落であれ、とにかく行かなきゃ話しにならないのが自転車の旅行というものです。

 予想よりはるかに遅くその尾根の乗り越しに到着したのが、もう午後4時を回った頃でした。


 道は尾根を乗りこして、今度は尾根の反対側を下ればこれを峠というわけでですが、そこははたしてまだ終わりではありませんでした。

 右に見ていた尾根を乗り越して、今度は尾根の逆側、今度は尾根を左に、谷を右に見ながら道は雲の上まで続いてます。一度乗り越した尾根もさらに奥で、雲を越してさらに上に向かっています。
 乗り越してみてはじめて、その尾根の細さをしって、そして、思わずひらけた反対の緑の谷が見渡せたこともさることながら、そこから見えた光景は一瞬目を疑うほど心奪われるものでした。



雄大とか、雄壮とか、そういった表現がしっくりくるのでしょうか。

 それとも、それは幻想的とか、幻のようなとたとえたほうがしっくりくるのでしょうか。

見た瞬間に首の後ろがゾクゾクッとして、全身に鳥肌が立ちました。綺麗とか、感動したとか、もっと瞬間的に”驚いた”というのが正直なところでした。

まず、目に入ったのは細い尾根に鎮座するカテドラルのドーム型の屋根でした。
道路の左に見える細い尾根は一度上がって、下がり、更に向こうで雲の上まで登っていきます。
 その雲のちょっとした当たり、レンガ色した、ドーム型の屋根がひときわ目だって見えます。
そしてその周りに家とか、店とか、きっと小さな建物が細い尾根に沿って密集しています。そのたたずまいはスペインが攻め込んで来た時にインカの人々が下から見えないように尾根の上に隠れた都市を築き上げたといわれるマチュピチュを連想させるものでした。マチュピチュはインカの言葉で、”古い尾根”という意味だそうです。

 本当にここに人が住んでいるんだろうか?

 峠の途中、しかも、平地でもなんでもない、あんまり住むには適さなそうな場所です。
でも目の前に見えているものが幻でなければそれは確実に町でした。

 街道はその町のすぐ麓まで通り、町を左に見ながら更に上って行っているのが見えます。

町に入ればきっとありきたりの町だろうと思いながらもその町に入ってみなければ気が済みませんでした。時間ももう宿をとってもいい頃だったので、町までは登りそうだったので、町の入り口近くにある街道沿いに何軒か軒を連ねるレストランと宿をかねた店の中から選んで部屋に荷物と自転車を置いて早速町の散策を始めました。


 その町の目抜き通りは街道から一本カテドラルまで細い尾根の上に敷かれた道でした。街道から50mも歩けばそこは右をみても左を見ても下り坂、尾根の上を歩いていることが分かります。
 実際には2,3階建ての住宅兼一階はお店みたいな建物が並んでいるのですが、路地を覗けは右にも左にも100m足らずの下り坂の下にさらに緑の谷が広がっているのが垣間見れます。町は尾根沿いに細長く、目抜き通りを挟んで左右に短く広がるばかりで、どちらもその先にドーンとひらけた緑の谷を望むことができます。

 町は小さくこじんまりして、狭い範囲に店と住宅がひしめき合ってる感じです。
目抜き通りはカテドラルの前まで上るとそこで広場になっています。その片隅に公園があって、その公園からはひろく広がった谷を見下ろすことができました。

ventana・・・スペイン語で”窓”という意味です。確かに窓と呼べるような景色でした。

 こんな町がそんざいするなんて、ちょっと驚きでした。
もしかしたら、朝になったら雲海が見られるかもしれません。3方を囲む雲海。それこそ町が雲の上に浮かんでいるようになるのでは・・・

 そんな淡い期待を込めて次の朝を待ったのですが、残念ながらその日は雲海を望むことはできませんでした。

 ただ、でも、ここに住んでいたら、もしここで育ったのなら、毎朝学校に通う途中に条件が揃ってそんな朝もあるかもしれません。右にも左にも町を囲む雄大な景色を眺めながら、吸い込まれそうな深い緑の谷を見ながら、そして、雲海が出たら、雲の上に暮らすような錯覚に陥りながら、大人になったらどんな大人になるんだろう・・・・

って思っていると、その辺でハンバーガー売ってるおじさんとかもきっとここで育ったんだろうなって思うと、結構こんな景色の中で育ってもまあ普通の大人に育つもんだなぁ。と、考え直したりもしました。

 それにしても、こんな綺麗な町でも普通にバスで旅行していたら、一瞬ですっ飛ばしてしまうんだろうな、夜行になんて乗ってたら、町があることにすら気が付かないかもしれません。
こういう町に出会ったとき、やっぱり自転車で旅行していて良かったともう瞬間でした。

でも、このventanaという町は今まで見てきた中でもかなり綺麗な町でした。
 きっとだれもしらない、観光案内所ですら案内できない、下手すると地図にすら載っていない、町という表現すら怪しい町です。じっさい今いる宿のちょっと詳しい地図にすらその町の名前を探すことはできませんでした。

 でも、キューバのどこぞの食べ物も活気も何にも無い、流刑地のような村がユネスコの世界遺産に指定されて、この天空の町が誰にも知られていないというのはちょっと納得いきません。世界遺産に指定されるくらいならなにか意味があるのかもしれません、でも、そんなの、見てもそんなに感動しないんですよね。わざわざ行ってまで見なくてもいいようなのばっかりだったりして。見てそのまま圧倒される、心を奪われる、感動する、そんな景色に意味も理由も要らないと思います。
 野暮な説明も知識もなしに目で見た瞬間に首の後ろの辺りがゾクゾクッとするような、鳥肌の立つような、そんな景色が見たくて私は自転車をこいでいます。









今はコロンビアのメデジンという町にいます。
すっかり都会でメトロに乗って、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、と買いっぷりを楽しんでいます。とくに、ここのメトロ。山の上のほうまで、ケーブルカーも走っていて、しかも、メトロと一緒に約75円で改札さえ出なければ乗り放題という、嬉しいシステム。

 綺麗な図書館も多く、近代的で、ちょっと知的な感じすら漂うコロンビア第2の都市です。
中米に入ってからずっと中南米の地図が欲しくて町に着いたらひたすら本やめぐりをしているんですが、中米って本当に本屋ありませんでした。地図も当然見つけられませんでした。結局観光案内所でもらった地図とかで中米は乗り越えてきました。でも、コロンビア、本屋だけでなくて、古本屋街まであります。カルタヘナにも、ここ、メデジンにも。そして、メデジンには、あちこちに図書館があります。それだけ、本を読む人が多いってことですよね。
 でも、いまだに、南米の地図が手に入らずに困っているのですが・・・

 ここ、住んでもいいかもって思うくらいいいです。
うーん、しばらく出たくない。。。。

そうそう、ここでもシティバンクのトラベラーズチェックが換金できました。
最初、全然ダメそうだったけど、カルタヘナでは出来たってカルタヘナで両替したときのレシートを見せたらまたまた1時間以上かけて方々電話したり、あちこち聞いてまわってやってくれました。

 ちょっとコロンビア、パナマに続いて、好きになりそうです。
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by fuji_akiyuki | 2010-06-08 08:19 | コロンビア