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雨の町プキオ(Puquio)、そして雪辱のアバンカイ(Abancay)

大雨に遭って、工事車両に拾われてプキオまで送ってもらった私は天候の回復を待つために、プキオで停滞を余儀なくされました。
しかし、雨は弱くなることはあっても、止むことはなく強くなったり弱くなったりしながら降り続きました。
時期的にもう晴れないのかもしれません。
プキオに着いた日、その翌日、そして、その次の日も雨。
もう、限界でした。2泊明けて、3日目はもう、この退屈なプキオの町にはこれ以上いたくありませんでした。
それに、プキオからアバンカイまでの300km、プキオの前に泊まったkm52(キロメトロ シンクエンタ イ ドス)のレストランで会ったトラックドライバーが言うには、300kmの間にレストランは2カ所、そして、その区間はほとんどダートということでした。
道端に落ちているペットボトルにまでてを出してしまう体たらくぶり、こんな状態で、300kmのダート、休憩できるレストランはたったの2軒、もしそんな中で雨が降ったら---、しかもここからも4000mを超える峠がいくつかあるはず。
雨に降られるのが怖かったのです。凍てつくような寒さの中で、雨に降られてテントで寝なければならないことが、水が尽きてしまうことが、ダート道で立ち往生してしまうことが。。。
3日目の朝、雨が降っていたことを言い訳にして、憶病風に吹かれたわたしは逃げるようにプキオの町から、バスでクスコに向かってしまったのです。。。。10年前。

私の記憶の中で、雨の町だったプキオは晴渡り、10年前とは比べものにならない活気を呈していました。
そして、プキオの次の目的地は、300km先のアバンカイ。10年前逃げたしたアバンカイ。バスで通過しただけのアバンカイ。行くはずで、行かなかったアバンカイ。知らないはずなのに、名前だけが10年間、大きな挫折とともに記憶の中に深く、深く刻み込まれ、忘れることのなかったアバンカイ。

そう、わたしが、10年の時を経て前回と同じナスカ-クスコルートを選んだ本当の理由、それはプキオに自力で行くことでも、コンドルセンカを落ちてるペットボトルに頼らずに超えることでもなくて、この、挫折に満ちたアバンカイに行くことで、雪辱を果たすことでした。

プキオからは10年前の自分の幻がいないので、10年前の自分と競走することなく自分のペースではしれます。
今回は、リマの宿で、5年前に同じ道を走って、詳細な情報を情報ノートに残していってくれた自転車乗りのおかげで、わたしは、ほぼ100%信頼のおける1km単位の情報を持ってこの道を走ることができました。
その情報の通り、プキオを出ると40kmに及ぶ上り坂が始まりました。
その勾配は距離が長いだけに緩く、ペダルを踏む足はそれ程辛くはないのですが、とにかく長い。プキオを朝出たのに、登り切るころはとっくにお昼を回ってました。

標高4000m、最後の丘を超えて見えてきたものは。。。


小さな草がびっしり生えて黄緑色の大地、そこに青く、蒼く広がる湖、空は群青色で、対照的に真っ白なちぎれた迷い雲が漂っています。空はちかく、風は強く、空気はキンとしています。ときおり吹く風に高山植物特有のハーブ系の香りが混じります。
空気は爽快で、ペダルを踏む足がフッと軽くなると同時に強く、キンとした風に火照った体が冷やされていきます。そして、目に入る景色は別天地、まるで違う世界に包まれているようです。

大地に生える草はびっしりと言っても、小型のススキみたいな感じで、ひと株ひと株が数えられて、赤みがかった黄土色の大地がのぞいています。拳大から、人がうずくまった位の大きさの岩がゴロゴロしていて、遠くまで、黄緑色の絨毯のうえに黒く点在しています。
そんな大地は何万年、何億年という大地の変動、雨、風の侵食によって複雑にうねり、遠くまで、見渡せる先の山脈まで続いてます。
360度うねり、広がる大地のあちらこちらに、湖がや、小川が点在して、青い、蒼い水をたたえていたり、大地に稲妻のような割れ目を描いていたり、空の色を反射したりしています。
そして、千切れ雲の黒い影がゆっくり、ゆっくりとそんな大地の上を気紛れにはいまわる様子は優雅でもあり、のどかでもあり、そして牧歌的でもありました。

例えてしまえば陳腐になってしまいますが、モザイク画の中に放り込まれたような世界です。


10年前。わたしは、ここをバスで通過してしまったのです。
ここは、自転車で走るための道でした。こんな世界を体感するために自転車に乗っているのです。
バスに乗って、窮屈なシートから、狭い窓を通して見える世界じゃだめなんです。
そのキンとはりつめたた空気は感じられないし、空の近さも、うねる大地の大きさも、ゆっくりと流れる時間もそのすべてを犠牲にして、私は10年前、ここを逃げてしまったのです。

バイクでも、チャーターの車でも、やっぱりダメだったともいます。これは、自転車乗りにしか分からない感覚ですが、このちょっと寒いくらいの風はそれまで汗を流して上ってきた者でなければ心地よいと感じられないかもしれません。汗が冷える感覚、丘を超える時にペダルが軽くなって、足の筋肉が弛緩される快感。丘を超えた瞬間に視界に湖が広がる時のあの鳥肌の立つ感覚。
これが、私が旅の手段に自転車を選んだ理由だし、自転車で来なければならなかったのです。わたしは、ようやく、10年越しの思いを果たすことができました。

プキオから最初の峠を超えるとそこから、高原が広がります。1日では超えられない高原。標高4000mの別天地が続きます。初めは気持ち良く走っていたのですが、夕方に段々と千切れ雲が大きくつながり始め、雲行きがやあしくなり、左前方と真後ろに雲底から足が伸びているのが見えました。確実に雨が降っています。

標高4000mで受ける雨はきっと冷たいことでしょう。朝になれば凍ってしまいます。そんな中でテントを張るのはなるべく避けたかったので、わたしは、次の村で、宿を取りました。情報があると、村までたどり着ければ雨が降りそうな時なら、倉庫でもなんでも屋根のあるところにテントを張らせてもらえるように頼むことができるという安心感があります。宿は期待していなかったのですが、その村には宿というか、部屋を貸してくれる人がいて、その夜はテントではなく小屋の中で寝ることができました。

結果的には雨は降らず、満天の星空をみることができました。


そして、昨日、谷を下って、最後に15kmほど上って、トラウマのごとく記憶に深く刻み込まれたアバンカイに到着しました。これで、心の中のしこりがすっと溶けていきました。
10年心に住みついた知られざるアバンカイは山の斜面に広がった、何の変哲もない地方都市でした。
ロンリープラネットにはスリーピィ(眠くなるような)とまで形容された街ですが、今日、日曜日には大きな市が立つらしく、活気があり、それなりに興味深い街でした。
今朝はそこで、市をひやかしながらひと回りして、ビックリいも(マッシュポテトの中にいろんなものを入れて揚げたようなもの。あんまりホクホクしてなくて、衣もないコロッケの中に何かが入っているような感じ。何が入っているのか分からないので、勝手にビックリいもって名付けました。)とセビッチェを食べて来たところです。

雪辱を果たしたわたしは、アバンカイでゆっくり休んで、クスコへ向かいます。後200km。
クスコからはまた10年前の自分の幻が現れるのがちょっと嫌ですが、きっとまた、10年前の自分に挑戦してしまうんだろうな。
by fuji_akiyuki | 2010-09-20 04:23 | ペルー
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